Category: Diary

史上最速の梅雨明け

数日前から、急にめちゃくちゃ暑くなった。35℃以上の猛暑日が、連発。

昼間に外に出ると、かりっかりに熱い日射しが、首や腕の肌を灼く。風はあるにはあるのだが、ファンヒーターの前に座って、温風を全開で浴びてるかのようだ。まともに歩いていられないので、買い物とかの用事をすませたら、早々に部屋に引きこもり、電力逼迫を気にしつつもクーラーを全開にせざるを得ない。

まだ梅雨だったはずでは……?と訝っていたら、ついさっき、梅雨明けと発表された。ということは、今日から夏か。出だしからこの調子だと、大変な夏になりそうだ。

……まあ、個人的には、あと2週間くらいで、……なのだが。

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アニー・ディラード『本を書く』読了。この本は、文章を書くための指南書ではなく、作家としての心構えを開陳するような本でもなく、ディラード自身が長年にわたって自問自答し続けてきた、「書く」という行為の意味とありようを綴った散文集だ。彼女にとって本を書く日々は、自信と希望に満ちあふれた日々というより、ひりひりと傷口に滲みるような痛みに苛まれ続ける日々だったのかもしれない。僕自身は、同じ書き手として何となく腑に落ちる部分もあれば、そこは少し自分とは違うなと感じる部分もあった。それが当然なのだろうと思う。

一冊、一冊

午後、西荻の喫茶店それいゆで、初対面の編集者の方との打ち合わせに臨む。

その出版社との仕事は今回が初めてで、作ることになりそうな本のジャンルも、今までに経験したことのない分野だ。2時間近く、あれこれ打ち合わせをしているうちに、自分の内側のテンションが、じりじり上がってくるのを感じる。未知の領域への挑戦に、少しワクワクしていたのかもしれない。

相手の編集者の方も、びっくりするほど熱心で、著者の意志を尊重するのと同じくらい、自分たちの積み上げてきた媒体の価値に自負を持っているのを感じた。今度は、良いチームワークを実現できそうな気がする。それも、少しワクワクしていた理由だったのかもしれない。

この企画が世に出るのは、どんなに早くても再来年以降になるのだが、文字通り、1ページ1ページにじっくりこだわって取り組めそうなので、楽しみになってきた。来年の後半くらいのリリースを目標にしている別の出版社との本の企画もあるし、いろいろがんばらねば。

良い本を作ろう。一冊、一冊、自分の力が続くかぎり。

チームワークについて

次に出す新刊の制作も、いよいよ佳境。来週明けに再校、六月中旬に色校、七月頭に見本誌をチェックし終えたら、無事に完成ということになる。最後の最後まで、まったく気の抜けない作業が続く。

一般的な本の場合、著者は原稿を書き終えたら、その後の作業は編集者にまるっと託して、自身は著者校正や、折々のちょっとした確認、デザイン案などで意見を求められた時に答える程度の状態に落ち着くのが普通だと思う。ただ、去年出した本と今回の本の場合、著者である僕は、原稿を書き終えてからも関わらざるをえない作業が、やたらと多い。結果的に、編集実務のほぼ九割くらいを請け負う状態になってしまっている(ちなみにその分もらっているわけではない)。

台割の策定。写真のセレクト。帯文のコピーライティング。各人からの校正のとりまとめ。デザインの修正提案。特典グッズの提案と準備。進行スケジュールの提案と不備の指摘。何もそこまでしなくても、というところまで関わってしまっている。自分の本だから何一つ適当に済ませたくないし、任すに任せられない厄介な事情もあるのだが、正直、めっちゃ疲れる(苦笑)。

これまで、いろいろな出版社と本づくりの仕事をしてきた中で、各々の担当分野で誠実に協力してくれる方々と非常に良いチームワークを実現できたこともあれば、残念ながらあまり良いチームワークにならなかったこともある。本づくりという仕事に対する姿勢や思い入れの違いとか、理由はいくつかある。僕はただ、読者の方々に喜んでもらえるような本を、一冊々々、誠実に届けていくために、できる努力を全力で尽くしていきたいだけなのだが、世の中には、それが優先事項にならない人もたまにいる。その場合は、もう、折り合えない。

いつもの本づくりでは、書いている時も編集している時も楽しくて、いつまでも校了しなければいいのに、とまで感じる時もある。でも、今作っている本は、できるだけ速やかに、事故なく無事に完成させてしまいたい、と思う。良い本にしたいとは思っているし、自分なりにやり遂げる自信もあるが、正直、あまり楽しくはないし、とにかく疲れる(苦笑)。チームワークの大切さを、痛感している。

はあ。やれやれである。

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李娟『冬牧場 カザフ族遊牧民と旅をして』読了。中国・アルタイの辺境で遊牧生活を営むカザフ族の一家とともに、真冬の放牧地で過ごした数カ月間の記録。軽やかな、でも深みのある筆致で、遊牧生活の素朴さと厳しさ、温もりと孤独が、丹念に描かれている。チベットやモンゴルと同じく、アルタイのカザフ族の遊牧生活も、中国政府が推し進める遊牧民の定住化政策によって、刻々と失われつつある。すっかり消え失せてしまうかもしれない冬牧場での素朴な生活を想う李娟さんの気持は、僕にも痛いほどわかる気がする。

巣鴨地蔵通り商店街

昨日は千石にある出版社で打ち合わせ。それが終わった後、巣鴨のプルジャダイニングに晩ごはんを食べに行くつもりだったのだが、夕方の開店まで少し時間があったので、巣鴨の地蔵通り商店街を、端から端までぶらぶら歩いてみた。

初めてここに来たのは、二十代の頃だったろうか。東京のほかの場所とは明らかに異質な、高年齢のお客さんをターゲットに徹底的に絞り込んだ店や商品の並びに、なんかすげーなあ、自分は場違いだなあ、と当時は圧倒された記憶がある。でも昨日、ひさしぶりに歩いてみると、昔よりは全然異質な感じも受けず、なんか馴染める感じがするなあ、と思った。理由は単純で、僕がそれだけおっさんになったからだと思う。

あの界隈は、歩道脇とかあっちこっちに、ベンチがたくさんあるのが、休憩するのに助かるんだよな。ほら、完全におっさんだ。

ひさびさの一人暮らし

今週の水曜から土曜の夜まで、相方は法事のため、関西に帰省中。旅に出る以外ではひさしぶりの、一人暮らしのような時間を過ごしている。

とはいえ、連休中なのに仕事は山のように積み上がっているので、毎日、黙々と机に向かっている。先週の平日に取材した大学案件の取材原稿はあらかた片付いたが、別のところからエッセイの原稿を依頼されたので、ここ三日間はそれをずっと書いていた(予想以上に手間取った……)。ついさっき、それもどうにか形にできたので、ようやく一息ついたところだ。まあ、新しい本のゲラチェックはまだこれからだし、大学案件の新しい取材も来週すでに何件か入ってるしで、まったく気は抜けないのだが。

なので、一人暮らしの間は、自炊に時間をあまりかけないことにした。午前中に朝昼兼用でインスタントラーメンか食パンを食べ、コーヒーをいれて、ごりごり仕事。夕方は西荻界隈のカレー屋さんのどこかに行って、さっといただいて、家に帰って、またごりごり仕事。そんな風にして、いささか無味乾燥な日々が過ぎていっている。

でも、とりあえず明日は、息抜きの日にしておこうかな。来週も再来週も、相当忙しくなりそうなので。