Category: Diary

初期化して再構築

ここ数年、仕事の隙間を縫うようにして、アラスカに少しずつ通っている。あと3週間ほどしたらまた、彼の地へと飛ぶ予定だ。

「ラダックの次は、アラスカをやるんですか?」という風によく訊かれる。そうである部分もなくはないけど、その通りとも言えない。まず、ラダックとはこれからも、ライフワークというか、自分の担うべき役割を果たすために、ずっと関わり続けるつもりでいる。アラスカでの取材は、ラダックとは別の基軸に位置付けて、並行する形で取り組んでいる。ただ、ラダックでこれまでやってきたやり方と、アラスカでこれからやろうとしているやり方とは、自分の中では、かなり違う。まったく別のアプローチを試みていると言ってもいいかもしれない。

その違いは、目先のテクニックやノウハウではなく……自分以外の他者、周囲の世界そのものに対する、向き合い方や考え方の違いなのだと思う。ラダックでの日々も含めて、今まで生きてきた中で積み重ねてきたものを、ばっさりと全部初期化して、ゼロから再構築していくような……。そうして初期化して再構築した結果が、これまでの自分と全然違うものになるのか、それとも同じ答えに行き着くのか、まだわからない。本当に答えが出るのかどうかも、わからない。再構築しきれずに、ボロボロと崩れてしまうのかもしれない。

答えの見えない、闇の中へ。怖いし、不安だし、迷いもある。でも、やっぱり、進むしかないんだろうな。

春一番と微笑がえし

目を覚まして寝床から起き、居間の窓辺に行くと、やけに強い風が吹いている。春一番が吹いたらしい。もうそんな季節か、早いなあと思ったが、それでも去年よりは3日遅かったそうだ。外に出ると、もう4月かと思うくらい、空気がぬくい。

「春一番」と聞くと、今でも反射的にキャンディーズの歌が脳内にこだまするのは、一番脳がやわらかい小学校低学年の頃に、彼女たちの歌をたっぷり刷り込まれたからだと思う。でも、「春一番」で最初に浮かんでくるのは、このタイトルそのものの曲ではなく、「微笑がえし」の方だ。歌い出しが「春一番が〜♪」なので、そういう連想をしてしまうのだと思う。

……こういう文章を書いてみても、そもそも「キャンディーズ」をリアルタイムで知っている人がもはや周囲にあまりいないという現実……深まる孤立感……(苦笑)。

カレーのカタルシス

終日、部屋で仕事。今週に入って依頼された、新規案件の原稿を書く。別に大がかりでもなく、それほど難しくもない内容なのだが、まだあまり感じがつかめていないので、形にするまでにちょっと手間取る。まあ、おいおい慣れていくだろう。

夕飯は、ひさしぶりにカレーを作った。カレー用の豚バラと、じゃがいもとにんじん。玉ねぎはみじんぎりにして、あらかじめよく炒めておく。ルーは定番のジャワカレー辛口。最近、袋入りの粉末状になって、かなり扱いやすくなった。

それにしても、カレーというやつは、ルーを使って家で作るには簡単な料理なのに、ごはんと一緒に皿に山盛りにして、はふはふ言いながら口に運び、食べ終えてからソファに背を預けて、ふーっ、と息をついた時のカタルシスたるや、ほかの料理と比べて群を抜いていると思うのだが、なぜだろう。日本人、そんなにカレーが好きなのか。食べ終わった後の洗い物は、めんどくさいけど。

うまければいいというわけではない?

文章、あるいは写真について論じる時、「うまければいいというわけではない」という言い方をする人がいる。

確かに、上手だったらそれでいいはずなどなく、表現したり伝えたりするものが熱意とともに込められていなければ意味がない。でも、それをその人自身にスキルが不足していることの言い訳にするのは、ちょっと違うと思う。特に仕事として本や記事を作ったりする人は、なおさら。「うまければいいというわけではない」のは確かだが、「うまければそれに越したことはない」のも間違いなく事実だ。あるテーマについて複数の人が同じ熱量で表現しようとしたら、そこにはスキルの差が如実に現れるのだから。

文章にしろ、写真にしろ、ほかの何にしろ、仕事として取り組んでそれで報酬をもらっているなら、あーだこーだ言い訳をするのは、みっともない。自分自身、肝に命じようと思う。

億劫になる

ここしばらく、ずっと東京の自宅マンションで仕事をしている。去年の10月末にタイから戻ってきて、年末年始に2泊3日で安曇野に行ったのを除けば、かれこれ3カ月半、ずっとだ。

こういう日々がしばらく続くと、旅に出るのが、億劫になる。自分の身体になじんだ寝床。仕事机、ワークチェア、光回線に繋がっているパソコン。ステレオから流れる好きなラジオ番組。腹が減れば、食べたいものを好きに作れる台所。ちゃんと熱いお湯の出るシャワー。自分なりに快適で、楽で、落ち着ける場所。

でも、そのうち、出発しなければならない時が来る。嫌になるくらい早い時間にセットした目覚ましを止め、ダッフルバッグとカメラザックを担いで、扉を開け、鍵をかける時が。異国の見知らぬ場所で、きょろきょろあたりを見回しながら、右往左往する自分。快適でもなく、楽でもなく、落ち着けるはずもなく。

だけど、そんな時間もまた、僕の人生の一部だ。