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無事に戻る

僕が旅に出る時、相方は必ず「無事に戻ってくるんだよ」と僕に言う。

普通の旅なら、日本でも海外でも、事故や怪我や病気に遭遇する確率は、そんなに極端には変わらない。ただ、僕の場合、そういう確率がそれなりに高い場所に赴かなければならないことが、結構ある。いつも用心に用心を重ねて、犯さなくていいリスクは極力避けているし、そのおかげでか、これまではどうにか五体満足無事に戻ってこれている。でも、相方には心配をかけさせてしまって、申し訳ないと思っている。

今年初めに行った旅は、自分が今まで経験した中で、たぶん一番リスクの高い旅だった。出発前から、新田次郎の小説「孤高の人」の結末がちらついて、不安が頭から離れなかった。戻るべき場所ができると、それを失うのが、とてつもなく怖くなる。あの旅の途中で本当にきわどかった時は、「絶対に、ここでくたばるわけにはいかない。戻るんだ。何が何でも、戻るんだ」と、自分で自分に必死に言い聞かせていた。読んでもらえればわかると思うけど、今、本にしようとしているのは、そんな旅の話だ。

来年は、そこまできわどい旅をやらかすつもりはないけれど、やっぱり、「無事に戻る」ことを第一の目標にしようと思う。

知命

本の原稿に追われて、あくせくしている間に、気がつくと、五十回目の誕生日を迎えていた。

五十ともなると、もう、正真正銘のおっさんである。ここ数年の地味なトレーニングの甲斐あって、体力的には十年前とそんなに変わらないか、むしろ前よりやや動ける状態だとは思うが、そうはいっても、やはり、おっさんである。今も、家でボウモアのオンザロックをすするという、典型的なおっさんの行動パターンに従っている。

四十歳のことを「不惑」と呼ぶのは割とよく知られているが、五十歳のことを「知命(ちめい)」と呼ぶのは、意外にあまり知られてないような気がする。知命は、不惑と同じく、論語にある例の有名なくだりの中の「五十而知天命(五十にして天命を知る)」のことだ。

天命……自分にはそんな大層なもの、あるのかしらん、と、しばらく前までは思っていた。でも今は、なんとなく、そういうことだったのか、と腑に落ちるような思いもある。今作っている本が、そのことにつながっていくものの一つになるような気がしている。

とにもかくにも、知命。すっかり、おっさんである。

収納の追求

三鷹から西荻窪に引っ越してきて、一年と少々が過ぎた。引っ越し当初はバッタバタだった部屋の中もだいぶ落ち着いてきて、しっくりくるようになってきた感はある。

1LDKの部屋での二人暮らしなので、そんなに広々と使えるわけでもなく、収納スペースも割と限られているので、二人分のモノをいかに邪魔にならないように収納するかが、引っ越し当初からの課題だった。特に僕の方が、異様に本が多かったり(引っ越し前にだいぶ処分はしたのだが)、カメラ機材も多かったり、その上なぜかアウトドア関係のウェアやグッズもたくさんあったり(たとえば寝袋が春夏秋用と厳寒期用と2つもあったり)で、相方にだいぶ迷惑をかけてるので、収納に関しては相当に頭を使った。

役に立ったのは、やはり無印良品。使いやすいサイズ感とバリエーション、コスパは最強だと思う。最近では、酒瓶とかを安定して保管するための薄型の棚とかを無印で調達している。この週末も、壁に取り付けるフックなどを無印で物色してこようかと思案中。

広々とした家に住むのはそりゃ快適だろうとは思うけど、こぢんまりした家であれこれ工夫しながら居心地よく暮らすのも、面白いなあと思う。

切れる縁、切れない縁

子供の頃は、友達と何かでもめてケンカしたりしても、割とすんなり仲直りできていたように思う。

ケンカした後もこじれたままになるようになったのは、高校生くらいからだろうか。それなりに頭がよくなって、自分の行動に理屈をつけられるようになったからか。相性のよくない人とはある程度距離を置く、という小賢しい方法も使うようになった。

大人になってから知り合った人とも、何かのきっかけで、うまくいかなくなることが時々ある。ふりかえってみると、僕の場合はほとんど、仕事で繋がりのあった人とのトラブルだった。

自分が大切にしている仕事に関して、不義理なこと、筋の通らないことをされたなら、たとえ相手が企業だろうが何だろうが、黙って受け入れるわけにはいかない。相手が自身に非があると認めないのであれば、それまでと同じように仕事のやりとりを続けていくことはできない。謝ろうとしない相手を許すことなど、できるわけがない。

子供の頃のように、感情的な好き嫌いとか、お互いのどこが悪かったとか、単純にわかりあえるなら、謝ることも、許すことも、簡単なのだろうなと思う。とかく大人は、自分で理屈をつけて言い訳してしまうから、めんどくさい。そういう人を相手に、個人事業主としてまっとうに筋を通して生きていこうとするだけでも、むつかしい。

その一方で、これはもう切れてしまうかなと思っていた縁が、切れずに繋がり続けたという経験も、少ないながらある。それはたぶん、お互いがお互いにとって大切な存在だったから、それぞれが少しずつ歩み寄って、繫ぎ止めることができたのだろうと思う。逆に言えば、何かがあっても歩み寄ろうと思えない間柄は、遅かれ早かれ、離れていくということなのだろう。

切れる縁は切れるし、切れない縁は切れない。そういうものなのかなと思う。

ぽんこつ物書き

本を書いている時の物書きは、脳内が常時、文字で埋まってしまってるので、往々にして、日常生活でぽんこつな振る舞いをしでかす。

たとえば、僕自身がついさっきやらかしたのだが、風呂に入りに行って、洗い場でシャワーを使って身体を洗った後、風呂そのものに浸かるのをすっかり忘れたまま、タオルで身体を拭いて出てきてしまったり。居間に戻ってからハッと気付いて、風呂に浸かり直しに行ったけども。

執筆の方はまだまだ始まったばかりなので、これからもいろいろぽんこつなことをしでかしてしまいそうで、ちょっと怖い。まあ、ぽんこつなのは、今に始まったことじゃないけれど。