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正解はどこにもない

冬晴れの気持ちのいい日。今日は仕事をオフにして、一人で出かける。

祖師ヶ谷大蔵に移転したスリマンガラムで、ランチのノンベジミールス。本物のバナナの葉に供されるポンニライスとカレーの数々を、たらふくいただく。ぱんぱんに膨れた腹をさすりながら、日の当たる道をぶらぶら南下。30分ほどかけて砧公園まで歩き、公園のベンチで少し本を読んで、世田谷美術館へ。

美術館では、「祈り・藤原新也」展を観た。想像以上に大規模な回顧展で、藤原さんの代表作から、こんなテーマにも取り組んでいたのかという驚きの作品まで、見応えのある内容だった。この地上に存在する、生きとし生けるもののありようを、愚直なまでにずっと追い続けてきた人なのだなあ、と。

今時のフォトグラファーが撮る「映え」重視の写真に比べると、藤原さんの写真には、セオリーもテクニックも気にせず、ただその場で感じたまま撮って、そのまま差し出したような作品が多い。文章もそうで、セオリーを飛び越えた天衣無縫なところがある。そうした写真と文章を、ためつすがめつ眺めながら……写真って、文章って、そもそも何なんだろう、何をどうすればいいんだろう、正解なんてどこにもないんじゃないか?……と、自分自身のこれまでを省みつつ、あれこれ思い巡らせたりしていた。

よく見ること。相手だけでなく、自分自身の内側も。結局は、それなのかもしれないな。

目指せ、動ける身体


ひさしぶりの山歩き。このブログを遡ってみたら、前回は去年の10月だったから、一年以上ぶりか。歩いたコースは毎度おなじみ、陣馬山から高尾山までの縦走ルート。空は雲一つない快晴で、陣馬山の山頂からは、富士山がくっきりと見えた。

去年このコースを歩いた時は、四十肩によるブランクやら何やらで身体がかなりなまっていて、歩いていても割ときつかったのだが、今日はそんなにきつくもなく、のんびりした気分で歩けた。八月下旬までインド北部に滞在してた分の高地順応効果がまだ少し残っていたと思うし、四十肩完治後に復活させた自重筋トレで、各部の筋力がだいぶ戻ってきているのもその要因だと思う。

とはいえ、小刻みなアップダウンの尾根道を何時間か歩いていると、筋トレだけでは鍛えることができていなかった足腰の細かい筋肉、たとえば足の裏とか、そういう部分に疲労がじわじわ溜まっていくのはわかった。こればっかりは、普段の生活の中での筋トレだけではどうにもならないので、もう少し山歩きの頻度を上げるとかしなければ、と思う。動ける身体を維持するのも、いろいろ大変だ。特に体力下り坂のおっさんにとっては。

目標は、海外取材でカメラザック担いで走り回っても、へこたれない身体を維持すること。地道にやっていこう。

ラジオの生放送

一昨日は、J-WAVEの番組「GOOD NEIGHBORS」への生出演のため、昼頃に六本木へ。スタッフの人に案内されながら、エレベーターで、六本木ヒルズのはるか階上にあるスタジオへ。5分前に控え室からブースに移動し、大きなマイクの前に座ると、やがて出番が始まった。

今まで何度かラジオに出演させてもらってきたが、生放送は初めての経験(だったことに、後になって気付いた)。特にテンパったりもせず、大きなへまもやらかさずに済んだのは、ナビゲーターのクリス智子さんが自然で気さくなトークでリードしてくださったからだと思う。本当に、大船に乗せていただいてる感がハンパなかった……。

どうにか無事に出番を終えた後、六本木のブルーボトルコーヒーでニューオリンズを飲みつつ、本を読んで休憩。夜は、六本木で一人で飲んできていいよという許可をもらったので、ひさしぶりにブリュードッグ六本木に行って、フィッシュアンドチップスを肴にIPAを2パイント飲み干した。なんだかんだで、ほっとした。

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李娟『アルタイの片隅で』読了。中国、アルタイの辺境で、李娟が母や妹と一緒に営んでいた雑貨店。厳しい自然の中で流れていく日々のさまざまな出来事が、軽やかでみずみずしい筆致で綴られていく。遊牧民の冬の暮らしに密着した『冬牧場』も素晴らしかったが、この本もしみじみ良い……。この本には収録しきれなかった短篇が原書にはまだ数多く含まれているそうなので、続刊が出ることに期待。

カタギでない世界

昼、行きつけの理髪店で、二カ月ぶりの散髪。バリカンで、6mmの短さで刈り上げてもらう。まだまだ暑いし。

このお店には、もう思い出せないくらい昔から通っていて(たぶん十五年か、それ以上)、店主さんやスタッフさんともすっかり顔馴染みだ(僕の素性もだいたいバレている)。それもあってか、僕が散髪に訪れると、店主さんはほかのお客さんにはあまりしてなさそうな、いろんな話をしてくれる。彼自身はカタギの理容師だが、どういうわけか、カタギでない人々と非常に幅広い交友関係を持っているそうで、ぶっちゃけ、ここには書けないような話ばかりしてくれる。今日の話も、聞いている分には興味深かったけど、あまりにもきわどすぎて、ここにはとても書けない(苦笑)。

世界は、僕が思っているより遥かに広いのだなあ、と散髪に行くたびに思い知らされるのであった。

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川内有緒『空をゆく巨人』読了。インド取材の初日、デリー空港の乗り継ぎ待ちで読み始めたら止まらなくなり、レーに着く前に読み終わってしまった。志賀忠重さんと蔡國強さん、そして二人を取り巻く人々の生き様と、我々自身とも深く関わってくる未来に向けての熱い物語。

カート・ヴォネガット・ジュニア『タイタンの妖女』読了。ザンスカールで橋が壊れて、パドゥムで足止めを食った時に読んだ。有名な作品なので期待してたのだが、自分には「人を食ってる度」が強過ぎたというか、登場人物の誰にも感情移入できなくて、読んでてちょっとしんどかった……。上手いのはわかるのだが。

巣鴨地蔵通り商店街

昨日は千石にある出版社で打ち合わせ。それが終わった後、巣鴨のプルジャダイニングに晩ごはんを食べに行くつもりだったのだが、夕方の開店まで少し時間があったので、巣鴨の地蔵通り商店街を、端から端までぶらぶら歩いてみた。

初めてここに来たのは、二十代の頃だったろうか。東京のほかの場所とは明らかに異質な、高年齢のお客さんをターゲットに徹底的に絞り込んだ店や商品の並びに、なんかすげーなあ、自分は場違いだなあ、と当時は圧倒された記憶がある。でも昨日、ひさしぶりに歩いてみると、昔よりは全然異質な感じも受けず、なんか馴染める感じがするなあ、と思った。理由は単純で、僕がそれだけおっさんになったからだと思う。

あの界隈は、歩道脇とかあっちこっちに、ベンチがたくさんあるのが、休憩するのに助かるんだよな。ほら、完全におっさんだ。