Tag: Magazine

「ソトコト」2015年11月号

stkt1511cover10月5日(月)発売の雑誌「ソトコト」2015年11月号の巻頭インタビュー「人の森」で、ラダックで人工氷河などのプロジェクトに取り組むエンジニアであり、教育改革運動SECMOLの創設者でもあるラダック人、ソナム・ワンチュクさんへのインタビュー記事の企画・撮影・執筆を担当しました。同誌のサイトでも記事の一部を読むことができます。

「BE-PAL」ラダックフォトレポート短期連載

bepal_ladakh1501小学館のアウトドア雑誌「BE-PAL」のWebサイト上で、2015年7月から8月にかけてラダックで取り組んだ取材を基にしたフォトレポートの短期連載が始まりました。9月30日(水)から毎週水曜日、全部で5回の記事が掲載されます。マナリからレーに至るまでの山越えの道の様子をはじめ、パンゴン・ツォのメラクで数日間滞在した時の体験や、SECMOLフェイ・キャンパス訪問記など、いろいろ盛りだくさんです。興味のある方はご覧になってみていただけるとうれしいです。よろしくお願いします。

丑三つ時の妄想

新しいアイデアというのは、ふとしたはずみで出てくるものだが、僕の場合、どうもそのタイミングが丑三つ時に集中している。

そろそろ寝るかとパソコンを閉じ、歯を磨いて、布団をめくって中に潜り込み、スヤァ‥‥となりかけたとたん、文字通り、ぽん、と音を立てるようにしてアイデアが浮かんでくるのだ。それは、本や雑誌記事のテーマだったり、タイトルやキャッチコピーの具体的な文言だったり、その時々によっていろいろなのだが。

薄れゆく意識の中で浮かんできたこのアイデア、翌朝もまあ覚えてるだろうとそのまま寝入ってしまうと、僕はまず間違いなく忘れてしまう(苦笑)。なので、睡魔に抗うようにしてむくりと起き上がり、暗闇の中を居間のデスクまで歩いていって、ブロックメモにそのアイデアを殴り書き。それで安心して寝床に戻る。

で、翌朝、あらためてそのメモを見返してみると、なんでこんなのが珠玉のアイデアに思えたんだろう、という場合がほとんど(苦笑)。でも、昨日の丑三つ時に思いついたアイデアは、今朝になって見返しても、そんなに悪くない。うまく形にできるといいな。こんな風にして僕は本を作っている。

「素材」への敬意と感謝

時に編集者の立場になる自分自身への戒めも込めて、の話なんだけど。

編集の仕事では、文章や写真、イラストなど、いろんな素材を組み合わせながら、本や雑誌の形に仕上げていく。だが、ともすると編集者は、こうしたものを本当に単なる「素材」としてしか見なさなくなってしまいがちになる。その結果、それらをぞんざいに扱って、ライターや写真家、イラストレーターをすっかり失望させてしまうことも少なくない。

「素材」に問題があるから手を加えたんだ、それが編集者の仕事だ、という人がいるのもわかる。でも、ライターや写真家が憤慨するような扱い方をせざるを得なくなったのなら、ライターや写真家側に手抜かりがあったならともかく、でなければ最初の仕事の発注時点で問題があったからだ、と僕は思う。その場合、編集者はちゃんと謝罪しなければならない。

編集者は、ライター、写真家、イラストレーター、デザイナー、その他のスタッフが提供してくれる成果に対して、常に敬意と感謝を持たなければならない。ライターは一文字一文字に、写真家やイラストレーターは1ピクセルごとに、それぞれの思いを込めている。最終的なゴールを目指していく時、編集者は途中でさまざまな決断を下す必要に迫られるけれど、その中でもけっして、関係するスタッフの気持をうかつに踏みにじるようなことはしてはならないと思う。

常に敬意と感謝を忘れずに。改めて、自分自身への戒めも込めて。

「カワイイ」がわからない

仕事の参考資料に、女性向けのカメラ雑誌を買った。

こういう雑誌を家でじっくり読むというのは初めての経験だったのだが、ある意味すごいなあと思ったのが、「カワイイ」に対する編集部のこだわりだ。子供、女性、ペット、花、小物、イルミネーション。あらゆるものをかわいらしく撮るためのコツやテクニックが網羅されている。それだけ世の中のカメラ女子の方々は、「カワイイ」写真に惹かれているのだろう。

正直、僕はそういう「カワイイ」写真の撮り方はよくわからない。そもそも、何が「カワイイ」かどうかの基準なのかがわからないし。僕が過去に撮ったラダックの子供の写真とかで、見る人に「カワイイなあ」と思ってもらえるものがあるとしたら、それは、元からかわいらしい子供にたまたま出会って、そのありのままの姿を、何も考えずに撮らせてもらっただけだ。

たぶん僕は、いつまでたっても「カワイイ」写真の撮り方がわからないままなんだろうな(苦笑)。