Category: Diary

マタルの味

実家から送られてきた野菜の中にグリーンピースが入っていたので、それを使って豆ごはんを作ることにした。

米をいつもより若干少なめにして、いつもの量の水を入れ、酒と塩を少し。ごはん鍋を火にかけて、沸騰してきたらグリーンピースを投入し、蓋をして弱火で炊き、蒸らせばできあがり。

グリーンピースはインドでは「マタル」と呼ばれていて、ジャガイモとグリーンピースのカレー(アルー・マタル)など、インド料理ではよく使われる野菜だ。インドの中でも一番上等なマタルは、スピティ産のものだと言われている。標高四千メートルに達する高地の村々で栽培されるマタルは、畑でもいでさやから取り出し、生のまま頬張っても、まるで果物のように甘い。去年の夏、スピティの村から村へと歩いて旅していた時、収穫に精を出す村人たちが、もぎたてのマタルをよく手づかみで分けてくれたっけ。

僕にとっては懐かしい、マタルの味。もうすぐ、またあそこで味わえるかな。

届くべき人のところへ

この間観た映画「きっと、うまくいく」(3 Idiots)が、本当に大ヒットになっているらしい。一週目より二週目、そしてさらに三週目も動員数を伸ばしているそうで、上映館も大幅に増加。その影響で、映画のクライマックスが撮影された舞台のラダックに興味を持つ人も出てきているのか、「ラダックの風息」はアマゾンで補充が追いつかずに一時在庫切れ。「ラダック ザンスカール トラベルガイド」も在庫僅少な状態がずっと続いている。

今回のブームがどのくらい続くのかはわからないけれど、それに一喜一憂したりはしない。ただ、この二冊は、周りから「ラダック? 知らない」だの「そんなの誰も読まない」だの言われようと、自分が「これでいいんだ」と信じて、コツコツと作り上げた本だ。何十万冊もバカ売れするような本ではないけれど、たとえば今回の映画のようなきっかけでラダックに興味を持つ人が新たに現れたら、この二冊は、何かしらの役に立つかもしれない。ほんの少しだけ、その人の人生を動かすかもしれない。

信念を曲げずに、心を込めて本を作れば、いつか、届くべき人のところへ届く。そういう手応えを感じられることが、何より嬉しい。

積み重ねたもの

梅雨入りしたとは思えないほど、爽やかな午後。吉祥寺界隈をぶらぶら散歩し、夜、リトスタへ。

リトスタは、昨日の六月一日で九周年。昨夜はさぞや混雑しただろうと思っていたら、常連さんたちは同じような予測をして牽制し合ったらしく(笑)、むしろ今日の方が混んでいて、開店直後からほぼ満席。合鴨スモークとフルーツのサラダ、手羽元とジャガイモのスープごはんなど、たらふくいただく。

自分でレストランやカフェをやってみたいと考えてる人は、世の中にたくさんいると思う。たぶん、お店をオープンするだけなら、本気でやろうと決意すればかなりの数の人が実現できる。でも、それを続けていくことは本当に難しい。リトスタがオープンしてから九年間、同じ商店街で、どれだけ多くの店が開店と閉店をくりかえしたことか。

リトスタが歩んできたこの九年間も、大変な苦労の連続だったと聞いている。日々のやらなければならない仕事と、こうすればもっとよくなるんじゃないかという工夫の、地道で丹念な積み重ね。僕らが何気なくすする一杯のコーヒーにも、淹れ方からお客さんへの出し方まで、彼らが積み重ねたものがたくさん籠っている。

九周年、おめでとう。次は十周年記念ライブで(笑)。

遠くへ、遠くへ

カトマイにて

ふとした時に、なぜか思い出してしまう景色がある。

この写真を撮ったのは、去年の秋、アラスカのカトマイ。ブルックス・ロッジから一万本の煙の谷へと向かう途中、休憩で停まった場所で、何気なく何枚かシャッターを切った。その時は、そこまで入れ込んで撮ったわけではなかったと思う。でも今になって、この光景が何度も脳裏に甦るのだ。

百年前の火山の大噴火の影響で、この地の植生はまだ若々しい。秋色の木立と平原の先にはぽつぽつと湖があり、山の上には気まぐれな雲が漂っている。遠くへ、遠くへ。この写真を見ていると、心が連れていかれそうになる。たぶん、そう感じるのは僕だけなのだろうけれど。

人前で話をすること

昨日は午前中に、写真家の関さんと渋谷で打ち合わせ。来月二人でやることになったトークイベントについて。関さんはこの一週間、テレビ取材の仕事でブータンに行っていたそうで、その日の朝に羽田に戻ってきたばかり。疲れていただろうに、体力あるなあ。さすが。

関さんは、これまでに学校などで講演をした経験がたくさんあるし、僕もこれまで何度かトークイベントをしてきたので、お互い右も左もわからないという感じではなく、たぶん何とかなるだろうという心づもり。とはいえ、大勢の人の前であらたまって話をするというのは、やっぱり緊張する。できれば避けて通りたい(苦笑)。でも、そうして人前で話をすることで、聞きに来てくれた人の心の中で何かがパチッとつながったりするきっかけになるかもしれない。

僕たちが自分の中で大切にしていることを、本や、写真や、話をすることで、誰かに伝える。それにはきっと、ささやかながらも、何かしらの意味はあるはずだと思っている。