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「エンドロールのつづき」

最近は日本でも、ほぼ毎月のように、インド映画が各地の劇場で上映されるようになった。以前、映画祭や特集上映に何度も足を運んだり、エアインディアの機内で寝る間も惜しんで観まくってた頃に比べると、隔世の感がある。「バーフバリ」や「RRR」などのヒットのおかげもあるが、この点に関しては、良い時代になったものだと思う。

今回観たのは、グジャラート映画「エンドロールのつづき」(英題「Last Film Show」)。グジャラート出身のパン・ナリン監督は、BBCなどやディスカバリーチャンネルのドキュメンタリー番組の制作でキャリアを積んできた方だそうで、この作品は、本年度のアカデミー賞国際長編映画賞のインド代表に選ばれている。

監督自身の少年時代への追憶を基にした物語は、グジャラートののどかな自然の中にぽつんとある、小さな鉄道駅から始まる。駅でしがないチャイ屋を営む父と、寡黙だが料理上手な母に育てられている少年、サマイは、学校のかたわら、父のチャイ屋を手伝いながらも、街の映画館で観た映画への憧れと好奇心を日々抑えきれずにいた。ある日、映画館に忍び込んだものの、つまみ出されてしまったサマイを見かけた映写技師のファザルは、ある提案を持ちかける。サマイの母が作った弁当と引き換えに、サマイに映写室から映画を観させてやる、というのだ。映写室から開けた新しい世界に目覚めたサマイは、やがて……。

持てる者と持たざる者との格差がいまだに苛烈なインドの社会で、持たざる者が夢を見て、それを叶えることは、簡単ではない。サマイと友人たちが、映画への渇望を抑えきれずにあの手この手で工夫をし続けて(してはいけないことまでしてしまって)、結果的に辿り着いたのは、持たざるが故に発見した、映画の原点とも呼べる姿だった。ある意味で映画の本質に触れたサマイは、その後、周囲との別離と旅立ちの時を迎える。

最初から最後まで、映画と映写機とフィルムに対する監督自身の愛着と惜別の思いがたっぷり詰まっていて、光と色彩に溢れた映像も美しい。いつか、グジャラートに行ってみたいな、と思った。

「響け! 情熱のムリダンガム」

南インドの伝統的なカルナータカ音楽で用いられる打楽器、ムリダンガム。ジャックフルーツの木をくり抜き、3種類の動物の皮を張った両面太鼓だ。

このムリダンガムを作る職人の息子として生まれた主人公、ピーターは、タミル映画のスター、ヴィジャイの推し活だけに精を出す怠惰な日々を過ごしていた。そんな彼はある日、ひょんなことから、ムリダンガム演奏の巨匠ヴェンブ・アイヤルの演奏を目の当たりにして、衝撃を受ける。ムリダンガム奏者になりたいという夢を抱くようになり、憧れの巨匠に弟子入りを志願するピーター。しかし彼の前には、カーストによる差別や兄弟子の嫌がらせなど、さまざまな壁が立ちはだかる。大きなトラブルに巻き込まれ、師匠から破門されてしまったピーターは、世界に存在する未知のリズムを求め、インド各地を放浪する旅に出る……。

2018年の東京国際映画祭で「世界はリズムで満ちている」という邦題で公開され、今回「響け! 情熱のムリダンガム」という新たなタイトルで劇場公開されることになった、このタミル映画。事前になるべく情報を入れないようにして、公開初日に観に行った。よかった……予想の何倍もよかった……。演奏シーンに不自然なところがまったくないのは、大半を俳優自身が演奏しているからなのだという。言い換えれば、演奏ができる俳優を選んで起用したということだ。主演のG.V.プラカーシュ・クマールは、俳優になる以前からタミル映画界で気鋭の音楽監督だったというから、むべなるかなである。

ピーターが、それまで抱き続けてきたさまざまな思いを秘めながら、一心不乱にムリダンガムを叩き続けるクライマックスの演奏シーンと、その後の師匠との会話は、観ていてグッと胸が熱くなった。あらゆる人におすすめできる良作だと思う。

「スーパー30 アーナンド先生の教室」

インドの貧困家庭の若者たちから毎年30人を選抜し、インド工科大学に合格するための教育を無償で1年間提供している私塾、スーパー30。インドでも難関中の難関の大学に、毎年多数の合格者を輩出しているこの私塾の創設者、アーナンド・クマールをモデルにした映画「スーパー30 アーナンド先生の教室」が、日本でも公開されることになった。その初日、新宿ピカデリーへさっそく足を運んでみた。

実在の人物の半生を題材にしているとはいえ、基本は娯楽映画なので、多くの創作や演出が施されていることは、観ていてもわかる。それでも何というか、本当にまっすぐに、胸を衝かれる場面がたくさんあった。天才的な数学の才能を持ち、ケンブリッジ大学への入学許可を得ながら、渡航費用が得られずに夢を諦めざるを得なかったアーナンド。自分のような理不尽な思いを他の若者たちに味あわせないために彼が始めたスーパー30に、各地からそれぞれ必死の思いで集まってきた、貧しい出自の若者たち。知恵と工夫と努力を積み重ね、切り拓いていったその道の先には……。

シンプルに心を揺さぶられる、良い作品だった。

(……しかしリティクは、良い演技はしてたけど、あまりにもすごすぎるガタイのよさや、スーパースターのオーラは、さすがに隠しきれてなかったような……笑)

「デーヴダース」

キネカ大森に、インド映画「デーヴダース」の最終上映を観に行った。少し前の新宿ピカデリーでの上映回に行きたかったのだが、終映が終電間際の設定になっていて、家族に迷惑をかけてしまうので、予定を変えた。同じ境遇の人が多かったのか、キネカ大森での最終上映は、満席になったらしい。

この作品、20世紀初頭にシャラトチャンドラ・チャテルジーが著した小説が原作で、さまざまな言語で翻訳・出版されたほか、映画化もこれまで20作品ほどなされてきたという。インド人ならほとんどの人が、これがどういう物語で、どのような結末を迎えるのかを知っている。そうした誰もが知る古典的名作を、サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督は、彼ならではの世界観と、緻密に計算し尽くされた映像美によって映画化した。主役のデーヴダースは、シャー・ルク・カーン。彼の幼馴染の恋人パーローは、アイシュワリヤー・ラーイ。失意のデーヴダースを支える娼婦チャンドラムキーは、マードゥリー・ディークシト。公開当時も、そしておそらくこれからも、これ以上のレベルのキャスティングは望めないだろう。

名家の息子に生まれながら、厳格な父親に対する葛藤を抱え、幼馴染との結ばれない恋に苦悩し、酒に溺れていくデーヴダース。想いに反して別の家に嫁ぎながらも、デーヴダースのことが忘れられないパーロー。自ら酒で身を滅ぼしていくデーヴダースのかたわらで、報われない愛情を注ぎ続けるチャンドラムキー。残酷なまでに美しい映像で彩られた物語は、破滅に向かってまっしぐらに突き進んでいき、ほぼ何の救いも残さないまま、幕を下ろす。いや、それとも、何か希望はあったのだろうか。

「カクテル 友情のトライアングル」

今年も始まった、インディアンムービーウィーク2022。僕が最初に観に行ったのは、「カクテル 友情のトライアングル」。監督はホーミー・アダジャーニア。主演はサイフ・アリー・カーン、ディーピカー・パードゥコーン、ダイアナ・ペンティ。10年前に公開された作品だ。

執拗にお見合い結婚を勧める母親から逃れて、ロンドンに引っ越した、システムエンジニアのガウタム。毎夜のパーティー三昧の生活を送るフォトグラファーのヴェロニカ。夫と暮らすためにロンドンに来たら偽装結婚だと告げられ追い出されたミーラ。ふとしたきっかけから同じ部屋で暮らすようになった三人。完璧なバランスに思えた彼らの友情の日々は、やがて、少しずつ変化していき……。

欧州ロケ主体で撮影されたスタイリッシュなラブストーリーは、昔も今もボリウッド映画にたくさんあって、この作品もその系譜に連なるものだ。プリータムによる音楽は華やかだし、序盤のハイテンポでコミカルな展開は観客の期待を裏切らない。ただ、後半のシリアスな展開との落差が結構激しいのと、三人それぞれの内面の変遷を表現する描写がやや足りなくて、唐突に感じられるところもあった。

三人の中では、ディーピカーの演技が見事にハマっていて、圧倒的な存在感を放っていた。「オーム・シャンティ・オーム」でデビューした後、しばらくは演技面で辛口の批評を受けていたそうだが、この「カクテル」で一気にブレークスルーを果たしたという評価も、納得の出来である。企画当初は、ディーピカーがヴェロニカとミーラを一人二役で担当するアイデアもあったそうだ。それはそれで、見てみたかった気もする。

何だかんだで安心して楽しめる、今時のボリウッド作品。よきかな、よきかな。