Category: Diary

十周年

今夜、外でごはんを食べるとしたら、リトスタしか考えられなかった。今日、六月一日は、リトスタが開店して十周年の日。

この季節に似合うヒマワリの花を買って、夕方お店に行くと、店内のカウンターの上は、すでに色とりどりのお祝いの花々でいっぱい。十周年記念に作られた刺繍入りの白いシャツや、それを着たお店のスタッフさんたちの写真パネルと相まって、ずいぶん華やいだ雰囲気になっていた。でも、予約札の置かれたテーブルが次々と常連さんで埋まっていくと、やっぱりいつもの、リトスタらしいリトスタ‥‥誰もが何も気にせずおいしいごはんを食べて、お酒を飲み、朗らかに笑い合える場所になっていった。

同じ街の同じ場所で、お店を十年続ける。簡単なことではないと思う。三鷹南口の商店街だけでも、この十年でどれだけたくさんの店が生まれては消えていったか。そんな中でリトスタのスタッフのみなさんは、おいしいものを作って、心を込めて出す、という日々を、丁寧に十年間積み重ねていった。そういう日々の積み重ねでしか、得られないもの、届けられないものが、この世界にはある。今夜のリトスタの店内には、確かにそれがあったように思えた。

おめでとう。ありがとう。そして、これからもよろしくお願いします。

夏のはじまり

まるで真夏のような暑さ。まあ、今日で五月も終わりだから、それなりの時期だとはいうものの‥‥。2014年がすでに150日以上経ってしまったというのも、それはそれで衝撃だけど。

Tシャツに短パン姿で、扇風機に当たりながら、ゲラチェックに取り組む。だいぶ先の見通しがついてきた。あとは、とんでもないポカミスをやらかさないように、慎重に進めていかなければ。

夕方、サンダルをつっかけて、まほろばさんへコーヒー豆の補充に行く。隣のこいけ菓子店さんも通常営業中。売れ行き好調らしく、ショーケースはほとんど空になりかけていた。夜のおやつ用に、スパイスクッキーを何枚か。やっぱこの並びだと、両方買わずにいられない。危険(笑)。

帰り道、暮れていく空を見上げる。夏のはじまり。僕自身にとっても、いろんなことが待ち構えている夏でもある。がんばろ。

取材ノート

昼から南大沢で取材。家を出た時はやたら暑かったけど、現場に着いたとたん、雷鳴とにわか雨。取材を終えて外に出る頃には、嘘のようにまた晴れ上がっていた。

三月末に買って使いはじめた取材ノートを、昨日までの取材で全ページ使い切ってしまった。結構分厚いノートだったのに‥‥それだけ先月と今月に取材が集中してたということか。今、ぱらぱらめくって読み返してみると、ひどい殴り書きの連続で、僕以外の人には暗号文にしか見えないと思う(笑)。

最近は、取材の時に紙のノートではなく、ノートパソコンを使ってメモを取るライターの方も多いそうだ。人それぞれ、一番やりやすい方法で取材すればいいと思うけど、僕は昨日も書いたようにクラシックなので(笑)、未だに紙のノート派だし、たぶんこれからもずっとそうだと思う。理由は‥‥慣れているからというのが一番だけど、取材の時に相手と自分の間にパソコンを置いてキーボードをパチバチ叩いていると、それが相手との障壁になってしまいそうな気がして。あと、紙のノートは臨機応変に融通が利く。急に歩きながら取材することになってもメモが取れる。フリーズやバッテリー切れの心配もないし。

新しい取材ノートは、さて、何カ月もつだろうか。

取材行脚

午前中から、南大沢で取材。終わった後すぐに電車に乗り、橋本から八王子を経由して豊田へ。駅前でせかせかとハンバーガーを食べ、午後の取材先に向かう。午前も午後もボリュームの大きな取材だったので、夕方に三鷹に帰り着く頃には、かなりヘトヘト。何だかんだで、西東京をぐるっと一周してるし(苦笑)。

取材行脚の移動中、担当さんから、依頼元と関わりのあるほかのライターの方々の話を聞かされて、いろんなタイプのライターさんがいるのだなあ、と思う。僕みたいなライターは、もうクラシックなタイプなのかもしれない。それでもまあ、地味でもやらねばならないことを淡々と積み重ねていくしかないんだけど。

さて、明日もまた、南大沢方面で取材だ。今週、三度目の南大沢(笑)。

誰でもよかった?

朝イチから、南大沢方面で取材。2本分の原稿を書くためのやや長めの取材だったが、どうにか乗り切る。帰りに下北沢に寄り道してカレーを食べ、吉祥寺から歩いて家へ。途中、今作っている本の初校の残りが出たというメール着信。家に着いてからは、夜までずっと、その関係のメールや電話のやりとりに追われる。急に忙しくなった。

ところで、昨日起こった、AKB48の握手会でのノコギリ男乱入事件。彼女たちアイドルやそれを取り巻くビジネス構造については正直何の興味も関心もないのだが、犯人が案の定「誰でもよかった」と供述していると聞いて、んなわけねーだろ、と思わずにいられなかった。

無差別殺傷やら何やら物騒なことをやらかす人は、後で「誰でもよかった」と言ったとしても、実は誰でもいいわけじゃない。自分より確実に弱そうな立場の人を狙って、自分の方が絶対に優位に立てる武器なり何なりを必要以上に用意している。要するに、これ以上ないくらいのチキンなのだ。ノコギリなんぞ持ち出さなければ、未成年のアイドルの子とさえまともに向き合えないくらいの。

自分の境遇とか世の中に対する逆恨みとか、いろいろ後付けの理屈はされるのかもしれないけど、とどのつまりは、チキンの憂さ晴らし。やれやれだ、ほんと。