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「バレーリーのバルフィ」

9月にキネカ大森で開催されているインディアン・ムービー・ウィーク2019。そのラインナップの中に、気になってはいたもののエアインディアの機内では見逃していた「バレーリーのバルフィ」が入っていたので、これ幸いと観に行った。

地方都市バレーリーで暮らすビッティは、父親譲りの男勝りな性格が災いしてか、お見合いをしても失敗続き。家族からのプレッシャーに耐えかねて夜更けに家出した彼女は、駅の売店でたまたま買った「バレーリーのバルフィ」という本の主人公が、なぜか自分にそっくりなことに驚く。その小説は、バレーリーで印刷業を営むチラーグが、失恋の傷を癒すために勢いで書いたものの、元カノに迷惑をかけないために、気弱な友人プリータムの名前を使って出版したものだった。「著者」のプリータムに会うための手がかりを探してチラーグの印刷所を訪れたビッティに、ひと目ぼれしてしまったチラーグ。でも、自分が著者だとは言い出せず……。

この作品はもう、プリータムを演じたラージクマール・ラーオの独壇場だったと言っていい。超がつくほど気弱な性格からの笑っちゃうくらいの豹変ぶりは、彼の演技力がなければ到底表現できなかっただろう。主役のアーユシュマーン・クラーナーの邪悪な演技も笑えたし、ヒロインのクリティ・サーノーンもさばさばした性格のヒロインをバランスよく演じていた(ソーナム・カプールだったらもっと華やかになったかもと思わなくもなかったが)けど、特に後半は、ラジクマの一挙手一投足に目が釘付けだった。

物語自体は、リアリティ云々はともかく、うまい仕掛けだなあと思わせる部分が随所にあって、面白かった。お金のかかった娯楽大作ではないけれど、観終わった後に多幸感に包まれる、インドらしいハートフル・コメディだった。

「ガリーボーイ」


10月中旬から日本国内で公開されるインド映画「ガリーボーイ」。インド本国で公開されたのは今年の初め頃だったから、一年経たずに日本にも上陸という、今までにない早さだ。僕は9月末から3週間半ほど取材でタイに行くので、映画館で見るのは帰国してからかなと思っていたのだが、昨日新宿ピカデリーで、ゾーヤー・アクタル監督と脚本家のリーマー・カーグティーを迎えての「ガリーボーイ」ジャパンプレミアが。この機会を逃すまじと、観に行ってきた。

今年の1月から3月までインドにいた時、ホテルの部屋でテレビをつけると、「ガリーボーイ」のMVがものすごいヘビーローテーションで流れていた。僕も帰国直前に、デリーのコンノート・プレイスの映画館でこの映画を観ようかなと考えていた。ただ、この映画の主題はラップである。日本語どころか英語字幕もない状態では、画面の雰囲気だけしか感じ取れないのではと思い直し、結局観なかった。それは正解だったと思う。今回のジャパンプレミアで、藤井美佳さんによる日本語字幕の付いた状態で観て、この映画の魅力は「言葉の力」の強さであることを、あらためて実感した。

主人公ムラドがノートやスマホに書きつけ、マイクを手に叫ぶ言葉は、激烈で、美しく、悲しみと怒りに満ちている。ムンバイのスラムで生まれ育った彼は、理不尽なほどの身分と貧富の格差にがんじがらめにされ、夢を見ることすら許されない。医大生で恋人のサフィナも、生活は豊かだが人生を選ぶ自由を奪われた、籠の中の小鳥だ。彼らは胸の奥に、炎のような怒りを抱えて生きている。終盤のラップバトルの場面で、ムラドが自分の左胸に何度もマイクを叩きつける姿が、その怒りの激しさを象徴していたと思う。

以前から「クローゼット・ラッパー」だったというランヴィール・シンが自身の声で歌ったラップは、完璧を通り越して凄まじいクオリティだった。「ラームとリーラ」「バージーラーオとマスターニー」「パドマーワト」などで彼が演じてきたのとはまったく違う寡黙で控えめな役柄だったが、だからこそラップでの爆発が活きる。強烈に振り切れた性格のサフィナはアーリヤー・バット以外では演じられなかっただろうし、MCシェールやスカイなど、その他の登場人物もきっちり描かれていて、魅力的だった。何より、ムンバイという巨大都市の抱える理不尽な現実そのものが、この作品に圧倒的な説得力をもたらしていたように思う。

「路地裏の少年」たちは、言葉と音楽の力で、呪われた運命を切り拓く。その姿に、勇気に、喝采を送らずにはいられない。

「あなたの名前を呼べたなら」

この作品の原題は「Sir」。作中で主人公ラトナが雇い主のアシュヴィンに対してたびたび使う「旦那様」という呼びかけの言葉だが、ここから邦題を「あなたの名前を呼べたなら」としたのは、本当に秀逸。見事だと思う。

ムンバイ出身の女性映画監督、ロヘナ・ゲラの長編デビュー作であるこの作品は、2018年のカンヌ国際映画祭批評家週間でGAN基金賞を受賞したという、世界的には折り紙つきの評価を得ている作品なのだが、なぜかインド国内では現時点でまだ上映されていないのだそうだ。その原因は、この映画がインド社会の格差問題を深く掘り下げていることが関係しているかもしれない。

ムンバイの高層マンションで住み込みのメイドとして働く女性、ラトナ。彼の主人アシュヴィンは、結婚相手の浮気が発覚して結婚式自体が取りやめになった直後で、落ち込んで鬱々とした日々を送っていた。家事をしながらひっそりと見守るラトナは、自分は19歳の時に結婚させられたが、病気であることを隠していた夫が4カ月後に亡くなり、未亡人になってしまった、と打ち明ける。村では未亡人になったら人生終わりと言われたが、私の人生はまだ続いている、と。ファッションデザイナーになる夢を捨てずに裁縫の勉強をしたいと意気込むラトナとの毎日に、少しずつ信頼と安らぎを感じはじめるアシュヴィン。しかし二人の間には、身分、経済力、教養という、インド社会では越えることのできない格差の壁があった……。

物語のほとんどは、ムンバイの高層マンションに暮らすアシュヴィンの家の中で展開される。静かで淡々とした時間の中で、ラトナ役のティロタマ・ショーム(「ヒンディー・ミディアム」でいささかイカれたお受験コンサルタントを演じていたのと同一人物とは思えない!)とアシュヴィン役のヴィヴェーク・ゴーンバルの抑制の効いた演技が、互いの心の揺れを丹念に紡ぎ出していく。現代の社会においてさえ、名前で呼ぶことすらかなわない、身分違いの恋。二人はその理不尽なしがらみに屈するのか、それとも飛び越えるのか。

特に、あのラストシーン。個人的には、最高だと思う。良い映画なので、映画館で、ぜひ。

「Baaghi 2」

今年の夏にインドまで往復した際に乗ったエアインディアの機内では、インド映画はあまり観られなかった。冬にインドに行った際に機内で観たのとラインナップがあまり変わってなくて、めぼしい作品はほぼ観たことがあるものだったからだ(あと、復路はシステムエラーとかで機内のほとんどの座席モニタが死んでて何も観られなかった、苦笑)。その中でも往路で観たのが「Baaghi 2」。タイガー・シュロフ主演のサスペンス・アクションで、日本でも「タイガー・バレット」という邦題で今年初めにDVDが発売されている。

軍の特殊部隊に所属するロニーは、学生時代の元恋人ネーハから連絡を受け、誘拐されて行方不明になった娘リアの捜索を依頼される。しかし、捜索を開始したロニーの元には、「そもそもネーハに娘はいない」という証言ばかりが集まる。偽りを語っているのは証言者たちか、それともネーハか……。

シリーズ前作の「Baaghi」は未見なのだが、タイガー・シュロフとシュラッダー・カプールによる単純明快な肉体格闘アクションで、インド国内でもかなり好評だったそうだ。今作は前作とのストーリー的な関連はなく、ヒロインもディシャ・パタニ(タイガー・シュロフとは私生活でも恋人同士だったはず)に交替。物語の4分の3は謎解きサスペンス、残り4分の1は「ランボー」的な銃火器撃ちまくりの一網打尽アクションという構成になっている。

作品の大半を占める謎解きサスペンスは、確かに意表を突く展開なのだが、仕掛けのための仕掛けというか、少し冷静に考えるとありえないというツッコミどころが多すぎて、観ていてちょっときついなあという印象。最後の最後に、必要以上にハチャメチャな銃火器撃ちまくりアクションで全部まとめちまおうというのも、正直無理があるなあと感じた。

タイガー・シュロフの映画と聞いて皆が期待するのは、単純明快でしなやかな肉体格闘アクションではなかったかな……と思ってしまう作品だった。

「ヒンディー・ミディアム」

2017年にインドで公開されてスマッシュヒットを記録し、海外でも高い評価を得た映画「ヒンディー・ミディアム」。日本でも9月6日(金)から公開されることになったのだが、ひと足先にマスコミ試写で拝見してきた。

デリーの下町育ちのラージは、身一つからの叩き上げで婦人服店の経営を成功させた。今は妻のミータと娘のピアとともに幸せに暮らしているが、目下の悩みは、ピアのお受験。経済的には問題ないけれど、学歴が低く英語も苦手な二人は、娘を英語教育の受けられる一流の私立校(イングリッシュ・ミディアム)に入学させたいと考えている。滑稽なほど熾烈なお受験競争に右往左往するラージは、とうとう書類を偽造までして、貧困層の子供向けの優先入学枠を狙うのだが……。

インドの学校は、全国津々浦々にある公立校のほか、大都市などにある私立校がある。特に有名私立の一貫校は、入学できれば将来が約束されたも同然になる(と考えられている)ので、ものすごい倍率での競争が繰り広げられる。この映画で描かれているお受験狂騒曲も、実はそこまで誇張された表現でもないのだという。現代インド特有の階層社会や教育制度のこじれた部分を浮かび上がらせつつ、それらを物語にうまく織り込んでコミカルに仕上げた脚本が秀逸。主演のイルファーン・カーンの力の抜けたトボけた演技(でもキメる時はキメる)も、作品全体に安定感をもたらしていた。

インド人と英語というテーマの作品だと、最近では「English Vinglish」(邦題「マダム・イン・ニューヨーク」)がすぐに思い浮かぶし、教育に関しては言わずもがなの「3 Idiots」(邦題「きっと、うまくいく」)や、同じくアーミル・カーンの「Taare Zameen Par」(邦題「地上の星たち」)など多くの作品がテーマとしている。人間一人ひとりの持つ本来の価値は、学歴や収入や社会的地位などに囚われないところにあるはずだ。この「ヒンディー・ミディアム」も、そうした当たり前のこと、でも多くの人々がともすれば見失いがちなことに、あらためて気付かせてくれる。