Category: Diary

大事なものは面倒くさい

今日もずいぶん涼しくて、過ごしやすい。終日、部屋で原稿を書く。

今回の原稿も、全体の形はだいぶ整ってきた。とはいえ、細かい部分の煮詰め具合はまだまだ。耳ざわりのいいきれいな言葉より、シンプルで端的な描写。文字数の制約もあるのでなかなか難しいけれど、それでも少し間を空けては見直して、修正をくりかえしていく。

夜、「プロフェッショナル 仕事の流儀」の宮崎駿監督特集を見る。絵コンテで壁にぶち当たって苦しむ監督が、「大事なものは、たいてい面倒くさい」と呟いていたのが、心に刺さる。そう、面倒くさいのだ。ものづくりにしろ、他の仕事にしろ、面倒くさい部分を避けていたら、何の意味もないし、もちろんいい結果も出ない。

今の自分も、思うようにならずに苦しんでいるうちは、まだ恵まれているのかもしれないな。

半歩後退、半歩前進

終日、部屋で仕事。今日は昼からずいぶん涼しい。さほどクーラーで部屋を冷やす必要もなく、少しほっとする。

スピティとラダックの雑誌記事の原稿に着手。午後から夕方にかけて、それなりに書き進めたのだが、どうもいまいちしっくりこない。もやもやするので、いったん全部ナシにして、晩飯を食べてシャワーを浴びて、あらためて仕切り直し。自分が書き慣れているパターンに頼りすぎないように、細かく見直しつつ書いていく。今度はうまくいった‥‥かな? 半歩後退、半歩前進。

でも、明日起きてから見直してみたら、また書き直したくなってるかもしれない。一進一退。そんな風にして、原稿はできあがっていく。

写真を選ぶ

終日、部屋で仕事。先日依頼を受けたスピティとラダックについての雑誌向け記事に使う写真のセレクトに没頭する。

今回の記事が掲載される雑誌は、判型がA4サイズよりもさらに幅2センチほど大きいし、8ページも使えるので、写真の載せがいがある。去年から撮影し続けて以来、まだほとんど外部に発表していない写真をようやくちゃんとした形で発表できる最初のチャンスだから、いやがうえにもセレクトに力が入る。あれも載せたい、これも載せたい‥‥そしてはたと気付く。8ページも使える、ではない。8ページしか使えない、のだ。載せたくても載せられない写真の、なんと多いことか。

この記事が完成した後、これを目にした人たちは、どんな風に思うのだろう。自分が「これはいい」と思っている写真でも他人にはそうでもなかったり、そうかと思えばその逆の場合もあるから、正直、どうなることやらわからない。でも、どうにかして、届けたいのだ。あのスピティの谷を吹き抜けていた、乾いた風の感触を。

生きている手触り

帰国して以来初めて、何も予定が入っていない日。昼から都心に出かける。品川と銀座のキヤノンギャラリーで開催中の野町和嘉さんの写真展「バハル再訪」と「ヒマラヤ仏教圏」、それと六本木の国立新美術館で開催されているアンドレアス・グルスキー展を回る。

グルスキー展には前から興味があって、じっくり見てみたいと思っていた。確かに面白い作風だし、壮大かつ緻密で、独特の美があると感じた。でも、白状すると、野町さんの途轍もない写真を見た後では、グルスキーの作品もいささか物足りなく思えてしまった。アフリカやヒマラヤの極限の大地で生きる人々ににじり寄る、その気迫。ざらりとした、生きている手触りが伝わってくる写真。これに比べれば、自分なんてほんとにヒヨッコで、足元にも及ばない、と改めて思い知らされた。

それでも、伝えることをあきらめるつもりはないけれど。僕も伝えたいな、あの、生きている手触りを。

それにしても腹が減る

午後、築地で打ち合わせ。去年と今年の夏の取材の成果を中心にした写真記事を、雑誌で発表できることになった。〆切までのスケジュールはかなりタイトだけど、愉しい仕事だから苦にならない。がんばろ。

それにしても、腹が減るのである。スピティからラダックまでのトレッキングの時、炎天下の中を毎日七、八時間ばかりも歩き続けていたので、予備燃料タンクである余分な皮下脂肪をすっかり使い切ってしまったからだろうか。あー、ひもじい。

まあ、日本の食べ物が、それだけおいしいということもあるのだろう。みんな普段当たり前のように食べてるけど、日本の食べ物のうまさと有り難みをあらためて再認識する今日この頃。しかし、ひもじいなあ。