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ムズカシイ本を読むこと

例によって、最近また、まったく読書ができていない。帰国してから約1カ月、想定外の忙しさでばたばたしてるうちに、このていたらく。読みたい本は本棚で何冊も待機してるし、帰国してからも何冊か買い足した。ずいぶん前から読みかけの本もあるのだが、ほかと並行して読んでるうちに、それだけ取り残されてしまっている。

世の中に存在する本は、さらっと簡単に読めてしまうものばかりでなく、読みごたえがあるというか、読みこなすのに骨が折れる、難解な内容の本もたくさんある。そういう本は往々にして手が伸びなくなりがちなのだが、がんばって読み終えると、なんだかちょっと清々しくもなる。そこから身につくことも、たぶん少なからずある。

以前取材した、とある大学の先生が、若いうちにムズカシイ本をがんばってたくさん読んでおくと、あとで読むよりずっと身につく、という意味のことを話していた。それが本当かどうかはわからない。僕自身、確か中学生になるかならないかの頃に、父からヘルマン・ヘッセの全集をあてがわれて、頭を抱えながら読んだ記憶があるが、はたして、それで賢くなれたのかどうか。

ともあれ、来週からのタイ取材、忙しいのは目に見えてるが、とりあえず、読みかけの本は持って行く。もうまったく若くはないけども。

醒めても夢

朝6時に起き、買い置きのランチパックをほおばり、取材道具を携えて、渋谷へ。朝イチからの取材は、通勤ラッシュにも巻き込まれるので、なんだかんだで疲れる。

取材を終えた後、昼過ぎに家に戻る。仕事に取りかかる前にちょっと休もうとソファに横になると、そのまましばらく寝落ちしてしまった。

……目が醒める。なぜだろう、テレビの画面がついていて、音が聞こえる。ステレオの電源が入っていて、CDトレイが開いている。僕の身体の上に、誰がかけてくれたのだろう、毛布がかかっている。誰もいないはずなのに。いったい、誰が?

……本当に目が醒めて、身体を起こすと、テレビはついていないし、ステレオもついていない。身体に毛布もかかっていない。目が醒めたと思ったら、そこもまた夢の中だったのか。

それにしても、奇妙な夢だった。

便利な生活

今日は一日、部屋でゆっくり。おひるにそうめんをゆでてごまだれで食べ、まほろばさんの豆でコーヒーをいれ、InterFMをかけ流しつつ、インドで撮ってきた写真の現像作業。疲れたら、ソファに寝転がってうとうとしたり。

日本での生活は、あらゆることが便利だ。電気は停電することなく常に流れ、シャワーは一定の温度に保たれたお湯がふんだんに出る。本屋に行けば雑誌や本に情報があふれかえっている。インターネットは光回線でYouTubeでも何でも見放題だし、スマホも4G回線でスイスイつながる。友達が今どこで何をしているのかは、SNSでだいたい筒抜け。近所のコンビニまで歩いていけば、たとえ真夜中でも、何でも買える。アマゾンを使えば、家から一歩も出なくても、たいていのものが買えてしまう。

便利だ。確かに便利だけど……そういう便利さは、人が生きるという行為の本質ではない、という気もする。もっと不便で物が手に入らない場所でも、人は人として、あるがままに、のびのびと生きていける。ラダックで、アラスカで、僕はそう教わってきた、と思っている。

「Sultan」

成田からデリーに向かうエアインディアの機内で二本目に観た映画は、「Sultan」。サルマーン・カーンが主役のレスラー役、ヒロインはアヌシュカー・シャルマー。インド国内では大ヒットした作品だ。

総合格闘技プロモーターのアーカーシュは、強いインド人格闘家を求めて、インド式レスリングの元王者で、オリンピックのメダリストでもあるスルターンのもとを訪ねる。しかし彼が出会ったのは、かつての王者の片鱗のかけらもない、身体も心も緩み、疲れ切った男の姿だった。レスラーとして栄光を極めたはずのスルターンに、いったい何が起こったのか。親友ゴーヴィンドから語られたのは、スルターンとその妻アールファの身に降りかかった、悲しい運命の物語だった……。

好きになった女の子に自分の存在を認めてもらうために始めたレスリングで、世界の栄光の頂点に辿り着いてしまった男の、思いがけない挫折と、どん底からすべてを背負って這い上がる、再起の物語。映画の中では、スルターンとさまざまな選手との試合の模様が映し出されるのだが、結局、スルターンが戦っていたのは(途中で自分自身を見失いかけていた時期以外は)自分と自分の大切な人たちに降りかかった運命そのものに対してだったのだと思う。もう取り返しのつかない、失われてしまった大切な存在もあったけれど、でも、それでも、と。

あえて欲を言えば、スルターンの対戦相手たちにも、もっといろんな重い運命を背負ったライバルたちに出てきてもらって、しのぎを削ってほしかったな、とは思う。ともあれ、こういう役をやらせたら、インドではサルマーン・カーン以上の役者はいないだろう。ヒロインのアヌシュカーは、序盤の気が強くて溌剌とした演技も、途中からの影のある演技も、どちらもしっくりハマっていた。王道といえば王道、お約束といえばお約束な作品だけど、素直に観れば十分に楽しめると思う。

「Dear Zindagi」

二カ月前、成田からインドに向かうエアインディアの機内で最初に観たのが、「Dear Zindagi」。主演はアーリヤー・バットで、シャールクががっちりと脇を固め、監督は「English Vinglish」のガウリ・シンデー。面白くないわけがない、と期待していたのだが、はたして、予想以上の出来だった。

シネマトグラファーのカイラは、いつの日か自分らしいオリジナルの作品を撮りたいと願いつつも、今は目の前の仕事に追われる日々。ボーイフレンドは入れ替わり立ち替わり何人かいるのだが、長続きしないというか、自分でも彼らを本当に好きなのかどうかわからない。自分自身の心の奥に潜む不安定な何かを理解できないでいたカイラは、ひょんなことから実家のあるゴアに一時的に戻り、そこで出会った精神科医のジャグからカウンセリングを受けることになる……。

ネタバレになるのであまり事細かには書けないのだけれど、とにかくまず、アーリヤーの演技が素晴らしい。超絶美人女優が居並ぶボリウッドの世界で彼女はけっして図抜けた美女というタイプではないと思うが、表情の豊かさと役に応じてめいっぱい振り切ることのできる演技力で、今や唯一無二の存在になりつつある。そのアーリヤーの熱演をほどよく力の抜けた穏やかさで受け止めるシャールクの役割も絶妙だった。けっして恋人同士ではない、でもやがて、かけがえのない絆を感じさせるようになる、カイラとジャグの関係。今、インドでこういう人間関係を描かせたら、ガウリ・シンデー監督の右に出る者はいない。

日本での劇場公開が待ち遠しいこの作品、とりあえず今はNetflixで観ることができるようだ。とても良い作品なので、ぜひ。