Category: Diary

戦争が始まった日

昼、コワーキングスペースで仕事をしていたら、ロシア軍がウクライナに全面侵攻を開始した、というニュースを目にした。

この21世紀に、国連安保理の常任理事国ともあろう国が、隣国に宣戦布告して侵攻するとは……。信じ難い暴挙だ。ウラジーミル・プーチンは狂っている、としか言いようがない。どうして人間は、これほどまでに、愚かになれるのか。

これから、世界中の国々が、否応なく、この騒動に巻き込まれていく。資源やエネルギーは逼迫し、物価は高騰し、経済は疲弊するだろう。台湾をはじめ、似たような危機に晒される国も出てくるかもしれない。もちろん、日本も例外ではない。

今日という日は、負の意味で、歴史に残る一日になるのだろう。戦争が始まった日。もしかすると、世界の終わりが始まった日。

予定の組み替え

午後、都心の出版社で打ち合わせ。制作中の本について、編集者さんと、あれこれ密談。

今作っている本については、このまま粛々と作業を進めていけば、初夏か晩夏かまだ定まっていないが、いずれにせよ、夏のうちには上梓できると思う。なので、これからしばらくはその作業に没頭するだけなのだが、僕自身には別の懸念事項がある。今年の夏の予定だ。

制作中の本のほかに、別の出版社と、ラダックについての本を作ることが決まっている。その本に必要な取材を今年の夏に実施して、秋以降に執筆に取りかかって、来年の前半くらいに完成できれば……という青写真を描いていた。

でも、最近のコロナ禍の再燃で、夏の海外渡航はすっかり不透明な状況になっている。不可能ではないかもしれないが、渡航のためにいろいろ無理をしなければならないかもしれず、しかも取材先の現地が平穏な状況に戻っている保証もない。正直、今年の夏の渡航は難しいかな、と思っている。

なので、その別の本に関しては、取材と執筆の順序を逆に組み替えようと考えている。先にできる範囲で執筆をしておいて、取材は来年の夏に回し、その成果を反映させて、来年のうちに完成させる、というやり方だ。内容的に先にある程度執筆できる本ではあるので、今はそれがベストな選択肢かなと思っている。

まあ、できる時に、できることを、粛々を進めていくしかないのかなと思う。

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ハワード・ノーマン『ノーザン・ライツ』読了。カナダの北極圏に暮らす少数民族の口承物語を取材していた著者が、自身の少年時代の経験を反映させながら書いた最初の小説作品。中盤から終盤にかけて結構な急展開の連続で、個人的にはそのチェンジオブペースにちょっと驚いてしまったのだが、序盤で描かれた辺境の村クイルの情景と、そこで暮らす人々一人ひとりの描写は本当に緻密で豊かで好ましくて、一冊丸ごとクイルが舞台でもよかったのに、とすら思ってしまった。主人公のノアには、いつかクイルに戻ってほしかった、かも。

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佐々木美佳『タゴール・ソングス』読了。十日ほど前、同書の刊行記念に催された、佐々木さんが監督したドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』上映会&トークイベントに参加して、会場で購入した。映画の字幕でも、この本でも、タゴールの遺した数々の歌を佐々木さんが自ら訳した歌詞が載っているのだが、その言葉選びの一つひとつがとても丁寧で、するっとタゴールの歌の響きに感情を重ねることができた。ある土地や人々に対して、予断を何も持たず、まっさらな気持ちでまっすぐに向き合うのは、ノンフィクションの基本であると同時にもっとも難しいことでもあるが、佐々木さんは、映画でも本でも、そのまっすぐな姿勢にぶれがない方だなあ、と感じた。誠実な映画だったし、誠実な本だと思う。

本の置き場所

先週までに本の草稿を最後まで書き上げ、今週はもっぱら確定申告の準備をしていたのだが、それもあらかた終わったので、ひさしぶりに、本棚の整理に手をつけた。

確定申告の準備をしていて、新聞図書費の支出額で実感したのだが、ここ数年、本の購入冊数が明らかに増えた。コロナ禍で自宅にいる時間が増えたことや、自宅のテレビを処分したことで読書時間が長くなったことなどがあると思う。それはそれで良いのだが、問題は、本の置き場所である。

僕は以前からスライド書棚を使っているのだが、書棚だけではとっくの昔にしまいきれなくなっているので、ダイソーの収納ボックスに詰めてソファの下に逃がしたり、枕元の空きスペースに置いたり、明らかにもう読まないだろうなという本は古本屋に持って行ったりしている。それでも、書棚にできた隙間は、あっという間に埋まっていく。今住んでいる自宅もそんなに広くはないので、デッドスペースも早晩なくなってしまうだろう。本だけでなく、アウトドア用の服や装備、カメラ機材など、いろいろあるので。

壁一面、床から天井まで書棚になってるような家にも憧れはあるのだが、たぶんそういう書棚も、あっという間に埋まってしまうのだろうな。

理髪店でのカミングアウト

一昨日、ひさびさに散髪に行った。忙しいやら何やらで、二カ月以上ぶり。髪はもう伸び放題のざんばらだったので、思いっきり短くしてもらうことにした。

ほかのお客さんとの都合で、僕は髪を切る前に顔を剃ってもらうことになった。背もたれを倒した椅子の上で仰向けになり、顔にシェービングフォームを塗られ、剃刀を当ててもらう段になって、お店の人が急に「あの、私、今、『冬の旅』を読んでいて……」と語り始めたので、びっくりした。

確かに、前に来た時に僕の仕事の話になり、今まで書いた本のタイトルを訊かれたので、伝えたことはあったのだが。まさか、理髪店で顔を剃られながら、自分の書いた本の感想を受け止めるはめになるとは、想像もしていなかった。

今まで、行きつけのごはん屋さんとかで、読後の感想をちらっと聞く機会はあったけれど。世の中のほかの作家の方々も、こういう経験をされてるのだろうか。

いやあ、びっくりした。でも、本当に、ありがたいことだと思う。お店の方、まだ読んでる途中とのことだったので、最後まで楽しんでもらえたら。

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セバスチャン・サルガド『わたしの土地から大地へ』読了。世界でもっとも著名なフォト・ジャーナリストであるサルガドが、自身の半生を語った本。僕も二十代初めの頃に彼の写真を目にして、その後の人生に少なからず影響を受けた。写真の撮影技術や感性はもちろんだが、彼の本当の凄さは、何を撮るべきかを判断する際の聡明さと、被写体に対峙する際の妥協のない誠実さ、そして個々の取材をまとめて一つのプロジェクトとして推進していく際の実行力にあるのだな、と感じた。サルガドが八年の歳月を費やして取り組んだ『GENESIS』のプロジェクトで、世界各地の原初の自然や少数民族の生活を取材した際の述懐が、僕自身がこの十年来のラダックやザンスカールでの取材で感じていたことと驚くほど近いものだったので、自分は間違っていなかった、と少しだけ自信になった。

ほっと一息

去年の11月から書き続けていた、新しい本の原稿。昨日の夕方、予定していた最後のあとがきまで到達して、草稿がとりあえず完成した。

ほっとしたなあ、というのが正直なところ。前作よりやや少ないとはいえ、全部合わせて9万字にもなる原稿だったので、最後までぶれずにちゃんと書き上げられるのか、それなりに不安もプレッシャーもあった。自信は、今もあまりない、というか、ますますなくなっている。人に読まれるのが正直怖い(苦笑)。

でもまあ、本職である以上、そんな泣き言も言ってられないので、これからは粛々と、推敲とリライト、そして編集作業に取り組んでいこうと思う。良い本にせねば。

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谷崎潤一郎『文章読本』、三島由紀夫『文章読本』、ともに読了。最近は、文章や写真の基本的な技術について、自分の状態をしっかり見直していこうと思っている。そういう目的で読むには、この二冊はとても良かった。どちらの本も、日本語で書く文章の特性をきめ細かく分析した上で、より良い文章を書くための心得を丁寧に説明してくれている。自分がこれまで感覚的に身につけていたことを論理的に裏付けしてもらえたり、あやふやになりがちな部分を整理してもらえたりといった収穫があった。変に今風の文章術の本を読むより、この二冊の方が、よほどためになると思う。