Month: September 2010

人に会う

雨が降るたびに、めっきり涼しくなっていく。夏ももう終わりだ。

昼、渋谷でラダック生まれのチベット人の友人と会い、チョグラムサルにある彼の実家から預かってきた荷物を渡す。彼は来週、槍ヶ岳を登りに行くのだという。僕も誘ってもらったが、その頃はいろいろバタバタしていそうだったので断念。たまには日本の山も歩いてみたいのだが。

午後、渋谷から原宿まで歩いて、とある編集の仕事の打ち合わせ。この案件、まだラダックにいる頃にメールで打診があったのだが、作業が本格化するのはもう少し先になりそう。先方の事務所は人手が足りなくてかなり忙しそうだったので、来月あたりに別の地方取材の案件をお手伝いすることになった。

夜は、鎌倉在住の文化人類学者の友人と、新宿の陶玄房で飲み会。さんまの天ぷらがうまい。この友人にも、ラダックから預かってきた荷物があったので、それを渡す。ラダックの人々とある程度関わると、こうして運び屋にさせられることが常態化するのだった(笑)。

それにしても、今日はたくさんの人に会った。何だか新鮮(笑)。

インドの変貌

インドを訪れたのは約二年ぶりだったが、その急激な変貌っぷりには、つくづく驚かされた。

今年十月に開催されるコモンウェルスゲームに備えて、デリーの街はどこもかしこも道路工事現場だらけ。パハルガンジに至っては、道にはみ出していた商店の軒先が無理やりぶった切られてしまっていて、もうメチャクチャな状態だった。大会の開幕までにはとても間に合いそうになかったが‥‥間に合わないだろうな、やっぱり。

デリー国際空港では、七月に第三ターミナルが新しくオープンしていた。このターミナルは、本当にピッカピカのゴージャスな造りで、ふかふかのソファが並んだラウンジや、こじゃれたコーヒーショップや、ガラスの蓋をかぶせて並べられた高級クッキーの店などがあった。最近のインド経済の好調さを象徴するような光景。インド本来のイメージとはちょっとかけ離れているかもしれないが。

変わったといえば、エアインディアも変わった。老朽化して機内の至るところが微妙に壊れていた(苦笑)ジャンボ機に代わって、最新型のボーイング777が就航。エコノミークラスでも座席はゆったりしていたし、各座席には液晶モニタが備え付けられていて、いつでも好きな映画を選んで観ることができた。ジャンボ機だった頃の苦行のようなフライトに比べると、嘘のような快適さだ。

でも、機体が最新型になっても、エアインディアのキャビンアテンダントはあいかわらずだった。隣の人のコップに水を注ぐ時、下にトレイも何も添えなかったせいで僕の膝にどぼどぼと水をこぼしてしまい、しかもそれを詫びることもない(苦笑)。アバウトというか何というか。

帰りの飛行機の中で、キャビンアテンダントがドリンクのカートを運んできたので、ビールを頼むと、ぬっ、と缶ビールを二本差し出してきた。「一本でいいですよ」と伝えると、そのキャビンアテンダントはこう言った。

「ワン・ビア? グッド!」

何がグッドだ。君にタメ口で酒量の節制を褒められるいわれはない(笑)。

おおざっぱになる

ラダックから日本に戻ってきて、痩せたことと、日焼けしたこと以外で自分が変わったなと思う点。それは、普段の立ち居振る舞いが、びっくりするほどおおざっぱになっていたことだ。

たとえば、外出先から帰ってきた時、財布や鍵と一緒に、眼鏡やiPhoneまでぽいっと机の上に放り投げそうになったり。洗面所で、ばしゃばしゃとそこら中に派手に水を飛び散らせながら顔を洗ったり。台所でインスタントラーメンを作る時、説明書をまったく無視して行き当たりばったりに作ったり。うまく説明しづらいのだが、とにかく、やることなすこと、ものすごくテキトーでおおざっぱになってしまったのだ。これでも、自分は結構神経質な人間だと思っていたのだが‥‥。

たぶんこれは、僕がラダックに行っていたからというわけではなくて、長旅から帰ってきた人間に共通する症状なのかもしれない。長い間、ざっくりおおらかな日々を過ごしてきたから、日本のきちっとした暮らしぶりに自分をアジャストできていないのだろう。

まあ、何から何まで戻してしまう必要はないと思うけど、とりあえず、眼鏡やiPhoneをうっかり放り投げそうになるのは直さなくては(笑)。

日に焼けた肌

この週末、吉祥寺や三鷹の界隈では、あちこちでお祭りが行われていた。ちょっと近所を出歩いただけでも、法被姿の人たちが「ワッショイ、ワッショイ」と声を上げながらお神輿を担いでいるのに何度も出くわした。今年の夏はずっと日本にいなかったから、ようやく夏が来たと思ったら、あっという間に駆け去られてしまったような気がする。

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ラダックから日本に戻ってくると、「痩せましたね」と同じくらいよく言われるのが、「日焼けしましたね!」という言葉。確かに、顔や二の腕などの服の外に出ている部分は今や真っ黒焦げの状態だ。ただ、僕はもともと色白なので、あと一カ月もすれば元に戻ってしまうに違いない。夏らしく健康的に見えるのは、たぶん今のうちだけ(笑)。

ところで、「ラダック人は肌の色が浅黒い」と思っている人は多いようだが、実はあれも日焼けによるものだ。服の下は結構生っ白い肌だったりするので、それを見ると、同じモンゴロイドなのだなと実感する。逆に言えば、それだけラダックの日射しが強烈ということなのだが。

東京で、雪のように白い肌をした女の子たちが、日傘の陰で身体をすぼめるようにして歩いているのを見ると、あー、僕はもう、ラダックで紫外線を一生分浴びてしまったのかもなあ、と思う。

ラダックで痩せた理由

残暑は厳しいけれど、肌を撫でる風には、どこかひんやりとした秋の気配がある。

終日、部屋でブログの制作。これまでの著作やインタビュー記事を紹介する「Works」のページと、写真のポートフォリオをまとめた「Portfolio」のページ。完成までもっと時間がかかると思っていたが、画像は前のブログのものを流用しても問題ないことがわかったので、ソースコードだけテキストエディタでごりごり書いた。あとは、前のブログでもちまちま更新していた、iPhoneで撮った写真をサイドバーに載せる仕組みを導入したいのだが、あてにしていたプラグインのダウンロードページが消滅している‥‥。しばしお待ちを。

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ラダックから日本に戻ってくるといつも、「痩せましたね。大丈夫ですか?」と言われる。今回も、確かに痩せた。家に体重計がないので正確な数値はわからないけど、腹回りなどはすっかりぜい肉が削げ落ちて、腹筋の両脇、肋骨の下のあたりはぽこっと凹んでしまっている。

たぶん日本の人たちは、僕がラダックで質素な食生活を送っていたから痩せたと思っているのだろう。ま、確かに豪華とはいえないが、メシを食っている量自体は、むしろ日本で暮らしている時より多い。日本では昼と夜の二食だけど、ラダックでは一日三食だし、デチェンがおいしい晩飯を作ってくれる時などは、宿の息子たちよりも多い量をおかわりして食っている。

僕が痩せた理由は単純。トレッキングだ。あの重いカメラバッグを担いで、標高五千メートルの山の中を一日に六、七時間も歩き回っていたら、どんな人でも絶対に痩せる(笑)。結局、ダイエットというのは、「需要」が「供給」を上回れば、誰でも成功するものなのだと思う。

今、痩せたくて痩せたくて仕方がないという方は、ラダックに行って、山の中をさまよい歩いてみてください(笑)。