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ラダックの夏から、日本の夏へ

夏のラダックでの約一カ月の滞在を終え、昨日の昼過ぎ、西荻の自宅に戻ってきた。

帰りの飛行機は、レーからデリーまでは問題なかったものの、デリーから成田までは、出発は二時間遅れるわ、機内の全座席のモニタが故障で動作しないわ、ドリンクなどの冷蔵庫も壊れてたのか缶ビールが常温だわ、トイレも一室閉鎖されてるわで、いろいろ大丈夫なのかと心配なフライトでの帰還となった。地味にストレスの溜まる旅程だったが、とりあえず生きて戻れて、ほっとしている。

エアコンいらずで過ごせたラダックの夏から、デリーよりも灼熱の日本の夏にいきなり放り込まれたので、身体がまだびっくりして、なかなか順応できないでいる。これは、洒落にならない暑さだなあ……デチェンたちには「インドと違って、日本にはデング熱はないんだろ? だったらよっぽどましだよ」と慰められはしたが。

ラダック滞在での疲労は正直全然大丈夫なのだが、灼熱の日本の夏にアジャストすべく、しばらくはゆっくり身体を慣らしていこいうと思う。しかし、順応できるかな……はたして……。

土曜と日曜

先週の土曜と日曜は、ひさしぶりに二日続けての完全な休日。最近、よみうりカルチャーでの講師の仕事があったりして、なかなか休めなかったのだ。

土曜は昼に代々木上原のhako galleryに出かけて、鮫島亜希子さんと谷口百代さんのインドのおべんとうイベントへ。ダッバーワーラーの仕事ぶりを追った写真展もよかったし、現地のレシピで作ったというターリーもおいしかった。夜はコノコネコノコでこれまたおいしいごはんをいただいて、すっかりはらぱんの一日。

日曜は、食材の買い出しに近所に出かけた以外は、ずっと家にいた。ラジオを聴いたり、本を読んだり、コーヒーをいれてフルーツケーキを食べたり、夕飯にベンガル風の魚と野菜のジョルを作ったり。ただそれだけだったのだけれど、何だかとても豊かな時間を過ごせたような気もする。

人生には、余裕が、休みが、必要だ。しかしまあ、今日からはまた働かねばである。

旅行作家と旅写真家について、その後

二年くらい前に、「旅行作家と旅写真家は滅亡するか」というエントリーを書いた。あれから少し時が流れ、コロナ禍は「やや」沈静化し、国と国との間の行き来もかなり復旧してきた。実際、僕自身も、昨年夏にインド、今年の初めにタイに取材をしに行ってきた。

ひさしぶりに海外取材の仕事をしてみて、あらためて思うのは、あのエントリーで書いた予想は的中しつつある、ということ。旅行作家や旅写真家というジャンルの職業の衰退は、想定以上に加速しているかもしれない。

一つには、国際情勢や経済の状況が大きく影響している。ウクライナでの戦争に伴う物流の混乱や、エネルギーや食料の高騰、慢性的な円安傾向などで、海外取材に必要なコストは猛烈に跳ね上がっている。それだけのコストを払って海外取材を敢行し、本なりガイドブックなり雑誌なりを刊行しても、費やしたコストを回収するのはかなり難しい。そもそも、スマートフォンのアプリなどの利便性に押されて、旅関係の雑誌やガイドブックの売上はどんどん落ちていっている。

取材にかかるコストを削減するには、現地在住の協力者に情報提供を依頼したり、ライターやカメラマンへの報酬を減らしたりするしかなくなる。いくら海外での取材が好きでも、生活するのに必要な金額が稼げないなら、職業としては成り立たない。だからやっぱり、旅行作家や旅写真家が活動できる場は、これからどんどん減っていく。

僕自身、これから先、どうしようかなあと思案している。依頼される形でのガイドブックの取材の仕事などは、もう主軸としてはアテにできない(実際、出版社もつぶれたりしたし)。個人的に書きたいと思っているテーマ、作りたいと思っている本の企画は、ライフワークとして追求していきたいが、日々の生活のためのライスワークの選択と配分も、再検討してアップデートしていかなければならない。でないと、早晩、立ち往生してしまうことになる。

厄介な時代になったものだが、過去の遺物となって風化してしまわないように、サバイブできそうな道を模索していこうと思う。

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佐々木美佳『うたいおどる言葉、黄金のベンガルで』読了。「うたいおどる」という形容にふさわしい、伸びやかな筆致で綴られた、ベンガルの大地と人々、言葉、そしてタゴールへの愛着。この本の元となった連載の執筆を続ける間に、コルカタの映画学校への留学を決めてしまうという思い切りのよさには、びっくりした。これからもその軽やかさで、ベンガルにまつわる映画や本の制作に取り組まれていくのだと思う。

「エンドロールのつづき」

最近は日本でも、ほぼ毎月のように、インド映画が各地の劇場で上映されるようになった。以前、映画祭や特集上映に何度も足を運んだり、エアインディアの機内で寝る間も惜しんで観まくってた頃に比べると、隔世の感がある。「バーフバリ」や「RRR」などのヒットのおかげもあるが、この点に関しては、良い時代になったものだと思う。

今回観たのは、グジャラート映画「エンドロールのつづき」(英題「Last Film Show」)。グジャラート出身のパン・ナリン監督は、BBCなどやディスカバリーチャンネルのドキュメンタリー番組の制作でキャリアを積んできた方だそうで、この作品は、本年度のアカデミー賞国際長編映画賞のインド代表に選ばれている。

監督自身の少年時代への追憶を基にした物語は、グジャラートののどかな自然の中にぽつんとある、小さな鉄道駅から始まる。駅でしがないチャイ屋を営む父と、寡黙だが料理上手な母に育てられている少年、サマイは、学校のかたわら、父のチャイ屋を手伝いながらも、街の映画館で観た映画への憧れと好奇心を日々抑えきれずにいた。ある日、映画館に忍び込んだものの、つまみ出されてしまったサマイを見かけた映写技師のファザルは、ある提案を持ちかける。サマイの母が作った弁当と引き換えに、サマイに映写室から映画を観させてやる、というのだ。映写室から開けた新しい世界に目覚めたサマイは、やがて……。

持てる者と持たざる者との格差がいまだに苛烈なインドの社会で、持たざる者が夢を見て、それを叶えることは、簡単ではない。サマイと友人たちが、映画への渇望を抑えきれずにあの手この手で工夫をし続けて(してはいけないことまでしてしまって)、結果的に辿り着いたのは、持たざるが故に発見した、映画の原点とも呼べる姿だった。ある意味で映画の本質に触れたサマイは、その後、周囲との別離と旅立ちの時を迎える。

最初から最後まで、映画と映写機とフィルムに対する監督自身の愛着と惜別の思いがたっぷり詰まっていて、光と色彩に溢れた映像も美しい。いつか、グジャラートに行ってみたいな、と思った。

南の国での身体の変化

四週間ほどタイに行っている間に、身体にも、ちょっとした変化があった。

まずは、日焼け。以前よりも三カ月ほど取材時期がずれて、タイの乾季真っ只中での滞在になったので、特に旅の前半のタイ北部では、朝晩は肌寒いくらいに涼しく、日中もそれほど暑くなく、日射しも比較的穏やかだった。まあ、中盤のスコータイのあたりからは徐々に暑くなってきて、アユタヤーやカンチャナブリー、バンコクでは、当たり前のように35℃まで上がっていたので、最終的に黒くなりはしたが。それでも、いつもはすぐにむけてしまう両腕の皮膚も、今回はほとんどむけずじまいだった。

今日の昼、行きつけの理髪店で散髪をしてきたのだが、顔馴染みのスタッフのお姉さんに、「……なんか、今回はそこまで日焼けしてないですね……前はもっと黒焦げだったのに……」と、いささかがっかりした口調で指摘されてしまった(苦笑)。まあどのみち、僕は、日に焼けても、すぐに褪めて白くなるタイプなのだけれど。

もう一つの変化は、体重。帰国直後は、1キロ少々減っていた。鏡を見ても頬が少しこけ気味だったし、ジーンズもベルトもゆるく感じた。タイにいた時は、毎晩、500CCの缶ビールを飲んでいたのだが、それを差し引いて余りあるカロリー消費量だったということだろうか。毎日カメラザックを背負って、えんえん歩き回ったり自転車こいだりしてたから、そんなものなのかもしれない。

帰国して一週間ほど経って、体重は4、500グラムほど戻してきて、頬のこけもなくなってきた。ウエストは引き続きゆるい。これは良い傾向なので、日々のウォーキングや家での自体重トレーニングを再開しつつ、ベストウエートの維持を目指そうと思う。……まあ、ビールは飲むけども。今もまさに、飲んでるけども。