Category: Diary

憎しみの理由

昨日はこまごました仕事で夜更かしして、今日は昼頃まで寝ていた。のっそり起きてMacを開き、パリで起きた無差別テロのニュースを知って、いきなりぶん殴られたかのように愕然とする。仕事で現地入りしていた知人は幸い無事だったが、それにしても、しかし‥‥。

「卑劣なテロにはけっして屈しない」「テロリストとは断固として戦う」と、各国首脳は口を揃える。確かに、テロはけっして容認されるべきではない行為だ。でも、テロはどんなに力ずくで抑え込もうとしても、ただそれだけではけっして根絶やしにはできない行為でもある。なぜ、何の関係もない無辜の人々を巻き込んでまで、テロリストは攻撃を仕掛けるのか。歩み寄るとか妥協するとかいう意味ではなく、彼らが憎しみを抱く理由にきちんと向き合おうとしなければ、テロの連鎖は永久に止まらない。

日本も、そうしたテロの連鎖と無縁ではないと思う。海の向こうの他人事などでは、けっしてない。

カメラと埃

昼、新宿のニコンプラザへ。D800のセンサークリーニングを依頼。目立った埃はなかったが、それでも端の方にちらほらとくっついていたらしい。

一眼レフでレンズをあれこれ交換しながら撮るのは写真の醍醐味だけど、もっとも悩ましい部分でもある。レンズを付け替える時、どんなに気をつけていても、微細な埃が内部に入り込んで、センサーの表面にくっついてしまうことがある。センサー自体が振動して埃を落としたり、埃がセンサーに届きにくいような構造にしたりと、いろいろ工夫はされているけれど、それでもセンサーへの埃の付着をシャットアウトするのは難しいようだ。

もし仮に、何をどうやってもレンズ交換時にセンサーに埃がくっつかないような発明がなされたら、むちゃくちゃ偉大だと思う。まじで尊敬する。自分がカメラメーカーのエンジニアだったらそこに金脈があると信じて掘り下げたい。まあ、その昔、リコーというメーカーがGXRというカメラシステムを作ってはみたんだけど‥‥。

一眼レフでの埃のシャットアウト、いつの日か、ぜひ。

旅と家と料理

東京に戻ってきてから、身辺もだいぶ落ち着いてきたので、徐々に自炊を再開。昨日はほうれん草のピリ辛あんかけ、今日はカブとえのき茸の鶏そぼろ煮を作った。

今年は6月下旬からインドに行っていたのだが、出発の2週間くらい前から食材の新規購入を止めて、冷蔵庫の中身を徐々に減らしていた。それから約4カ月間、ほぼすっからかんだった冷蔵庫も、今は牛乳や卵や野菜で満たされつつある。切れてた調味料も買い直したし。

僕の知り合いの旅好きな人たちには、自分で料理をするのを厭わないというか、料理好きな人が結構多い気がする。旅先では基本的に、自分自身で料理をする機会はあまり多くないわけで、いろんな国でいろんな人が作ってくれた料理をいただくことになる。それはそれで悪くないというかありがたいことだけれど、そういう日々がずーっと長く続いた後に自分の家に戻ると、自分で好きなように料理をして食べて、どこかでバランスを取りたくなるのかもしれない。少なくとも僕自身はそんな気がしている。自分でいれたコーヒーってこんなにうまいものなのか、とか(笑)。

さて、明日は何を作ろうかな。

あの日、あの場所

lampang
ここ数日、先月のタイ取材で撮ってきた写真のセレクト作業に、黙々と取り組んでいる。今回の写真の用途はガイドブックだから、グラビアページの構成に合わせて、内容の説明に必要なものや、わかりやすいキャッチーな絵柄のものを選んでいく。だから、写真としてはいい出来でも、用途にそぐわないので選ばれない写真も出てくる。

昨日のセレクト作業の中でも、本当に何気ないスナップショットで、場所や内容的にもガイドブックへの掲載用にはたぶん選ばれない一枚に出会った。タイ北部の小さな町、ラムパーン。週末のナイトマーケットが始まる少し前、西の地平線から射す光の中を、母親と三人の子供たちが歩いている。ほとんど何も考えず、反射的にシャッターボタンを押した。地味な写真かもしれない。でも、少なくとも僕にとっては、今見返すと、胸のあたりにじんわりとしたものがこみあげる、いろんな思いをめぐらせたくなる写真だった。

あの日、あの場所に、彼らがいて、僕がいた。

インプット、アウトプット

昨日は、天王洲アイルで開催されている「国境なき子どもたち」の写真展へ。四者四様、それぞれの写真家の方々のまなざしとまっすぐな思いが伝わってきて、素直にじーんときた。京都から上京されていた吉田亮人さんにひさしぶりにお会いできたのも嬉しかった。

その後は青山に移動して、イッテンモノ展へ。ここでも、たかしまさんやまつばらさんにひさびさにお会いできた。個性的な作家のみなさんが手作りのイッテンモノを販売していて、ほんわかとした楽しい空間が居心地よかった。

強い思いと実力を併せ持った「伝える人」や「表現する人」のアウトプットを、こうした場に足を運んで受け止めるのは、本当に良いインプットになるなあ、とあらためて思った。自覚できる部分でも、無意識の部分でも、経験や刺激になることがたくさんある。だからこういう場に足を運ぶことを厭わないようにしなきゃな、と思う。

そういう意味では、展示やイベントだけじゃなく、本もちゃんと読まなければ。今、自分の部屋にある、買ったはいいものの手をつけられないでいる、本の山‥‥。よ、読まなきゃ(汗)。