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「メイド・イン・バングラデシュ」

バングラデシュでは数少ない女性の映画監督、ルバイヤット・ホセイン監督の作品「メイド・イン・バングラデシュ」を岩波ホールに観に行った。予想通りというかそれ以上に、重い内容の映画だった。

舞台は、バングラデシュの混沌の首都ダッカ。衣料品の縫製工場で働くシムは、工場の火災で同僚を失ったのを機に、従業員の労働組合を作ろうと決意する。労働者保護団体からの助言を受けながら、同僚たちとともに密かに署名を集めたり、職場の写真を撮影したりするシム。劣悪な労働環境、未払いのままの給料、腐敗した経営者と役人、そして社会に根深くはびこる女性蔑視。傷つき打ちのめされながらも、労働組合設立のために奔走するシムの目指す先には……。

「このTシャツ、1日何枚作ってる?」「1650枚」「あなたたちのひと月の稼ぎは、このTシャツ2、3枚分」

僕たちの身近で販売されているファストファッションの衣類の多くは、シムたちのように劣悪な環境と安い賃金で働く労働者たちからの搾取によって成り立っている。衣類だけでなく、皮革製品や、釘やネジなど、さまざまなものがそうだ。そうした搾取の上に僕たちは胡座をかいて、見て見ぬふりをしているのだと思う。この作品は、若い頃からバングラデシュでの労働闘争に関わってきた女性の実体験をもとにしている。フィクションではあるが、投影されているのはまぎれもなく、バングラデシュの、そして世界の現実だ。

ハッピーエンドともバッドエンドとも言えない幕切れは、バングラデシュの女性たちの闘いが、まだこれからも続いていくことを示している。

「グレート・インディアン・キッチン」

ココナッツを削り、すりつぶしてチャトニにする。鉄板で生地を丸く伸ばして、ドーサを焼く。かまどで薪を焚いて、米を炊く。オクラを刻む。インゲンを刻む。トマトを刻む。タマネギを刻む。バナナを揚げる。魚を揚げる。食卓の上の食べかすを拭い取る。皿を洗う。コップを洗う。鍋を洗う。

ジョー・ベービ監督のマラヤーラム語映画「グレート・インディアン・キッチン」では、冒頭から、家の台所での何気ないカットが、ひたひたと積み重ねられていく。ナレーションもBGMも何もないが、刻々と鬱積していくその短いカットの連鎖からは、監督のある強い意図を感じ取ることができる。

インド人社会の頑迷な家父長制と、理不尽なまでの男尊女卑。現代では時代錯誤にも思えるこうした慣習は、宗教との関係もあってか、いまだに根深く残り続けている。男性だけでなく、女性たち自身の中にも、こういった慣習に囚われてしまっている人は少なくないという。しかし、それは、人としてどうなのか。我々は、目を覚ますべきなのではないか。人が人として、当たり前に生活しながら、互いをいたわりあって生きていけるように。

インドだけではない。世界の他の国々にも、日本にも、こうした男尊女卑の慣習は、さまざまに形を変えて、根深く存在する。あまりにも根深すぎて、誰もが当たり前と受け止め、あきらめてしまっているような慣習が。でも、あきらめてはいけないのだと、この映画を観て、あらためて思った。

「無職の大卒 ゼネコン対決編」

昨年10月に観た「無職の大卒」の続編「無職の大卒 ゼネコン対決編」が、年末年始のIMW2021で公開されることになった。今回はなんと、カージョルが敵役として登場。これは観ておかねば、である。

前作で、無職の身からアニタ建設へ就職し、スラム街の再開発プロジェクトで一躍名を上げたラグヴァラン。隣の家に住んでいたシャーリニともめでたく結婚するが、専業主婦となったシャーリニの鬼嫁ぶりに、ラグヴァランは尻に敷かれっぱなし。そんな中、ラグヴァランは、大手ゼネコンの女性社長ワスンダラから次第に敵視されるようになり、彼女の度重なる圧力によって、会社を辞め、無職に逆戻りしてしまう……。

前作に比べると、物語の展開が全体的にマイルドで、割と予想の範疇に収まってしまっていたな、という印象。ヒット作の続編特有の難しさではあるが、主人公とその味方である周囲の人々との関係がかなり安定してしまっていたので、スリリングさをやや削がれた印象はあった。カージョルが演じたワスンダラも、そこまで振り切った味付けのキャラクターではなかったし。あと、やっぱりこのシリーズでは、何かしらすごい建物を完成させて、カタルシスを感じさせてほしかったなあ、と。

それにしても、ダヌシュの演技は本当に楽しくて、安心して見ていられる。終盤の長広舌の台詞は、さすがのインパクトだった。もしかして、これ、また続編作るのかな……?

「鼓動を高鳴らせ!」

2021年の映画鑑賞は、元旦にゾーヤー・アクタル監督の「人生は二度とない」を観たのが最初だったのだが、年末になって再び、同監督の別の作品を観る機会に恵まれた。この「鼓動を高鳴らせ!」という作品、俳優陣がとにかく豪華。アニル・カプール、プリヤンカー・チョープラー、ランヴィール・シン、アヌシュカー・シャルマー、ファルハーン・アクタル……。あと、ナレーション役の犬の声で、アーミル・カーンまで(笑)。この錚々たる顔ぶれによる群像劇が、はたしてどうまとまるのか、興味があった。

会社経営者として一代で財を成したカマル・メヘラーは、妻のニーラムとの結婚30周年記念に、親戚や友人を地中海クルーズに招待する。クルーズには、結婚した後にオンライン旅行代理店を起業して成功した娘のアイシャや、カマルの会社の後継者と目されている息子のカビールも参加。表向きは仲睦まじく見えるメヘラー家だが、実は、カマルとニーラムの夫婦仲は冷え切っていて、カマルの会社も経営の危機に。アイシャは自分を認めてくれない夫や姑との折り合いに苦悩し、カビールも自身のビジネスへの適性のなさに、別の人生を模索していた。そんな一家を中心に、クルーズ船では、美しいダンサーのファラーや、アイシャの幼馴染のサニーなども絡んだ複雑な人間関係から、次から次へとハプニングが起こり……。

見事な作品だと思う。ボリウッド・ムービーならではのスラップスティックなファミリー・コメディの側面もあれば、インドの富裕層にさえ(いや、富裕層だからこそか)根強くはびこるミソジニー(女性蔑視)の問題を、特にアイシャに絡めて巧く織り込んでいる側面もある。クルーズ船でトルコ各地を巡るロード・ムービーでもあるので、「人生は二度とない」を彷彿とさせるリリカルな旅の描写も随所に挿入されていて、それがとてもいい(特に、カビールとファラーが、イスタンブールの街を自転車で疾走するシーンが最高!)。

とにかく登場人物がものすごく多いため、それぞれに相応なエンディングを用意して見せるのは無理だったと思うが、いろいろ行き違い、すれ違いはあれど、本質的な悪人は一人もいなかったので、みんな悩み惑いながらも、それぞれの道を歩んでいくのだろうな、と観終えた後に何となく思った。

いやあ、本当に、良い映画だった……。

ちなみにこの映画、劇中歌もなかなか秀逸なのだが、特にすごかったのが「Gallan Goodiyaan」。この大人数で、なんと、一発撮り!

「俺だって極道さ」

インディアンムービーウィーク2021で今回最後に観たのは、「俺だって極道さ」。主演はヴィジャイ・セードゥパティ、プロデュースをダヌシュが手がけたという、サスペンス・コメディとでも呼べるような作品。

舞台は南インドの街、ポンディシェリー。警官の母親を持つ青年パーンディは、親の期待とは裏腹に極道の世界に憧れ、仲間たちとチンケな悪さをして日々を過ごしていた。彼はある日、耳に障害を持つ女性カーダンバリに出会い、惹かれていく。カーダンバリは、ある目的のために姿を消し、行方不明となった父親からの連絡を待っていた。父親の目的とは、彼の仇敵であり、彼の妻を殺した張本人であり、カーダンバリが聴覚を失くす原因を作ったギャングの頭領への復讐だった……。

予想できるようで予想が裏切られていくストーリーの組み立てが面白くて、観終えた後に、へーっ!と思わず感心してしまった。コメディシーンが途切れない割には結構な数の人が死んでるし(割と軽めなネタの流れで殺される人もいる)、ヒロインのカーダンバリが抱える苦悩は重すぎるし、そのあたりの対比に戸惑う部分はあったのだが、無敵のヒーローというわけではない主人公を飄々と演じたVJPによって、危ういバランスをうまく保っていたように感じた。

こういう作品を世に送り出していることもまた、南インド映画の懐の深さなのだなあ、と思う。