ジャンゴ・ラインハルト

この間、WordPress 3.1がリリースされたので、このブログのシステムをアップデート。テーマファイルも古いテンプレートと突き合わせつつ、ちまちまと修正する。

WordPressの各バージョンには、ジャズ・ミュージシャンにちなんだニックネームがつけられている。バージョン3.1の名前は「Reinhardt(ラインハルト)」。僕も大好きなギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトにちなんだ名前だ。

彼が生み出したマヌーシュ・スウィングと呼ばれる奏法には、時にうきうきと、時に物悲しい、ぎゅっと心をつかまれるような魅力がある。そういえば、以前、このマヌーシュ・スウィングを題材にした「僕のスウィング」という映画も観たことがあったっけ。甘酸っぱくて、どうにもならないほどせつない終わり方をする映画だった。

そんなわけで今、ひさびさにジャンゴのCDを引っ張り出して聴きながら、WordPress 3.1をいじっている。

春一番

気持悪いくらい暖かい日。東京では、春一番が吹いたらしい。

うっかり二度寝してしまって、起きたのは昼過ぎ。ぼんやりした状態で、おひるを作って食べ、部屋に掃除機をかけ、Macを起動してメールチェック。ニュージーランドに滞在していた、ジュレーラダックの関係者の方二人が無事という報せが届いていて、ほっとする。

今取り組んでいる原稿の執筆は‥‥遅れてはいないものの、はかどっているわけでもない、という状況。じわじわ、じわじわと書き進めている感じ。来月の仕事の立て込み具合がまだよくわからないので、どっと来るとヤバいのだが、まあ、何とかなるだろう。

どうしてかな、また眠い。

デリーの地下鉄

インドの首都、デリーの市内と空港とを結ぶ地下鉄が、昨日から運行を開始したそうだ。空港ターミナルからニューデリー駅まで、約20分。料金は80ルピー。

すごい。ついに、ここまできたか‥‥(感涙)。

デリーを訪れたことのない人にはピンと来ないかもしれないが、インドを旅するバックパッカーにとって、飛行機でデリーに到着してからの行動は、ずっと鬼門だった。空港から市内までは20キロ以上離れているので、これまでは、バスかタクシーかオートリクシャーを使うしかなかったのだ。

だが、空港で旅行者を待ち受けているタクシーには悪い輩がうじゃうじゃいて、うっかり乗ってしまった旅行者を悪徳旅行会社に連れていって軟禁状態にして、バカみたいに高いツアーを無理やりブッキングさせるという所業が、ずっと前から横行していた。僕も初めてインドを旅した時に、そういう悪徳タクシー&旅行会社に高額なツアーを組まされてしょげている日本の大学生たちに会ったことがある。プリペイドタクシーの導入などで多少は改善されたらしいが、それでも被害は後を絶たなかったそうだ。

しかし、この空港と市内を結ぶ地下鉄があれば、悪徳タクシーに惑わされることなく、わずかな時間で市内に投宿できる。帰国便に乗るために市内から空港に向かう時も、下手をすると二時間もかかる渋滞の心配をする必要もなくなる。いやー、すばらしい。もはや、デリーは鬼門ではなくなった。

‥‥まあでも、あれほどの大国の首都で、空港と市内を結ぶ鉄道が今までなかったということの方が、驚きといえば驚きだけど(笑)。

確定申告の季節

昼、武蔵野税務署へ。支払調書がようやく揃ったので、確定申告をしに。

僕はもともと経理関係の数字を扱うのが苦手で、こういう手続きには、いつまで経っても慣れない(苦笑)。今年も例によって例のごとく、税務署の方に手取り足取り教えてもらいながら、申告書類をこしらえた。といっても、手で記入するのは収支内訳書くらいで、他の申告書類はパソコンで入力して作るから、昔に比べると格段に楽になったのだが。

手続きは一時間ほどで終了し、そう遠くないうちに、そこそこの金額の還付金が戻ってくることになった。もともと自分のお金なのだが、何となくうれしい(笑)。気が大きくなって、うっかり高い買い物とかしないようにしなければ。でも、新しいオーディオとか、そろそろ欲しいんだよな‥‥危険だ‥‥。

世界は動く

終日、部屋で仕事。ジュレーラダックから頼まれたごく短い原稿を書いてから、自分の本の執筆を進める。‥‥あまりはかどらず。

テレビで、ネットで、次々に報じられるニュース。リビアでは、カダフィの指示を受けた軍が自国民の無差別殺戮を始めた。ニュージーランドでは、地震によって至るところで建物が倒壊し、大勢の人が生き埋めになっている。今、知人の一人がニュージーランドに滞在しているので、気が気ではない。無事でいてくれるといいのだが‥‥。

こうして部屋で一人キーボードを叩いている間にも、世界は刻々と動いている。どんな場所からでも、あっという間に情報が得られる今だからこそ、その便利さに麻痺してしまわないように気をつけなければと思う。人々が叫び、走り、血を流しているのは、モニタの向こう側の別世界ではなく、同じ地球上に存在する現実の世界なのだから。