Category: Diary

仕事始め

年末年始は、2泊3日で実家のある岡山に帰省した。母と妹一家とですき焼きを食べ、姪っ子に学校と部活の話を聞き、甥っ子1号と公園でサッカーをし、甥っ子2号は頭をピコピコハンマーで叩いて……あとはこたつで本を一冊読んだくらいか。大晦日もテレビはほとんど見ず、元旦は雑煮とおせちを食べて近所の神社に初詣に行き、昼過ぎ発の新幹線で東京に戻ってきた。

今朝は昼頃までゆっくり寝て、そこから仕事始め。BE-PALのサイト向けの原稿を1本仕上げる。今年からしばらくの間、BE-PALのサイトで週イチ連載を担当するので、今の時点で書ける原稿はできるだけ書き溜めておかないと、後で困ることになるからだ。今作っている本に関連する件で書かねばならない長めの原稿もあるし、週明けからはインタビュー取材の手配もいくつかしなければならない。連休明けには大事な打ち合わせもいくつかあるし、その後は2冊の本の編集作業が本格化する。1月末か2月頃には、沖縄取材も控えているし。

よっしゃ。とりあえず、できることから、がんばろ。

Happy New Year 2016

Phrae
あけましておめでとうございます。2016年もよろしくお願いします。

今年の抱負は……自分にできることを、がむしゃらに、やれるだけやる。自分や周囲の人々が良いと信じていることでも、何らかの原因でうまく実現できないことはあるかもしれない。それを世間や誰かのせいにするのではなく、だったらそこから自分に何ができるのかを考える。難しかったり、しんどかったり、いろいろあるかもしれないけど、自分一人でくさって立ち止まるようなことだけはしたくない。

……えらそうなこと書いちゃった。なので、がんばります(笑)。

写真はタイ北部の小さな街、プレーにて。よーく見ると、後ろに、もう一匹。

気前のいい理由

終日、部屋で仕事。夕方、近所のココイチまで行って晩飯を食べていると、背後のカウンター席に、小学校高学年くらいの男の子と、そのお父さんらしき人が座った。お父さんの声が結構大きいので、いろいろ漏れ聞こえてくる。

「さあ、どれにする? ……これか? 他に何をつける? 何がほしい? 飲み物は?」

普通の夕食にしては、やけに気前がいいのだ。カレーはトッピングもたっぷりつけて、サラダにポテトに、飲み物も。そのお父さんの妙に弾んだ調子の声を聞きながら、もやもやといろいろ想像してしまった。

・単純にいつもとても気前のいい、懐にも余裕のあるお父さんである。
・お父さんにすごくうれしいことがあった(宝くじに当たった、大きな目標を達成した)ので気前がいい。
・息子くんがすごくがんばった(成績が上がった、試合に勝った、何か賞を取った)ので気前がいい。
・逆に息子くんが落ち込むこと(試合か何かに負けたとか)があったので、励まそうとしている。
・お父さんが息子くんに対して何か負い目を感じるところがあって、それを埋めようとしている。

……本当の理由は知る由もないけれど、そんなお父さんと息子くんにも、一人でカキフライカレーを食べてる僕にも、時間は同じように巡っていく。2015年も、そろそろ終わりか。

焼きキムチ

ここ最近、あまりにも仕事が立て込んでいて、まともな自炊をする余裕がなかった。だから冷蔵庫内の食材もそれなりにコントロールしてたのだが、ここに来て、数週間前に買ったキムチが中途半端な量で残ってるのを発見してしまった。

夜にビールを飲む時のつまみにしようかとも思ったが、時間が経ってて賞味期限ぎりぎりだし、結構すっぱくなってるんじゃないかなあ……ん? だったら焼けばいいんじゃね? サムギョプサルとか豚キムチとかの時、キムチを焼いて食べたら結構うまいし。

鍋に少しゴマ油(これがポイント)を入れて熱し、余ってたキムチを投入し、中火で3分ほど炒める。たったそれだけなんだけど、食ってみたら、やたらうまい。ビールのお伴には最強だ。やばいものを発見してしまった。

今日もそんな一日だったけど、みなさん、メリークリスマス(笑)。

「書く」ということ

部屋で仕事。来年出す予定の本に収録するための原稿を書く。

しばらく前から準備していたこの原稿は、今年取り組んだ中でも、自分にとって一番大切な文章だ。今年だけじゃなく、ここ数年の間でも一番大切かもしれない。どんな文章にするかというイメージは、ずっと前から自分の中で思い描いていて、かなり具体的な形になっていた。でも、なかなか書きはじめられないでいた。少し怖かったのかもしれない。慎重に言葉を選び、自分の気持ちに重ね合わせ、これか、いや違う、と逡巡をくりかえしていた。

でも今日、その文章……たった3000文字ちょっとの長さだけれど、それを最後まで書き終えることができた。書いている間、自分でもびっくりするほどの集中力で、ありったけの気持ちを注ぎ込み、一文字ごとにもがきながら、必死になってキーボードを叩いていた。自分の中に魂みたいなものがあるとしたら、今日一日で、ごっそり削れてしまっただろうと思う。

そうしたら、本当に最後の数行の部分で、自分でも思っていなかったような言葉……たった六文字の言葉が、すっと浮かんできたのだ。その六文字が入ることで、すべてがぴったりと重なり合う。これで書ける、とようやく確信することができた。最後の一行まで書き終え、最初から読み直した時、バカみたいだけれど、ちょっと涙が出そうになった。

「書く」というのは、たぶん、こういうことなのだ。だから僕は、この仕事を続けているのだと思う。