Category: Diary

命の在り処


昨日の夕方、アラスカからシアトル経由で日本に戻ってきた。

冬のアラスカを訪れたのは初めてだったが、思い切って行ってみて、本当によかったと思う。実際に行ってみなければ絶対に感じ取ることのできないものが、あの場所にはあった。冷え切った風に晒されているだけで身の危険を感じるほどの雪と氷の世界。でも、いや、だからこそ、そこには無数の命が潜んでいるのだとわかった。

アラスカでの旅の時間を積み重ねながら、自分が書こうとしているもの、伝えようとしていることの輪郭が、ほんの少しずつ、見えてきたような気がする。それがどこに行き着くのかは、まだ、自分でもまったくわからないのだけれど。

Into the Wilderness

明日から約1週間、再びアラスカに行く。

明日の夕方発の飛行機に乗り、シアトル経由でアンカレジへ。翌朝、鉄道に乗ってタルキートナという小さな町まで行き、そこからセスナに短時間乗せてもらって、原野のど真ん中にある湖に着氷(湖面は凍結しているから)。湖のほとりにあるロッジに数日間滞在し、スノーシューを借りて周辺を歩き回り、写真を撮る。

楽しみではあるのだけれど、同じかそれ以上に、怖い、という気持がある。半年前、南東アラスカのクルーゾフ島で味わった、あのぞわぞわするような感覚が、また甦ってくる。答えの見えない真っ暗な淵に佇み、飛び込むかどうか、逡巡するような……。いや、自分でもわかっている。飛び込むしかないのだ。たとえ結果がどうなろうとも。

帰国は14日(火)夜の予定。では。

ビフテキとメーテル

昼の間に、推敲を終えた原稿を納品。これで出発までに終わらせる必要のあった仕事は全部片付いた。夕方になって雨が止んだので、歩いて吉祥寺へ。昨日の荷造りの時に足りないと気付いたものをいくつか買う。

晩飯は、吉祥寺の立ち食いステーキ屋で、リブロースステーキ。隣では僕よりも年配のおじさんがものすごい量のサーロインステーキをもりもり食べている。カウンターの反対側では若い女の子が一人で食べてるし、カップルも二組ぐらいいる。野郎御用達の店かと思いきや、客層もいろいろだ。

僕的には、「ステーキ」よりも「ビフテキ」という言葉の方が好きで、何だか愛着が湧く。子供の頃に見た「銀河鉄道999」で、メーテルが何かにつけてビフテキを食べていたのが、ほんとにうまそうで。あれによる脳への刷り込みは半端なかったと今でも思う。

ちなみに「ビフテキ」の語源は「ビーフステーキ」ではなく、フランス語の「ビフテック(bifteck)」という説が有力なのだそうだ。どっちにせよ、カタカナ4文字の「ビフテキ」が、一番うまそうだな。

旅の荷造り

昼の間に、手元に溜まっている最後の原稿をどうにか書き上げる。近所の中華料理店で回鍋肉を食べた後、来週水曜からの旅の荷造りに着手。

Eチケットやバウチャーなど必要な書類を確認して2セット揃え、貴重品関係とまとめる。一番大きなダッフルバッグにスノーブーツを入れ、厳寒期用の衣類と小物と下着類。タオル、洗面道具、常備薬などを詰めていく。撮影機材は大きい方のカメラザックに詰める。こういう作業をしながら、カメラのバッテリーを1本ずつ、全部で7本充電する。足りないもの、買い足した方がいいものもいくつかある。明日、買いに行ってこなければ。

めんどくさい、荷物重たい、やだなあ、と思いつつも、少しずつ、旅のスイッチがオンになっていく。もうすぐだ。まだ、見たことのない世界へ。

老いに思う

僕もまあ、なんだかんだで、ええ歳こいたおっさんである。白髪は増えたし、肌もくすんできた。身体も昔ほど無理が効かない。長めの海外取材の後など、疲労が抜けるのに時間がかかるようになった。

とはいえ、別に、歳を取っていくことを毛嫌いしたり、恐れたりはしていない。まあ、それはそれで人間のあるべき姿だと、従容と受け入れている。だから、老いを隠そうとか、無理に若づくりをしようとかは、まったく思わない。いいじゃん、別に、年相応で、と。

ただ、同じ老いるのでも、自分自身の操縦桿を手放してしまうような老い方はしたくないな、とは思う。それは、身体の自己管理だけでなく、周囲の人との付き合い方とか、仕事への姿勢とか、もっと言えば心のありようとか。それが許される状況であるかぎり、なるべく操縦桿は自分自身の手で握っていたい。

そうでなくても、人間はしばしば困難にぶち当たって、自分ではどうにもならない理由で制御を失ってしまうのだ。単なる怠惰や妥協に身を任せてしまうのはもったいない。