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どっしりとしたもの

最近になって気付いたのだが、僕はどうやら、軽やかなものよりも、どっしりとしたものの方が好きらしい。コーヒーは昔からもっぱら深煎りだし、ビールならIPA、ウイスキーならスモーキーなフレーバーの方がいい。

文章も、何も考えずにさらっと読めてしまうものより、わかりやすさは維持しつつも、一言々々に余韻がにじみ出るような文章を書きたいと常々思っている。写真もそうだ。パッと見が派手で映えるものより、被写体の存在感がじわじわと伝わってくるような写真を目指すようになった。

こういう僕はたぶん少数派に属する人間だし、僕が手がける文章や写真も、多数派に受け入れられるものではないのかもしれない。まあでも、それはそれでいいか、と思う。ちゃんとしたものを作れば、それはきっと意味のある形で残る。

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ケン・リュウ『母の記憶に』読了。とにかく上手いし、アイデアも多彩。『紙の動物園』でも感じたのだが、彼のルーツである中国やアジアの血脈を感じさせる作品に特に惹かれる。この本では揚州大虐殺をテーマにした「草を結びて環を銜えん」と「訴訟師と猿の王」の2作が凄かった。

一年ぶりの丹沢表尾根


昨日は朝の4時に起きて、電車に乗って秦野へ。ヤビツ峠から塔ノ岳まで、丹沢表尾根を歩いてきた。ヤビツ峠のバス停から登山道の入口まで歩いて行く途中でいつも気になっている、謎めいた看板。

Laos, from Dawn till Sunset

真似と分析

文章にしろ写真にしろ、あるいは他の芸事にしろ、好きな作家の作品を真似することが上達の近道、と指南している例を時折見かける。それはまったく間違っているわけではないけれど、ただ闇雲に好きな作品の真似をするだけでは、レベルアップするのは、真似の精度だけだと思う。

自分はなぜその作品を良いと思うのか。その良さはどこからどのようにして現れているのか。作家はそのためにどんな工夫をしているのか。それらを一つひとつ仔細に分析して、自分なりの理屈に落とし込んでいくと、それを自分の作品に照らし合わせた時、自分の良い面と足りない面がわかってくる。そういった分析のための作業として好きな作品の模倣をしてみるのであれば、悪い方法ではない。

ただ……本当にすごい作品は、そうした小賢しい分析すらも軽々と凌駕してしまう、理屈からはみ出してしまうような「何か」を持っている。それは、けっして技術的なものさしでは測れないものだ。自分だけの「何か」を掴み取るために、書き手や撮り手や描き手は、今日も魂をすり減らしている。

寄り添う写真

昼、リトスタへ。写真展「Thailand 6 P.M.」に合わせて販売してもらうため、「ラダックの風息[新装版]」と「ラダック ザンスカール スピティ[増補改訂版]」を箱詰めして、家から両手で抱えて搬入。ちょうどランチの時間が始まったので、いわしの南蛮漬け定食とコーヒーをいただいて、本を読みつつ、しばし在廊。

地元の人や、この界隈でお勤めの人らしいお客さんが、30人弱ほどご来店。そこはかとなく耳をそばだてていると、「あら、写真が変わったわね! どこかしら?」「タイだって」「そういえば前にベトナムでさあ……」「誰それさんとカンボジアに行った時はね……」といった会話が、あちこちから聞こえてきた。何だか嬉しかった。今回の写真展は、ごはんを食べながらゆったりした気分で写真を眺めて、それぞれの旅の思い出話とかを楽しんでもらえたらなあ……というイメージで考えた企画だったからだ。

見る者を圧倒するのではなく、何気なく、寄り添うような写真。そういう写真も、あっていいと思う。

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アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳「島とクジラと女をめぐる断片」読了。小さくて悲しくて美しい「断片集」。個人的には「インド夜想曲」よりもこっちの方が好きだ。最後のクジラのひとことが、くっと胸に刺さった。僕もアラスカで、クジラにああ思われていたのかもしれない。