Category: Diary

リフレッシュとインプット

今月下旬から始まるWeb連載の最初の回の原稿を、少し前に完成させることができたので、一昨日と昨日は休養に充てた。

一昨日は、一カ月半ぶりの理髪店で、髪をすっかり短く刈り上げてもらった後、三鷹のユニテさんをはじめ、三鷹から吉祥寺界隈の書店をぶらぶらとハシゴ。武蔵野珈琲店でアイスコーヒーを飲みながら本を読んだりして、一人でのんびり、ゆるゆると過ごした。

昨日は六本木の国立新美術館で、「テート美術館展 光 ターナー、印象派から現代へ」と「蔡國強 宇宙遊 〈原初火球〉から始まる」を立て続けに鑑賞。テート美術館展では、ジョン・コンスタブルとデイヴィッド・ルーカスによるメゾチント版画の連作「イングランドの風景」シリーズがとりわけよくて、あの連作だけをまとめた冊子がほしいくらいに思った。蔡國強さんの展示はもう、圧巻で……溢れ出す情熱の奔流に、ただただ圧倒された。表現者として見習うべき点も、本当に多い。自分も、到底及ばないながらも、頑張らねば……と思った。

午後はミッドタウンの虎屋茶寮で今季初のかき氷、宇治白玉金時にありつけたし、夜はひさしぶりにブリュードッグ六本木で、濃いめのIPAをパイントグラスで心ゆくまで飲んだ。良い感じでリフレッシュとインプットができた二日間だった。

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呉明益『歩道橋の魔術師』読了。かつて台北の象徴的な存在だった中華商場で生まれ育った子供たちを巡る、不可思議な物語の短編集。リアリティ豊かなディテールに彩られた描写の中に、魔術師によって引き起こされる超常的な出来事が織り込まれていく。『自転車泥棒』もそうだったが、虚実ないまぜのノスタルジックな世界観で読者を惹き込んでいくストーリーテリングが、彼は異様に上手い。これからもずっと追いかけて読んでいきたい作家の一人だ。

剥がれる靴底

一カ月前、インドのラダックに赴くため、早朝から列車を乗り継いで、成田空港に向かっていた時のこと。

神田駅で中央線から山手線に乗り換える時、右足の靴底に、何か引っ掛かるような感触を感じた。足を持ち上げてみると、トレッキングシューズの二重構造になっている靴底の外側の一部が、ぺろりと剥がれかけていた。

いやいやいや。まずいまずい。これから一カ月もインドに行って、取材やら何やらで毎日歩き回らなきゃならないのに、靴底が剥がれてちゃ、話にならない。どうしよう? 時間帯的に、靴を修理してくれる店はまだ開いていない。接着剤を売ってるホームセンターも開いていない。そもそも、飛行機の搭乗に間に合うように成田空港まで行かなきゃならないので、どこかに寄り道できる時間もない。はてさて……。

思案した挙句、日暮里でスカイライナーに乗り換える直前に、駅構内のコンビニに立ち寄って、アロンアルファを購入。スカイライナーの車内で、ちまちまと靴底を接着。これで、一カ月ももつのか……どうなんだ……。

結論から言うと、旅の間に何度か接着し直したおかげで、トレッキングシューズはどうにかこうにか、最後まで持ちこたえた。とはいえ、さすがにボロボロなので、今回でお役御免ということになりそうだ。はー、しかし、あの時は本当に、どうなることかと思った。

ラダックの夏から、日本の夏へ

夏のラダックでの約一カ月の滞在を終え、昨日の昼過ぎ、西荻の自宅に戻ってきた。

帰りの飛行機は、レーからデリーまでは問題なかったものの、デリーから成田までは、出発は二時間遅れるわ、機内の全座席のモニタが故障で動作しないわ、ドリンクなどの冷蔵庫も壊れてたのか缶ビールが常温だわ、トイレも一室閉鎖されてるわで、いろいろ大丈夫なのかと心配なフライトでの帰還となった。地味にストレスの溜まる旅程だったが、とりあえず生きて戻れて、ほっとしている。

エアコンいらずで過ごせたラダックの夏から、デリーよりも灼熱の日本の夏にいきなり放り込まれたので、身体がまだびっくりして、なかなか順応できないでいる。これは、洒落にならない暑さだなあ……デチェンたちには「インドと違って、日本にはデング熱はないんだろ? だったらよっぽどましだよ」と慰められはしたが。

ラダック滞在での疲労は正直全然大丈夫なのだが、灼熱の日本の夏にアジャストすべく、しばらくはゆっくり身体を慣らしていこいうと思う。しかし、順応できるかな……はたして……。

旅の日々へ

夏のラダックに出発するまで、あと数日。国内でやり残していた仕事も、どうにか片付いた。あとは、出発前に必要な下準備を抜かりなくやればOKだ。

ラダックに着いたら着いたで、新しい本に必要な情報収集のために、しばらくはレーの街を毎日あちこち歩き回らねばならないし、その後は連日ほぼ休みなしで、ラダックツアーのガイドの仕事がある。何のことはない、東京にいる時と同じかそれ以上に忙しい(苦笑)。まあそれでも、再びラダックで、あの澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込めると思っただけで、心が弾む。

夏の取材の準備をしている一方で、来年以降の計画も、ぼちぼち練りはじめている。来年は、一月中旬から三月上旬まで、インド某所での長期取材(あわよくばその取材を基に本を書きたいが、撮れ高次第のところもあるので、何とも言えない)。夏は、再びラダックでガイドの仕事(今年のツアーが首尾よく終わって、来年も任せてもらえるならの話だが)と、インドの別の某所での取材。そして夏の終わりには、短めの滞在だが、アラスカ。仮にこれらを全部実行すると、四カ月ほど日本を留守にすることになる。

再来年以降はまだ未定だが、時間と予算の都合がつく限り、できるだけ積極的に海外取材に行こうと考えている。できればラダックだけでなく、まだ訪れたことのない土地へも。未知の情報や感覚をどんどんインプットしていきたい。自分に書けること、撮れるもの、まだまだたくさんあるはずだと思うから。変な安定志向に走って、自分で自分の限界を狭めてしまいたくはない。

まずは、今年の夏のラダックでのあれこれを、きっちり頑張ろう。

紀行文講座を終えて

午前中、八王子で紀行文講座の第二回を担当。どうにかつつがなく終えることができたように思う。これで、錦糸町、北千住、八王子の三カ所で開催してきた紀行文講座は、すべて終了。自分で提案した企画ではあったけれど、肩の荷が下りて、ほっとしている。

去年、大手町で集中開催したラダック講座と違って、各センターで分散して開催される形になった今回の講座では、予想外の出来事が多かった。たとえば、課題として短い紀行文をテキストとメールで提出するように受講者の方々にお願いしていたのだが、パソコンで文章を打ってメールで送信するという作業自体に馴染みのない年配の受講者も少なからずいらっしゃるということは、現場でスタッフの方々に聞いて初めて知った次第。その方々には手書きの原稿を封書で送っていただいて、それを自分の手元で全部テキストに打ち直すことになった。それ以外にも、正直、面食らうような出来事もいくつかあって、何事も、やってみないとわからないものだなあと感じた。むつかしい……。

来年以降も続けてほしいというご要望も複数の方々からいただいて、ありがたいことだなあと思う一方で、そもそも来年は自分があまり日本にいなさそう(苦笑)という事情もあり、単純に同じような形で紀行文講座を継続するのは、難しいかな、とも感じている。僕のような人間が教えられるライティングスキルを具体的に必要としている人に、もう少しだけ対象を絞った方がいいのかもしれない、とも思うし。あとは、オンライン受講の体制の見直しや、アーカイブ受講を可能にすることとか、そもそもどういう組織体制のもとでやるのか(自前でやるという選択肢も含めて)、今回の反省を踏まえて考えねば、と思っている。

ただ、その前に、僕自身が、文章にしても写真にしても、もっともっとスキルアップしなければならないとも思う。現状で満足していてはダメだなと。もっと、うまくなりたい。伝えたいことを、より伝えられるようにするために。

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トマス・エスペダル『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』読了。かなり期待して手に入れた本だったのだが、なかなかに難解で……。特に前半から中盤にかけては、読み解くのに苦労したというか、理解しきれないまま読み進めていた感がある。完全なノンフィクションの紀行文ではなく、フィクションを織り交ぜつつ、自伝やエッセイや詩などを組み合わせた複雑な仕立てにしているのは、ブルース・チャトウィンの影響も少なからずあるのかもしれないが、少なくとも僕は、チャトウィンの作品ほどには没入できなかった。読み手にも、それなりの知識と読解力が必要な作品なのだと思う。