Category: Diary

ひたむきさ

ここしばらく、自分がこれまでラダックで撮影してきた写真のアーカイブを、一から見直す作業をしている。

昔、ラダックに長逗留しはじめた頃に撮った写真を見ていると、ほんとにヘタクソだったなあと痛感する。ミスショットも含めてアーカイブをチェックすると、カメラを構えながら焦ってあたふたしてたのがまるわかりで、使える写真も全然少ない。この程度のウデでよくもまあ、と我ながら思う。

写真も、あと文章も、スキルの面だけで言えば、今の自分の方がずっと上だとは思う。そりゃそうか、ラダックに長逗留していたのは8年も前だし。ただ、自分自身の代表作と呼べるような写真、あるいは文章はと考えると、「ラダックの風息」を超えるものは世に出せていないのではないかとも思う。

たぶんそれは、あの頃ならではの無我夢中なひたむきさとまっすぐな気持が、スキル云々を超えて、ほんの時折、幸運をたぐり寄せていたからだろう。ものにした、というより、たまたま撮らせてもらえた、経験させてもらえた、そのささやかな積み重ねが、あの一冊になった。

僕に限らず、代表作というものは、往々にしてそんな風に生まれるのかもしれない。スキルを超えた、ひたむきさによって。

憎しみの理由

昨日はこまごました仕事で夜更かしして、今日は昼頃まで寝ていた。のっそり起きてMacを開き、パリで起きた無差別テロのニュースを知って、いきなりぶん殴られたかのように愕然とする。仕事で現地入りしていた知人は幸い無事だったが、それにしても、しかし‥‥。

「卑劣なテロにはけっして屈しない」「テロリストとは断固として戦う」と、各国首脳は口を揃える。確かに、テロはけっして容認されるべきではない行為だ。でも、テロはどんなに力ずくで抑え込もうとしても、ただそれだけではけっして根絶やしにはできない行為でもある。なぜ、何の関係もない無辜の人々を巻き込んでまで、テロリストは攻撃を仕掛けるのか。歩み寄るとか妥協するとかいう意味ではなく、彼らが憎しみを抱く理由にきちんと向き合おうとしなければ、テロの連鎖は永久に止まらない。

日本も、そうしたテロの連鎖と無縁ではないと思う。海の向こうの他人事などでは、けっしてない。

カメラと埃

昼、新宿のニコンプラザへ。D800のセンサークリーニングを依頼。目立った埃はなかったが、それでも端の方にちらほらとくっついていたらしい。

一眼レフでレンズをあれこれ交換しながら撮るのは写真の醍醐味だけど、もっとも悩ましい部分でもある。レンズを付け替える時、どんなに気をつけていても、微細な埃が内部に入り込んで、センサーの表面にくっついてしまうことがある。センサー自体が振動して埃を落としたり、埃がセンサーに届きにくいような構造にしたりと、いろいろ工夫はされているけれど、それでもセンサーへの埃の付着をシャットアウトするのは難しいようだ。

もし仮に、何をどうやってもレンズ交換時にセンサーに埃がくっつかないような発明がなされたら、むちゃくちゃ偉大だと思う。まじで尊敬する。自分がカメラメーカーのエンジニアだったらそこに金脈があると信じて掘り下げたい。まあ、その昔、リコーというメーカーがGXRというカメラシステムを作ってはみたんだけど‥‥。

一眼レフでの埃のシャットアウト、いつの日か、ぜひ。

旅と家と料理

東京に戻ってきてから、身辺もだいぶ落ち着いてきたので、徐々に自炊を再開。昨日はほうれん草のピリ辛あんかけ、今日はカブとえのき茸の鶏そぼろ煮を作った。

今年は6月下旬からインドに行っていたのだが、出発の2週間くらい前から食材の新規購入を止めて、冷蔵庫の中身を徐々に減らしていた。それから約4カ月間、ほぼすっからかんだった冷蔵庫も、今は牛乳や卵や野菜で満たされつつある。切れてた調味料も買い直したし。

僕の知り合いの旅好きな人たちには、自分で料理をするのを厭わないというか、料理好きな人が結構多い気がする。旅先では基本的に、自分自身で料理をする機会はあまり多くないわけで、いろんな国でいろんな人が作ってくれた料理をいただくことになる。それはそれで悪くないというかありがたいことだけれど、そういう日々がずーっと長く続いた後に自分の家に戻ると、自分で好きなように料理をして食べて、どこかでバランスを取りたくなるのかもしれない。少なくとも僕自身はそんな気がしている。自分でいれたコーヒーってこんなにうまいものなのか、とか(笑)。

さて、明日は何を作ろうかな。

あの日、あの場所

lampang
ここ数日、先月のタイ取材で撮ってきた写真のセレクト作業に、黙々と取り組んでいる。今回の写真の用途はガイドブックだから、グラビアページの構成に合わせて、内容の説明に必要なものや、わかりやすいキャッチーな絵柄のものを選んでいく。だから、写真としてはいい出来でも、用途にそぐわないので選ばれない写真も出てくる。

昨日のセレクト作業の中でも、本当に何気ないスナップショットで、場所や内容的にもガイドブックへの掲載用にはたぶん選ばれない一枚に出会った。タイ北部の小さな町、ラムパーン。週末のナイトマーケットが始まる少し前、西の地平線から射す光の中を、母親と三人の子供たちが歩いている。ほとんど何も考えず、反射的にシャッターボタンを押した。地味な写真かもしれない。でも、少なくとも僕にとっては、今見返すと、胸のあたりにじんわりとしたものがこみあげる、いろんな思いをめぐらせたくなる写真だった。

あの日、あの場所に、彼らがいて、僕がいた。