込めるのは、気持か、心か

昨日の夜、ふっと思い浮かんだことなのだのだけれど。

文章を書いたり、写真を撮ったり、あと、絵画や音楽やその他いろんなものづくりをする時には、「自分自身の気持を込める」ことが大事だ、とよく言われる。もちろん、状況や求められるものによって違いはあるだろうけど、必要なクオリティを保った上で、その時その時の気持や感情をどれだけ表現できるかというのは、確かに重要なスキルなのだと思う。

ただ、僕自身だけに関して言えば、経験上、自分の気持や感情を写真や文章に込めようとして、うまくいった記憶がほとんどない。うっかりそうしようとすると、水が多すぎて炊き上がりがべしゃべしゃのごはんみたいになってしまう(苦笑)。理由は簡単、要するにヘタクソなのだ、感情表現が。

僕の場合、写真や文章に込めようとしているものがあるとしたら、その時その時の感情というより、もう少し胸の奥の方にもやっとある、心というか、思い入れというか、そういうものなのだろう。それはどうにも直接的に表現しづらくて、変な話、無心に黙々と一生懸命取り組むことで、やっと、そこはかとなく宿るかどうかというものだと思う。

こんなことをあらためて考えたのも、この間読み終えたある本が、抑制の効いた筆致で淡々と書かれていながらも、本当に真心のこもった、素晴らしい文章だったからだ。そのレビューは、またあらためて。

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