Category: Diary

インドノミゾシル

朝起きると、外は一面の白い雪。昼過ぎには止んできたが、東京でも、降る時には降るものだ。

幸い今日は外に出る用事もなく、食料の買い置きもあったので、完全に引きこもる。とはいえ、抱えてる仕事はいろいろあって、夜が更けるまで、電話やメールであちこちと連絡業務。一歩も家の外に出なかったのに、何だろう、この疲労感は(苦笑)。

気疲れの一番の原因は、現時点での懸案事項が、こちらがあーだこーだとじたばたしてもまったくどうにもならない、まさに神のみぞ知る状態にあるということ。いや、神というか、インド人というか‥‥(苦笑)。

あの国に振り回されるのは今に始まったことじゃないけど、ほんと、早くどうにかなってくれ、と祈るしかない。

笑顔の撮り方

終日、部屋で仕事。あちらこちらとの連絡業務のかたわら、来月下旬の下北沢B&Bのトークイベントで使うスライドや自分用の台本の準備など。

今回のトークイベントのテーマとして提案されたのが、「笑顔の撮り方」。あらためて思いを巡らせてみると、正直、ちょっと困ってしまった。なぜかというと、僕の場合、誰かの笑顔を撮ろうと思って写真を撮った経験が、たぶん一度もないのである。笑顔を撮ろうと意識したことのない僕が、笑顔の撮り方についてまともなことを語れるとは思えない。どうしよう。

じゃあ、いつもどんな風にして撮ってるんだと言われると、これまた言語化しづらいというか、ハァ?と思われるようなことしか話せない気がする‥‥。仕方ない。正直に、たどたどしく話すしかないか。

メガネの買い足し

冷たい風が吹きすさぶ日。でも、日射しは心なしか、ちょっとだけ暖かい。

午後、歩いて吉祥寺へ。商店街にあるチェーンのメガネ屋で、新しいメガネを作る。レンズ込みで4900円。このクラスのメガネを作るのは二度目だが、ひと昔前には考えられなかったような安さだ。僕のようにメガネなしでは生きていけない人間には、この値段でメガネをまるっと作れるというのは、確かにありがたい。

こういうメガネは、普段家にいる時のほかに、自転車に乗ったり山歩きをしたり、海外に旅に出たりする時に役立つ。何かのひょうしにぶっ壊れたとしてもさほど惜しくない値段だし、意外と頑丈だからだ。で、国内で取材の仕事がある時や、人に会う用事がある時には、もうちょっとお高めのちゃんとしたメガネをかける。そうやって何個かのメガネを目的に応じて使い分けるのが、メガネを長く使うコツだと思う。一つのメガネを連続して酷使し続けると、すぐにへたってダメになってしまうから。

ちなみに、そうやって数個のメガネを所有して使う場合、まとめて並べて収納しておけるケースがあると便利だ。僕はこの間、LA VITA IDEALE メガネ&ウォッチケースなるコレクションケースを買ってみたのだが、大きさもほどほどだし、造りも値段の割に安っぽくなくて、ちゃんとしている。メガネのヘビーユーザーの同胞の方々にはおすすめだと思う。

くやしい思い

この間の「撮り・旅!」トークイベントの打ち上げで、同業者のみなさんと飲んでる時に出た話なのだが。

「してますよ! ここにいるみんな、仕事でくやしい思いは!」

そこにいた方々は全員、豊富な経験と実績と、誰が見ても疑いようのない実力の持ち主ばかり。それでもみんな、くやしい思いをしているのだという。単にプライドを傷つけられるとか、そういう安っぽいことではない。丹精込めて仕上げた作品を雑に扱われたり、自分の思いと相反するようなことを強いられたり。もっといい仕事ができるのに、そうさせてもらえない、というくやしさ。

そういうくやしさを感じた時、我慢した方がいい場合と、我慢すべきではない場合があると僕は思う。そこで自分が譲ることで、仕事の目的(自分の受け持ち部分はともかく全体としていい仕上がりになる、依頼主からの要望に合う、など)が達成できるなら、あるいは譲るべきかもしれない。でも、もし譲ることによって、自分自身のキャリアに悪い影響が出たり、大切にしていた信義を裏切ってしまうのであれば、妥協せずに「それはできません」とはっきり言うべきだ。それで仕事を失うかも、と恐れる必要はない。そんなことでなくなってしまうような仕事は、どうせ長続きしないから。

みんな、それぞれの場所で、それぞれの戦いを続けている。僕自身、未だにくやしい思いのくりかえしだ。できれば、もうちょっと大物になって、無駄な戦いをしないですむくらいの身分になりたいと思うけど、まあ、無理かな(苦笑)。

タフでなければ

昨日の午後は、小林尚礼さんのお誘いで、「地球の歩き方 ブータン」の制作に初版からずっと携わり続けている編集者、高橋洋さんのトークイベントに行ってきた。

高橋さんの長女の娘さんは二歳の時に非常に患者数の少ない遺伝系の難病を発症されて、以来ずっと自宅の一室で、身動き一つできない状態での療養を続けられている。当初、娘さんの余命は長くても七歳くらいまでと言われていたそうだが、先日、二十歳の成人式を迎えられたそうだ。これまでの間、高橋さんと奥様、そして周囲の人々が、娘さんのためにどれほどの努力を積み重ねてこられたのか、想像を絶する。

高橋さん自身も数年前に胃癌を宣告されて手術を受けた経験があるそうだが、「地震にたとえると、二歳の娘に下された難病の宣告が震度7か8だったとすれば、僕に下された胃癌の宣告は、せいぜい震度3か4くらい。全然たいしたことなかったです」と、こともなげに話されていた。

娘さんの看護や取材を通じてのブータンとの関わりは、高橋さん自身の人生観にも大きく影響したそうだ。自分には世界中を大きく変えるようなことはできないかもしれないけれど、一人ひとりがそれぞれ自分にできることを一つひとつ積み重ねていけば、世界はもっとよくなるのではないか、とも。

終了後にご挨拶させていただいた高橋さんは、話し好きで飄々としていて、穏やかな印象の人だった。トークで淡々と話されていたような苛烈な人生を送ってきた方には、とても見えなかった。タフでなければ、生きていけない。優しくなければ、生きている資格がない。マーロウのあの有名な台詞を、その時ふと思い出した。