Category: Diary

幸せな日々


月曜の朝、インドから日本に戻ってきた。ラダックのレーからデリーで乗り継いでの飛行機の旅は、今までになかったほど順調だったのだが、ちょうどいい時間に乗ったはずの成田から吉祥寺までのリムジンバスが都心で大渋滞につかまってしまい、それが一番疲れた(苦笑)。

一年ぶりのラダック。約4週間の滞在のうち、後半はガイドとしてのツアー添乗の仕事でほとんど埋まっていたし、自分自身の取材に割けた時間はほんのわずかだったのだが、それでも、ひさしぶりに手応えのある、自分自身でも納得のいく取材ができたような気がしている。自分本来のやり方が間違っていないことを、しっかり確認できたというか。

それらを差し引いても、今年のラダックで過ごした日々は、本当に幸せな日々だった。こんなにも穏やかな時間を過ごさせてもらっていいのかなと、ちょっと申し訳なくなるほどに。

その日々のことは、9月に予定している小さな写真展などでお見せできればと思う。お楽しみに。

暗い時代への道程

朝起きて、ベッドシーツと最後の洗濯物を洗濯し、近所のコインランドリーで乾燥機にかける。乾燥が終わるまでの間に、近くの小学校に行って、参院選の投票。人の集まりは……鈍かったように思う。選挙なんて所詮は他人事と勘違いしている人も多いのだろうか。

世界は今、暗い時代への道程をまっしぐらに進んでいるように思える。世界の至る場所でテロが発生し、この調子だと日本国内で起こるのもたぶん時間の問題だ。テロよりももっと大きな、内戦や、国同士の戦争も、いつどこで起こっても不思議でないきな臭さが漂っている。日本では、政府に脅されたマスメディアが口を閉ざし、教育の現場すら萎縮している。知るべきことは伝えられず、言うべきことも自由に言えなくなっていく。何て窮屈な世の中になってしまったのだろう。

家に戻って、カメラザックに撮影機材を詰め、荷物をまとめる。明日から約4週間のラダック滞在。帰国する頃までに日本がどんな国になってしまっているのか、ある意味怖い。まあでも、とりあえず、いってきます。

すべりこみセーフ

来週からインドに行くというのに、今週になっても、大学案件の取材があったり、諸事情で着手できないでいた書き仕事があったりして、なかなか仕事がすっきり片付かないでいた。今年は常にこんな風にばたばたしてるような気がする。

今日の夜になって、どうにかこうにか、全部の原稿を納品し、請求書を作って投函し終えた。これで全部終わり、のはず。本当に、ぎりぎりすべりこみセーフといった感じだ。

あ、荷造り……まだ全然できてない……(汗)。明日やろう、明日……。

バングラデシュの記憶

バングラデシュの首都ダッカのレストランで、日本人を含む外国人20人が殺害されるテロ事件が起こった。バングラデシュでは去年から日本人や外国人が殺害される事件が時々起こっていたが、これほど大規模なテロは今までになかった。巻き込まれた方々のことを考えるとやりきれない思いがある。

僕がバングラデシュを訪れたのは、2年前の2月。ほんの10日ちょっとの旅で、自由時間もろくにないプレストリップだったが、それでもあの国の魅力は直に肌で感じることができた。膨大な数の人々がうごめくように暮らす巨大都市ダッカ、みずみずしい水田が広がる農村、霧に閉ざされたマングローブの密林、そして、穏やかでシャイで、人なつこい人々。彼らのはにかむような笑顔を思い出すと、なおさら胸が苦しくなる。

テロはもちろん絶対に許されない行為だし、今のような状況下でバングラデシュを旅したりするのは無謀だ。でも、「テロで日本人が殺された怖い人たちの国」という変なレッテルがバングラデシュに貼られてしまうのは、それはそれでよくないとも思う。いつかまた、いろんな物事が良い方向に動くようになるといいのだが……。

亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

つながっていくもの

昼、横浜へ。中華街で2週間ほどやらせてもらっていた、ラダック写真展の撤収作業。パネルを外し、テープをはがし、梱包し……という作業に、黙々と取り組む。

お店の方によると、僕が在廊していない日でも、結構いろんな人が展示を見に来てくださっていたのだそうだ。近隣の方はもとより、埼玉とか、大阪とか、はるばる遠方から来てくれたフットワークの軽い方々も。ありがたいことだなあと思う。

昨日の夜に来ていたお客さんたちで、初対面なのに、今年の夏にほぼ同じ時期にラダックに行くからと、お酒を飲みながらすっかり意気投合してしまった方々もいらっしゃったそうだ。そんな風にして、写真展をきっかけに出会いや縁がつながっていくというのも、面白い。飲食店内での展示ならではのめぐり合わせかもしれない。

伝えていくこと。つないでいくこと。僕の役割は、そういうことなのかな、と思う。