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「SANJU/サンジュ」

2018年にインド映画国内興収第2位(1位はラジニカーント主演の「2.0」)を記録した、ラージクマール・ヒラニ監督の「SANJU/サンジュ」が、日本でも6月15日(土)から公開されはじめた。新宿武蔵野館では1日1回、1週間限定公開の予定。「きっと、うまくいく」や「PK」で日本でも結果を残しているヒラニ監督の最新作にしては、やや残念な扱われ方ではある。それはたぶん、この作品の特殊なコンセプトが日本の観客には馴染みにくそう、という判断からなのだろう。

「SANJU/サンジュ」は、インド映画界の実在のスター俳優、サンジャイ・ダットの半生を辿った映画だ。父スニール・ダットと母ナルギスという名優の両親の息子に生まれた彼は、薬物中毒や数多くの女優たちとの噂、そして武器の不法所持に端を発したテロリストとの関与の嫌疑など、インド映画界でもとりわけスキャンダルにまみれた「札付きのワル」とみなされてきた。にもかかわらず、インド映画界では彼を敬愛する者は数多く、スター俳優としてのインド国内での人気も非常に高い。それはいったい、なぜなのか。

ヒラニ監督は、この物語を語らせるのに必要な架空の人物を何人か設定し、逆に実在の関係者各位(苦笑)にはあらぬ迷惑がかからないように配慮しながら、巧みにフィクションを織り交ぜて、サンジュと彼の家族たちの生き様を鮮やかに描き出している。サンジュを演じたランビール・カプール(カプール家との過去の因縁を考えると、運命的な配役ではある)の役作りには文字通り鬼気迫るものがあったし、脇を固める俳優陣も素晴らしかった(ソーナム・カプールやボーマン・イラニの出番が少なくてちょっともったいなかったけど、笑)。サンジャイ・ダットの日本での知名度云々に関わらず、どんな人の心にも届く普遍的なメッセージが、この作品には込められていると僕は思う。

こわもてだけど、弱虫で、でも、どこまでも自分に正直な人。この作品だけでなく、サンジャイ・ダットの次の出演作も日本で観られる日が来ることを願っている。

「シークレット・スーパースター」

アーミル・カーン・プロダクションが「ダンガル」の次に制作した映画「シークレット・スーパースター」。前作に引き続き、インド国内だけでなく中国などでも大ヒットを記録したのだが、日本でも8月9日(金)からいよいよ公開されることになった。それに先駆けてマスコミ試写のご案内をいただいたので、ひと足先に拝見させていただいた。

グジャラート州ヴァドーダラーに住む15歳の少女インシアは、幼い頃に母親に買ってもらったギターを弾きながら歌を歌うのが大好きで、いつの日か歌手になることを夢見ている。しかし、妻に頻繁に暴力を振るうほど過剰に厳格な父親は、彼女に勉学に専念すること以外の選択肢をいっさい認めようとしない。そこでインシアは、黒いブルカ(イスラーム教徒の女性がかぶるヴェール)で顔を隠した「シークレット・スーパースター」として、弾き語りで歌った動画をYouTubeにアップ。彼女の歌声はたちどころに大評判となり、有名だが素行に問題ありの音楽プロデューサー、シャクティ・クマールの目にも留まるのだが……。

追い詰められた境遇の主人公たちが、YouTubeやFacebookで圧倒的な支持を集めて一発逆転という展開は、インド映画でもしばらく前からかなり多くの作品に取り入れられていて、そこまで目新しい仕掛けではない。インシア扮する「シークレット・スーパースター」も、YouTubeによってトントン拍子に人気者になる。しかし、彼女がスターダムを駆け上がる過程自体は、実はこの作品が伝えようとしているテーマのほんの一部でしかない。本当の「シークレット・スーパースター」は誰なのか。このタイトルには、想像以上に深い意味が込められている。

アーミル・カーンは以前から、インド国内のさまざまな社会問題に関して批判的な発言を厭わないことで知られている。彼が司会を務めたドキュメンタリー番組シリーズ「Satyamev Jayate」でも、インド社会に根強くはびこる女性蔑視の問題を取り上げていた。そうした彼の視点が「ダンガル」や「シークレット・スーパースター」のような作品を生み出すことにもつながっている。そしてそれはインドだけでなく、未だにひどい男女格差を抱えている日本社会にも向けられるべき批判だと僕は思う。

……と、そこまで深いテーマを織り込んでいながらも、笑って楽しめるエンターテインメントとしてしっかり仕上げているところもまた、アーミルらしい。ていうか、あの人、ダメ人間を演じさせると、ものすごくイキイキしてて楽しそうだな(笑)。

「クローゼットに閉じこめられた僕の奇想天外な旅」

今週は週明けにアップリンク吉祥寺で「パドマーワト 女神の誕生」を観て(レビューは以前書いたこちらを)、今日は新宿ピカデリーで「クローゼットに閉じこめられた僕の奇想天外な旅」を観た。これはインド・フランス・アメリカ・ベルギー・シンガポールの合作で、監督もカナダ人のケン・スコット監督なので、純インド映画というわけではないけれど。

ムンバイ生まれのアジャは、ドービー・ガート(ムンバイの巨大屋外洗濯場)で働く母と貧しい二人暮らし。いつの日か二人で、まだ会ったことのない父の住むパリに行こうと、うさんくさい空中浮遊の見世物をしたり、せこい盗みを働いたりして金を貯め続けている。しかし、突然の母の他界。アジャはパスポートと母の遺灰、そしてニセの100ユーロ札を持って、憧れのパリに飛ぶ。そこで訪れたイケアのショールームから、思いがけない出会いと奇想天外な旅が始まる……。

この作品、主演のダヌシュがとにかく役柄にぴったり。ひょろんとしてて、笑顔が憎めなくて、彼でなければこんなに味のある話にはならなかっただろうと思う。物語は出来過ぎなくらい寓話的で(あえてそうしている設定なのだが)、本当に奇想天外な旅の行末がアジャ自身の口から語られていく。

映画を観ながら、この作品がもし純粋なインド国内制作の映画だったら、どんな風になっただろうと想像してみた。まず、尺はこの作品の90分少々より確実に1時間は長い(笑)。アジャがたらい回しにされる国も、あと2、3カ国は足されていただろう(ドイツとか、オランダとか、あとロシアとか)。で、各国で出会う人々に関する伏線をさらに張り巡らして、最後に徹底的に回収しまくり、全員の行末も細かく追いかけまくる。そんな感じかな。

逆に言うとこの「クロ旅」はそういうマシマシ感がなく、綺麗にすっきりまとめられているので、インドの娯楽大作のようなカタルシスを味わうには、ちょっとあっさりしていたという印象だった。主人公はインド人だけど、作品の主題がヨーロッパの移民問題であることは間違いないし。でも、リビアの難民キャンプでのあのシーンは、シンプルに良かったなと思う。

「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」

先週に引き続き、アップリンク吉祥寺で映画鑑賞。Webで情報を見て気になっていた「ビル・エヴァンス タイム・リメンバード」を。ジャズを聴く者なら誰一人知らぬ者のないピアニスト、ビル・エヴァンスの生涯をふりかえるドキュメンタリー。

全編にわたってエヴァンスの曲が流れ続ける、とても贅沢な映画。アップリンク吉祥寺の音響設備のよさとあいまって、どっぷりと彼の音の世界に浸らせてもらえる。当時の証言者として登場する人々も錚々たる顔ぶれで(映画の完成時には亡くなっていた方々も多かったそう)、徹底的に真摯に作られたドキュメンタリーだった。

エヴァンスの生涯について、僕はおおまかな出来事は知っていたものの、この映画を通じてあらためて俯瞰してみると、本当にしんどい出来事の連続だったのだな、と思う。どうしようもなかった出来事もあれば、文字通り自業自得だった出来事もあり。一緒に観に行った相方が「天才って本当に大変だねえ」と言っていたのだが、才能がありすぎて、感性が繊細すぎて、自分に正直すぎて、ああなっちゃったのかもな、と思ってしまった。

それでも彼の音楽は、今もなお、世界中の人々に愛されている。僕の手元にも、CDが5、6枚はあったかな。ひさしぶりにゆっくり聴いてみよう。

「ROMA / ローマ」


GW中に、アップリンク吉祥寺で「ROMA / ローマ」を観た。アルフォンソ・キュアロン監督が製作・脚本・撮影・編集など、一人何役もこなして生まれた作品。ヴェネツィアやゴールデングローブ賞、アカデミー賞などでの数々の受賞歴についてはもちろん耳にしていたが、それ以前に、予告編や劇中のスチルを目にした時、「これは、見届けておかなければならない」という、言葉にはできないけれど、ただならぬ気配のようなものを感じていた。

タイトルの「ROMA / ローマ」は、メキシコシティにあるローマ地区のことを指しているらしい。同じくメキシコシティで生まれ育ったキュアロン監督自身の体験を基にした物語。主人公のクレオは、4人の子供を持つ医師夫妻の家で住み込みで働く家政婦。静かに、淡々と映し出されていく日常の中に、寄せては返す波のように、少しずつ変化が起きていく。驚くほど豊かな階調のモノクロームの映像。長回しを多用しながらも完璧にコントロールされた構図とタイミング。ほんのわずかな響きまで繊細に録音された環境音。これ以上ないほどシンプルに研ぎ澄まされた、奥深い作品だった。

映像に限らず、文章や写真など、何らかのものづくりに携わる人がこの作品を観たら、ある意味、くやしい気分になるのではないだろうか。僕自身、ちょっとくやしかった(苦笑)。よし、がんばろ。