シュンドルボン国立公園を後にした一行は、世界遺産に指定されているシャット・ゴンブズ・モスジッドのある町、バゲルハットへ。他の人たちからしばし離れて、一人でぶらついていると、どきりとするほど美しい少女が、おずおずと「あの‥‥私の写真を撮ってくれませんか?」と声をかけてきた。
バゲルハットの町にある土産物屋通りを一人でぶらぶら。傾いた日射しが穏やかに周囲を照らす。この頃になると、こうして少しでも隙を突いて、一人で歩き回る時間を捻出しようとしていた(苦笑)。
国内に無数の川が流れるバングラデシュでは、橋は非常に重要な存在だ。大河をまたぐ橋の多くは、日本からの援助によって造られている。この国を訪れる外国人の半数以上は実は日本人で、その半分近くはビジネスマンだ。そんなこんなでバングラデシュの人々は、日本人に対してとても好意的だ。
ジョショールという町からダッカに飛ぶ飛行機に乗るはずが、機材トラブルによるフライトキャンセルで一日足止め。でもそのかわり、バスで移動した翌日には、ポッダ川(ガンジス川)を渡るフェリーに乗ることができた。僕としてはこちらの方がうれしい。
東部の都市チッタゴンからさらに東にある小さな町、バンドルボンに到着。この一帯はチッタゴン丘陵地帯と呼ばれ、ミャンマーに近い仏教徒の少数民族の村が点在している。僕たちが訪れたボンという村はキリスト教徒の村だったようで、村の中には質素な教会があった。おそろいのカチューシャをした女の子たち。
チッタゴンから空路ダッカに戻った日は、ベンガル語国語化運動記念日という祝日。セントラル・ショヒド・ミナールと呼ばれる記念碑の周辺には、大勢の人々が集まっていた。この女性が頬に描いてもらっているのは、バングラデシュの国旗。
セントラル・ショヒド・ミナールの前では、カメラを手に待ち受けるジャーナリストたちの前で、人々が次々に花を手向けていた。この献花は丸一日にわたって続くという。
ブリゴンガ川に面したオールド・ダッカの船着場、ショドル・ガット。やはりこの光景を見なければ、ダッカにまで来た気分にはなれない気がする。
ブリゴンガ川を行き交う小舟。バングラデシュという国は、水とともに暮らす人々の国なのだということを実感する。
ツアー最終日は、ダッカ市内でのショッピングやら、お金持が集まるクラブでの昼食など、僕にとってすこぶるどうでもいいプランが用意されていた。某新聞から派遣されていたライターの方と結託して、ダッカ近郊を走る列車の取材許可を強引にもぎ取る。朝、CNG(インドのオートリクシャーに似た、圧縮天然ガスで走る車)に乗ってコムラプール駅へ。渋滞で停まった車の狭間を、人々が平然と通り抜けていく。
ダッカ市内の中心部にあるコムラプール駅。人々が線路を横切ってプラットホーム間を移動していく。
僕たちが乗ったのは、デモ・トレインと呼ばれる比較的新しめの中国製の列車。車内もかなりきれいで清潔だったが、それでもこの混雑っぷり。
他の列車は、車外もこんな感じに。車体の横腹にも、屋根の上にも、人が鈴なり。ある意味、命がけの無賃乗車。
機関車の最前部にも人が。イキがってる若者たちのようだ。ちょっと急停車でもしたら全員吹っ飛ばされそうで、見ていてヒヤヒヤする。
列車の車内でバパピタを売っていた男の子。おいしかった。ありがとう。
というわけで、自分の団体行動への不適格さをあらためて痛感した(苦笑)ファム・ツアーだったが、バングラデシュという国自体は本当に気に入った。特に、人の写真を主に撮っているフォトグラファーにとって、この国の素朴な人々との出会いは、素晴らしい経験になると思う。僕もまた、この国を訪れてみたい。もちろん、次は一人だけで(笑)。