編集者がつける道筋

一口に編集者といっても、いろんなタイプの人がいる。たとえば書籍の編集者なら、著者の企画や原稿をそのまま活かす形で仕上げる人もいれば、著者と侃々諤々やりあって書き直しを重ねながら仕上げていく人もいる。

僕の場合、自分が著者の立場の時に、書き上げた原稿の内容自体に編集者からダメ出しされたことはほとんどない。何でかなと思い返してみると、それはたぶん、「ダメ出しされての書き直し」という無駄な手戻りが起きないように、編集者が各段階に至るまでの道筋をわかりやすく示してくれていたからだと思う。

「どういう本にするか」という完成形のイメージを決め、全体の構成案を丁寧に詰めていって、試し書きをして文体やトーンを調整しながら、少しずつ書き上げていく。その各段階で編集者に細かく確認をしてもらって、イメージを共有するのが、無駄な手戻りを防ぐためには大切だと思う。もちろん、草稿が書き上がってからも、第二稿、第三稿と書き直しをしていく場合もあるが、それは「ダメ出しされての書き直し」ではなく、明らかに目的があって、さらに精度を上げていくための書き直しだ(込み入った表現をわかりやすくする、など)。無駄な手戻りをくりかえしていては、そういう精度の向上を検討する余裕もなくしてしまう。

著者と侃々諤々やりあうタイプの編集者を否定するつもりはないが、個人的には、そういう風になってしまうのは、著者と編集者の間で完成形のイメージをうまく共有できていないからではないか、と思う。著者が完成形のイメージに近づくための作業をスムーズに進められる道筋をつけてあげるのが、僕が理想とする編集者の役割。自分自身が編集者の立場の場合も、そうありたいと思う。‥‥まあ、それでもいろんな事情が絡んでくるので、なかなか一筋縄ではいかないのだけれど(苦笑)。

「サニー 永遠の仲間たち」

「サニー 永遠の仲間たち」

先日観た「きっと、うまくいく」についてのWeb上での反応を見ていたら、かなり多くの人が、この「サニー 永遠の仲間たち」と比べて感想を書いていた。僕もこの映画の予告編を目にした記憶はあったのだが、本編は見逃してしまっていたので、Apple TVで借りて観てみることにした。

「セブン・シスターズ」とは、韓国ではトラブルメーカーの高校生を意味する隠語なのだという。この映画の七人の主人公たちは、文字通りのセブン・シスターズ。ラジオ番組から「サニー」というグループ名をつけてもらった七人は、向かうところ敵なしのハチャメチャに楽しい日々を過ごしていた。ある事件が起こるまでは‥‥。それから25年。余命二カ月の末期ガンに侵された元リーダーのチュナは、病院で偶然再会した仲間のナミに言う。「死ぬ前にもう一度、サニーのみんなに会いたい」と。

1980年代と現代のソウルを行き来して展開されていく物語。記憶の中の日々は明るい色彩と輝きに満ちていて、誰もが希望にあふれた人生と、変わることのない友情を信じて疑わなかった。散り散りになっていた今の彼女たちは、それぞれの事情やしがらみのせいで、必ずしも思い描いていた人生を歩めてはいない。それでも、チュナの呼びかけをきっかけに、彼女たちは気づくのだ。もう一度、なろうと思えばなれるのかもしれない。自分自身の人生の主役に。

チュナの余命という重い軸はあるものの、80年代のポップ・チューンに彩られたこの作品のトーンはとても軽やかで、コミカルな場面もたくさんある。だからこそ、観ていて余計にせつなくなる。もう、取り戻すことのできない時間。それでも、彼女たちは軽やかにステップを踏む。何度も、何度でも。

人前で話をすること

昨日は午前中に、写真家の関さんと渋谷で打ち合わせ。来月二人でやることになったトークイベントについて。関さんはこの一週間、テレビ取材の仕事でブータンに行っていたそうで、その日の朝に羽田に戻ってきたばかり。疲れていただろうに、体力あるなあ。さすが。

関さんは、これまでに学校などで講演をした経験がたくさんあるし、僕もこれまで何度かトークイベントをしてきたので、お互い右も左もわからないという感じではなく、たぶん何とかなるだろうという心づもり。とはいえ、大勢の人の前であらたまって話をするというのは、やっぱり緊張する。できれば避けて通りたい(苦笑)。でも、そうして人前で話をすることで、聞きに来てくれた人の心の中で何かがパチッとつながったりするきっかけになるかもしれない。

僕たちが自分の中で大切にしていることを、本や、写真や、話をすることで、誰かに伝える。それにはきっと、ささやかながらも、何かしらの意味はあるはずだと思っている。

「きっと、うまくいく」

「きっと、うまくいく」(3 Idiots)

昨日は、映画「きっと、うまくいく」(3 Idiots)を観に行った。上映終了後にいとうせいこうさんとスチャダラパーのBOSEさんのトークショーがある午後の回を狙っていたのだが、先週末に公開されて以来のクチコミ人気の異様な盛り上がりに加え、上映館のシネマート新宿は月に一度の1000円サービスデー。うかうかしてると絶対に席が取れないと思ったので、午前中のうちに早めに家を出て、無事に狙った回の中央前よりの席をゲットした。案の定、その回も次の回も立見が出るほどの盛況だったとか。

この作品のレビューは以前ラダックの知人宅で英語字幕版を観た後にも書いたけれど、今回日本語字幕で観たことで細かい台詞にも張り巡らされた伏線を理解できて、あらためていろいろ腑に落ちた。台詞が(特に日本語字幕にすると)どぎついところや演出がベタすぎるところもあるのは確か。ケチをつけたくなる映画ファンがいるのもわかる。でも、そういうもろもろを含めての振り切ったイキオイのようなものが、この作品の魅力なのだと僕は思う。観客の喜怒哀楽の感情を上下左右ぐわんぐわんに揺さぶって、最後の最後にラダックの荒野からパンゴン・ツォの青へと突き抜けるのだから、観終えた後の爽快感も納得だ。

僕も、世間にとらわれず自分らしく生きることを、もう一度思い出そう。Aal Izz Well。