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「LADAKH LADAKH」


鮫島亜希子さん、角田明子さん、中田浩資さん、関健作さん、三井昌志さん、松尾純さん。6人の気鋭の写真家の方々がラダックで撮影した写真を収録した写真集「LADAKH LADAKH」がまもなく発売になります。僕はこの本で企画と編集作業を担当しました。

この本は一般の書店にはほぼ流通せず、発売元のGNHトラベル&サービスのWebサイト経由での販売と、4月20日(土)に東京、5月18日(土)に大阪で予定されている6人の写真家全員が登壇するトークイベントの会場と、5月30日(木)から6月10日(月)まで東京・吉祥寺で開催される写真展会場などでの販売に限られます。少部数限定の本なので、ご興味のある方はお早めに。

僕が言うのも何ですが、良い出来の本だと思います。よろしくお願いします。

個人的リバイバル

先月「ボヘミアン・ラプソディ」を観た後にアマゾンで発注したクイーンのベストアルバムが、約1カ月遅れでようやく届いた。で、ここ数日、聴いてるのはこればっかり。家のステレオでも、外出時のiPhoneでも、ひたすらクイーンをヘビロテ中である。一日中、ドント・ストップ・ミー・ナウ〜♪ てな感じで(笑)

昔は好きだったけどその後しばらく遠ざかっていたものが、ふとしたきっかけで興味が甦って再びハマる、という個人的なリバイバルブームみたいな現象が僕には時々起こる。今回のクイーンもそうだし、以前はジョン・コルトレーンとか、レッド・ツェッペリンとかの個人的リバイバルが再来したことがあった。本だと、最近まとめて読み返していたサリンジャーとか。

そういう個人的リバイバルを引き起こすものに共通しているのは、時を経ても変わることのない本質的な良さのようなものを内包しているということだろうか。変わらない価値を持つものを、自分も作りたいなあ、と思う。

本を読み返す

J.D.サリンジャー、村上春樹訳「フラニーとズーイ」読了。この間の「ナイン・ストーリーズ」同様、野崎孝訳の「フラニーとゾーイー」を読んだのはおっそろしく昔のことだったのだが(今奥付を見たら、昭和63年の28刷だった)、物語の最後にふわあっとこみ上げてきた何とも言えない感情が、当時感じたのとまったく同じだったので、自分でもちょっとびっくりした。

人は人生の中でたくさんの本を読む(まあ、そんなに読まない人もいるだろう)けれど、何度も手に取られ、読み返される本は、たぶんそんなに多くはない。何度も読み返したくなる本には、人の心を惹きつける何かが宿っているのだろうし、何度読み返しても飽きられない耐久力を持っているのだと思う。何十年ぶりに読み返しても、同じ感情を甦らせるような、底力を。

願わくば、そんな本を自分も作れたら、と思う。

To do, or not to do

タイから帰国して、あっという間に二週間経った。あまりにもあっという間だったので、正直茫然としている。

帰国して以来、毎日やたらめったら忙しい。タイ関係の編集作業、ラダック関係の編集作業、とあるWebサイトのリニューアル作業のディレクション、来年からの海外取材の打ち合わせ。平日は四六時中、ひっきりなしにいろんなところからメールやらメッセやら電話やらが着弾していて、あれこれ振り回されつつ、合間に必死こいてデスクワークを続けているうちに、一日が終わってしまう。

その時々でやらなければいけないことが多すぎて、ごっちゃになりそうだったので、とりあえず当面の仕事関係のTo Doリストを作ってみたら、異様に長大なリストになってしまって、上から下まで見渡すだけで大変な量に(苦笑)。何をやるべきか、やらざるべきか。いや、仕事に関わることだから、最終的には全部やらなければならないんだけど。

とりあえず今日のような週末は、メールの数はぐっと減るので、気合を入れて書かねばならないエッセイの原稿に取り組んでいる。集中、集中……。

To Doリストを少しずつでも短くするべく、引き続き地味に、頑張ります。

天からの災厄

今年の日本は、大規模な自然災害が、とにかく多い。西日本の豪雨による洪水、関空を閉鎖にまで追い込んだ台風21号の暴風雨、そして今朝の北海道の震災。ヘリからの空撮で、山という山がまるで冗談のように根こそぎ崩れて土肌を晒してる写真を見て、唖然とした。

こういう自然災害のニュースを見ていると、不安になる一方で、「いや、自分たちは大丈夫だ」と根拠もなく思い込みたくなったりもする。当たり前だが、そんな保証はまったくどこにもない。いつになるか、どの程度になるかはわからないけれど、自分たちの番は必ず来る、と思っておいた方がいい。実際、その通りだろうし。

天からの災厄と、人の営みの儚さ。ほんと、次は自分たちの番、かもしれない。

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J.D.サリンジャー「このサンドイッチ、マヨネーズ忘れてる/ハプワース16、1924年」読了。「ライ麦畑でつかまえて」の主人公ホールデンが登場する作品を中心にしたいくつかの短編と、グラース・サーガの最後の作品、7歳のシーモアが書いた長い手紙という形の中編「ハプワース16、1924年」が収録されている。サリンジャーの小説を読んだのはものすごくひさしぶり(20年ぶり?)だったのだが、その文体のみずみずしさと、繊細に組み上げられた構成の巧みさに、あらためて舌を巻いた。第二次世界大戦に従軍した時の経験が彼の心の奥に深い傷を負わせていたことも、この本で実感した。

気になったのは、訳者が「ハプワース〜」で、レスを「父さん」、ベシーを「母さん」としたという点。そこは、訳者として違和感があったとしても、原文のまま「レス」「ベシー」としてほしかった。シーモアはそのくらい、ぶっちぎりにこましゃくれた子供だったわけだし。

ともあれ、再びサリンジャーに興味が湧いてきたので、村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」や「フラニーとズーイ」、柴田元幸訳の「ナイン・ストーリーズ」など、最近の新訳で読み直してみようかな、と思う。