「息もできない」

痛ましい映画だった。悲しくて、もどかしくて、どうにもやりきれない。最後まで、救いの欠片すら見当たらない。

息もできない」の主人公サンフンは、借金の取り立てを生業とするチンピラ。母と妹を死なせた父に対する憎悪に苛まれたまま、他人を暴力で傷つけることでしか生きていけない男。そんな彼がふとしたことで出会った勝気な女子高生ヨニは、心を病んだ父と荒れ狂う弟との間で、絶望に蝕まれていた。互いの心の傷の理由を知らないまま、二人は次第に惹かれあい、夜の漢江のほとりで涙を流す。だが苛酷な運命は、容赦なく彼らを押し流していく——。

一番近しい、大切な存在であるはずの家族ですら、傷つけずにはいられない人々。相手を殴りつけるサンフンの拳が血に染まり、ガツッ、グシャッと生々しい音が響くたび、観る者は思い知らされる。彼は、自分自身をも無惨に傷つけているのだと。

この映画で、製作、監督、脚本、編集、主演の5役をこなしたヤン・イクチュンは、これが初の長篇監督作品。彼自身、家族との間に問題を抱えたまま生きてきて、そのもどかしい思いを、作品として吐き出してしまいたかったのだという。自分の家を売り払ってまで製作費を捻出し、文字通りすべてを注ぎ込んで作り上げたこの「息もできない」は、彼にとって「作らずにはいられなかった映画」なのだろう。作り手として、「これを作らなければ、一歩も前に進めない」という抜き差しならない気持は、少しわかる気がする。僕自身、そういう思いにかられて本を書いたことがあったから。

ストーリーが比較的単純で伏線の先が読めてしまうとか、韓国映画特有の冗長な描写があるとか、いろいろ言いたい人はいると思う。でも僕は、この作品の評価をそんな上っ面なところでしてしまいたくない。「作らずにはいられない」という思いで、ヤン・イクチュンが自らの魂を削って作り上げたからこそ、この映画は観る者の心を動かすのだから。

気楽な旅

ひさしぶりにコンパクトカメラを買おうと思っている。最有力候補は、もうすぐ発売になるリコーのGR DIGITAL IV。六年前から使っている初代GR DIGITALの買い替えという形になる。

同じリコーのGXRGR LENS A12 28mm F2.5や、オリンパスのXZ-1も考えてはみたのだが、店頭で実機を手にしてあれこれいじってみた結果、反応の速さや操作のしやすさ、持ちやすさなど、スナップシューターとしての完成度ではGR DIGITAL IVが抜きん出ていると感じた。特に、AFの速さと精度は素晴らしい。

新しいGR DIGITAL IVを手に入れたら‥‥ふらっと一人旅に出てみたい。着替えと洗面道具だけ詰め込んだリュックを背負い、小さなショルダーバッグにぽいっとカメラを放り込んで。いい写真を撮らなければならないとか、そんなことは一切考えなくていい、気楽な旅。見知らぬ国をおろおろ彷徨いながら、どこかでそんな間抜けな自分を楽しめる旅。

やってみたいな。ひさしぶりに、そういう旅。

仕事の振れ幅

終日、部屋で仕事。昨日調達したまほろば珈琲店のコーヒーで脳にカフェインを充填し、一昨日に取材した分の原稿に着手。ラジオの音も消し、無音の中、無心で書き続ける。

‥‥ある程度、原稿の形ができてきたと思ったら、もう夕方。近所のココイチでカキフライカレーをもふもふと食べ、家に戻ると、今度は別のところから依頼されたWebサイト掲載記事の執筆に取りかかる。こっちもいろんな切り口を要求される案件なのだが、まさか、北海道のヒグマについて書くことになるとは思わなかった(笑)。

最近よく人から言われるのが、「ヤマタカさんがこれまでに書いてきた本の一覧を見てると、同一人物とは思えない」ということ。確かに、我ながら振れ幅が大きすぎる‥‥とは思う(苦笑)。まあ、吹けば飛ぶよなライター稼業、書けるものなら何でも書かなければ、世知辛い今の世の中では、とても生き残っていけない。

安曇野の山奥にでも引き蘢って、自分の好きな文章だけ書いて暮らしていけたら、理想的なんだけど。

「当たり前」の有り難み

今日は外出の予定もなかったので、ゆっくり寝た。

郵便局で小包を出してきた後、自宅でiOS 5のアップデート作業。アップルのサーバに相当負荷がかかってたらしく、復元のプロセスでかなり時間がかかった。おまけにうちには、iPhoneの他にiPadもある(苦笑)。どうにかこうにか終わらせて、細かい設定を調整。iOS 5、使い心地自体は悪くない。

夕方、外に出かけて晩飯を食べてくるついでに、まほろば珈琲店でブレンドの5番とマンデリンを調達。あまりにひさしぶりだったので、顔を忘れられかけていた(笑)。家に戻る途中にスーパーに寄ったら、琥珀ヱビスがあったので、パックで購入。

インターネットに当たり前に繋がったり、便利なケータイが当たり前に使えたり、おいしいコーヒー豆やビールが当たり前に手に入ったり。それって、実はとても有り難いことだと思う。その有り難み、忘れないようにしなければ。

がんばりすぎない

午後、銀座でインタビューの仕事。ラダック関係以外ではひさしぶりの取材だったが、どうにか首尾よくやり遂げる。

その後、外苑前に移動し、以前「ラダックの風息」のデザインを担当していただいた井口文秀さんのオフィスを訪問。軽く打ち合わせをさせていただいた後、井口さん行きつけの広尾の寿司店へ。寿司といっても、値段的にはかなりこなれている店なのだが、その割にはとてもおいしかった。

井口さんとは、僕が雑誌編集をしていた頃からの戦友的な間柄。約10カ月ぶりにお会いしたのだが、僕が何の遠慮もなくいろんな話をするのを、ニコニコと笑いながら聞いていただいた。

話が僕の父の話題になった時、井口さんが僕にこう言った。

「ヤマタカさん。お父さんのことがあったからといって、がんばりすぎない方がいいですよ」

井口さんは約七年前にお母様を急な病で亡くされたのだが、その時、そこから立ち直ろうとがんばりすぎて、逆に辛い精神状態に陥った時期があったそうだ。あまりに強く思い詰めてしまうと、それが自分自身を追い詰めてしまう、と。

本当にそうだなあ、と思う。今の僕は、父を失ったことだけでなく、その後ラダックや日本で僕を支えてくれたたくさんの人たちに絶対に報いなければ、と背負い込んでいるふしがある。背負うものが重すぎると、僕自身がそれに押しつぶされてしまうかもしれない。

がんばりすぎないように、がんばろう。