Category: Diary

隔日ビール

アラスカに1週間行ってたり、その後珍しく風邪をひいたりして、少しのブランクはあったものの、年明けからの室内エクササイズ(腕立て伏せ、腹筋、スクワット)はまだ続けている。回数をこなすのもだいぶ楽になったが、むやみに回数を増やしても飽きてくるような気もするので、とりあえず現状維持。体重も、標準とされる体重(身長から110を引いた数字)からマイナス1キロくらいまで落ちた。年末の時点から約4キロ減。これから気温が上がれば、夏までにたぶんあと1、2キロは落ちるだろう。

エクササイズと並行して、以前は毎日晩酌に飲んでいたビールを2日に一度のペースに減らしたのも、意外なことに年明けからずっと続いている。まあ、飲み会の時には好きなように飲んでるのだが、それでも家飲みのビールが半減というのは、結構でかい。僕はどちらかというと酒には強い方の部類の人間だと思うが、それでも肝機能を1日おきに休ませていると、身体もだいぶ楽なのだろうと思う。あと、経済的にもだいぶ助かる(笑)。

最初のうちは、ビールを飲まない日の夜は結構禁断症状が出ていたのだが(苦笑)、「じゃあ今夜はジンジャーミルクティーをたっぷりいれようかな」とか、ビール以外の何か(もちろんハイカロリーなものではなく)で代替させたりしてるうちに、だんだん慣れてきた。結局、口寂しかっただけなのかもしれない。まあ、海外を旅している時は1週間も10日も飲めないような時はざらだけど、別に普通に生きていられるわけだから。

この歳になると、周囲には結構な割合で、痛風に悩む人たちが出てきている。明日は我が身。なるべく末長く、美味しくビールが飲めるように、できる範囲で節制していこうと思う。

もしも明日人生が終わるとしたら

飲み会の席で、こんなことを訊かれた。

「もしも明日人生が終わるとしたら、最後の日、何をしたいですか?」

さて、何をしよう‥‥と考えてみると、意外なほどすんなりと、自分の場合はこれだな、という答えが出た。

その時点で手元にある、未発表の写真や文章。それを残された24時間(せめてそのくらいの時間はもらいたい)を使って、できるだけ選んで整理して、何らかの形で発表できるようにまとめる。最低限の準備しかできないだろうけど、まあそれは仕方ない。まとめた素材は、信頼できる人に「すみませんが、これをお願いします」と託す。

その後、もし時間が少し残っていたら、ビールを飲みながら何かおいしいものが食べたい。営業時間内だったら、リトスタがいいな。家から近いし。飲み食いし終えたら、家に帰って、まあこんなものかな、と思いながら、その時を待つ。

「そうして発表されたものが読者にどんな風に受け取られるか、知ることができなくてもいいんですか?」と訊かれた。反応を知る時間がないのは確かに残念だけど、褒めてもらうのが目的ではないから。伝えられれば、それでいい。

実際に、そんな風に終えられたら、いいかもな、と思う。

社会人になりきれず

今朝、FacebookやTwitterのタイムラインを見ていると、「新社会人」という言葉がたくさん目についた。そういえば今日は、そういう日だったか。

自分が新社会人デビューした頃をふりかえってみると‥‥あれ? 記憶が‥‥まったくない‥‥。

考えてみれば、あの頃の僕は、やることなすことむちゃくちゃだった。大学4年の途中で授業を全部放棄して、1年半の自主休学。とある出版社でバイトをして金を貯め、4カ月間の旅に出て、帰国してからまたバイト。大学6年目にあたる年の春から学校には戻ったが、バイトに明け暮れてろくに授業にも出ないまま、ほうほうのていで卒業。その後も正社員として就職することは一度もなく(「正社員にならないか?」と言われても断っていた)、編プロや出版社でしばらく働いては旅に出る、というのをくりかえしていた。

だから僕の場合、学生から新社会人になった時の境界線が、ものすごくあいまいなのだ。ことによると、未だに真っ当な社会人には、なりきれていないのかもしれない。

でも、まあ、それはそれで、僕にとっては、よかったのかな、とも思う。社会に用意された型に嵌まらない、いびつな存在のままでいられたから。

取材抜きの旅

この間のトークイベントの打ち上げの席で、「取材を抜きにして、世界のどこへでも旅に行けるとしたら、どこに行きたいですか?」と訊かれた。

ふりかえってみれば、たぶんここ10年くらいの間、完全に取材を抜きにして海外を旅したことは、一度もなかったと思う。依頼される形での旅はもちろん、完全に個人的な動機からの旅でも、目的は取材だった。現地を旅しながら、写真を撮り、細かくメモを取り、日本に戻ってから何らかの形でまとめて発表する。本や雑誌、Webサイト、写真展、トークイベント。いつのまにか、取材をしながら旅をすることが、当たり前のようになっていた。

取材とか仕事とか、いっさい抜きにして、旅に出る。それは気楽で楽しいかもしれない‥‥と思いかけて、はたと気付いた。今の僕にとって、取材をいっさいしない旅というのは、とても居心地の悪い、つまらない時間になってしまうだろうということに。

旅をしながら、見て、聞いて、感じて、撮って、書いて、それを誰かに伝える。そういうことをひっくるめた全部が、僕にとっての旅なのだと思う。

悪気はなかった

たとえば、の話である。

ある人が善意で募金活動をしていた。その人が配っている手製のチラシに、なぜか、僕が昔撮った写真が使われていた。どうやら、その人がネットで画像検索してどこからか見つけたものを、チラシにするのに具合がいいからと、そのまま使ってしまったらしい。

「それは僕の写真です」と僕はその人に言う。善意の募金活動でもあるし、掲載料を払えとは言えないが、それでも「無断で使用するのは困ります」とは言わなければならない。その写真を撮影した者として。

「すみませんでした。悪気はなかったんです」とその人は言う。別の写真に差し替えます、とも。僕には何だかもやもやした気持ちが残る。細かいことにツッコミを入れて、意地悪な仕打ちをしてしまったような。

そういう場合の、そもそもの解決策。

たとえ善意の目的だろうと、無償の奉仕だろうと、ネットで拾った画像を使って何かを作ろうなんて発想をするな。必要な素材は、それを所有する人間に「使わせてください」と、頼め。

考えてみれば、当たり前のことだ。その当たり前の手順を踏めない人が、世の中には多すぎる。