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チームワークについて

次に出す新刊の制作も、いよいよ佳境。来週明けに再校、六月中旬に色校、七月頭に見本誌をチェックし終えたら、無事に完成ということになる。最後の最後まで、まったく気の抜けない作業が続く。

一般的な本の場合、著者は原稿を書き終えたら、その後の作業は編集者にまるっと託して、自身は著者校正や、折々のちょっとした確認、デザイン案などで意見を求められた時に答える程度の状態に落ち着くのが普通だと思う。ただ、去年出した本と今回の本の場合、著者である僕は、原稿を書き終えてからも関わらざるをえない作業が、やたらと多い。結果的に、編集実務のほぼ九割くらいを請け負う状態になってしまっている(ちなみにその分もらっているわけではない)。

台割の策定。写真のセレクト。帯文のコピーライティング。各人からの校正のとりまとめ。デザインの修正提案。特典グッズの提案と準備。進行スケジュールの提案と不備の指摘。何もそこまでしなくても、というところまで関わってしまっている。自分の本だから何一つ適当に済ませたくないし、任すに任せられない厄介な事情もあるのだが、正直、めっちゃ疲れる(苦笑)。

これまで、いろいろな出版社と本づくりの仕事をしてきた中で、各々の担当分野で誠実に協力してくれる方々と非常に良いチームワークを実現できたこともあれば、残念ながらあまり良いチームワークにならなかったこともある。本づくりという仕事に対する姿勢や思い入れの違いとか、理由はいくつかある。僕はただ、読者の方々に喜んでもらえるような本を、一冊々々、誠実に届けていくために、できる努力を全力で尽くしていきたいだけなのだが、世の中には、それが優先事項にならない人もたまにいる。その場合は、もう、折り合えない。

いつもの本づくりでは、書いている時も編集している時も楽しくて、いつまでも校了しなければいいのに、とまで感じる時もある。でも、今作っている本は、できるだけ速やかに、事故なく無事に完成させてしまいたい、と思う。良い本にしたいとは思っているし、自分なりにやり遂げる自信もあるが、正直、あまり楽しくはないし、とにかく疲れる(苦笑)。チームワークの大切さを、痛感している。

はあ。やれやれである。

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李娟『冬牧場 カザフ族遊牧民と旅をして』読了。中国・アルタイの辺境で遊牧生活を営むカザフ族の一家とともに、真冬の放牧地で過ごした数カ月間の記録。軽やかな、でも深みのある筆致で、遊牧生活の素朴さと厳しさ、温もりと孤独が、丹念に描かれている。チベットやモンゴルと同じく、アルタイのカザフ族の遊牧生活も、中国政府が推し進める遊牧民の定住化政策によって、刻々と失われつつある。すっかり消え失せてしまうかもしれない冬牧場での素朴な生活を想う李娟さんの気持は、僕にも痛いほどわかる気がする。

次のフェーズへ

午後、表参道方面へ。今年の夏頃に出す予定の新刊の、デザインについての打ち合わせ。

去年出した「インドの奥のヒマラヤへ」と同じ方々にご担当いただくので、作業の進め方をお互い共有できているから、その点ではかなり心強く、安心してお任せできる。あとは、編集段階での著者校正と、入校前の色校正に、しっかり集中して取り組まねば、だ。

正直、自分が書き下ろした原稿、いまだにあれで大丈夫なのかどうか、自分で自信が持ち切れないでいるのだけど(汗)、ここまで来たら、次のフェーズへと突っ走っていくしかない。常に最善を目指し続けていれば、たぶん、一番良い形に収まる、はず。たぶん……。

校了まで、がんばろ。それしかない。

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焦桐『味の台湾』読了。素晴らしかった。今年これまで読んだ中ではベストの一冊。台湾ならではの食べ物や飲み物について、ひたすら滔々と綴られているのだけれど、その中に、著者自身の人生の光と影が、漂うように滲んでいて。この本に書かれていたことを思い出しながら、いつかまた台湾を訪れたい。

本をつくる意味

本の原稿を書く時は、なるべく心穏やかに、集中して、できれば楽しい気分で取り組みたいと思っているのだが、なかなかうまくいかない時もある。

今までで一番きつかったのは、2011年に、ラダックのガイドブックの最初のバージョンの取材と執筆に取り組んでいた時期。その年は東日本大震災で日本中がしっちゃかめっちゃかだった上に、夏には父が急逝してしまったので、仕事に気持ちを向かわせるのが本当に難しかった。一昨年来のコロナ禍も大変というか、先行きが不透明すぎて、仕事のペースをコントロールするのが難しかった。それは今もだけど。

で、昨日勃発した、ロシアのウクライナ侵攻。自然災害や疫病なら、人間では完全には防ぎ切れない現象ではあるが、戦争は、100パーセント、人間の所業によるものだ。愚かな独裁者の凶行によって、死ななくてもいい人々が大勢死につつある。そのやりきれない現実に、気持ちがぺしゃんこに押し潰されそうになる。

自分みたいな人間が、文章を書いたり、写真を撮ったり、本を作ったりすることには、何の意味も価値もないのではないか。あっという間に虚しく消えていく文字列を、独りよがりにキーボードで叩いてるだけなのではないか。

正直、わからないし、自信も持てない。それでも今、自分にできる精一杯のことは、本をつくるという仕事だ。意味や価値があるのかどうかわからないけれど、ほんのわずかでも自分の中で信じるに足る何かがあるなら、それを言葉にして、本に記録して、残していこうと思う。

今書いている本には、偶然だが、ロシアでの体験の話も出てくる。あの時自分が見た、ありのままのあの国の姿を、伝える努力をしようと思う。

予定の組み替え

午後、都心の出版社で打ち合わせ。制作中の本について、編集者さんと、あれこれ密談。

今作っている本については、このまま粛々と作業を進めていけば、初夏か晩夏かまだ定まっていないが、いずれにせよ、夏のうちには上梓できると思う。なので、これからしばらくはその作業に没頭するだけなのだが、僕自身には別の懸念事項がある。今年の夏の予定だ。

制作中の本のほかに、別の出版社と、ラダックについての本を作ることが決まっている。その本に必要な取材を今年の夏に実施して、秋以降に執筆に取りかかって、来年の前半くらいに完成できれば……という青写真を描いていた。

でも、最近のコロナ禍の再燃で、夏の海外渡航はすっかり不透明な状況になっている。不可能ではないかもしれないが、渡航のためにいろいろ無理をしなければならないかもしれず、しかも取材先の現地が平穏な状況に戻っている保証もない。正直、今年の夏の渡航は難しいかな、と思っている。

なので、その別の本に関しては、取材と執筆の順序を逆に組み替えようと考えている。先にできる範囲で執筆をしておいて、取材は来年の夏に回し、その成果を反映させて、来年のうちに完成させる、というやり方だ。内容的に先にある程度執筆できる本ではあるので、今はそれがベストな選択肢かなと思っている。

まあ、できる時に、できることを、粛々を進めていくしかないのかなと思う。

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ハワード・ノーマン『ノーザン・ライツ』読了。カナダの北極圏に暮らす少数民族の口承物語を取材していた著者が、自身の少年時代の経験を反映させながら書いた最初の小説作品。中盤から終盤にかけて結構な急展開の連続で、個人的にはそのチェンジオブペースにちょっと驚いてしまったのだが、序盤で描かれた辺境の村クイルの情景と、そこで暮らす人々一人ひとりの描写は本当に緻密で豊かで好ましくて、一冊丸ごとクイルが舞台でもよかったのに、とすら思ってしまった。主人公のノアには、いつかクイルに戻ってほしかった、かも。

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佐々木美佳『タゴール・ソングス』読了。十日ほど前、同書の刊行記念に催された、佐々木さんが監督したドキュメンタリー映画『タゴール・ソングス』上映会&トークイベントに参加して、会場で購入した。映画の字幕でも、この本でも、タゴールの遺した数々の歌を佐々木さんが自ら訳した歌詞が載っているのだが、その言葉選びの一つひとつがとても丁寧で、するっとタゴールの歌の響きに感情を重ねることができた。ある土地や人々に対して、予断を何も持たず、まっさらな気持ちでまっすぐに向き合うのは、ノンフィクションの基本であると同時にもっとも難しいことでもあるが、佐々木さんは、映画でも本でも、そのまっすぐな姿勢にぶれがない方だなあ、と感じた。誠実な映画だったし、誠実な本だと思う。

本の置き場所

先週までに本の草稿を最後まで書き上げ、今週はもっぱら確定申告の準備をしていたのだが、それもあらかた終わったので、ひさしぶりに、本棚の整理に手をつけた。

確定申告の準備をしていて、新聞図書費の支出額で実感したのだが、ここ数年、本の購入冊数が明らかに増えた。コロナ禍で自宅にいる時間が増えたことや、自宅のテレビを処分したことで読書時間が長くなったことなどがあると思う。それはそれで良いのだが、問題は、本の置き場所である。

僕は以前からスライド書棚を使っているのだが、書棚だけではとっくの昔にしまいきれなくなっているので、ダイソーの収納ボックスに詰めてソファの下に逃がしたり、枕元の空きスペースに置いたり、明らかにもう読まないだろうなという本は古本屋に持って行ったりしている。それでも、書棚にできた隙間は、あっという間に埋まっていく。今住んでいる自宅もそんなに広くはないので、デッドスペースも早晩なくなってしまうだろう。本だけでなく、アウトドア用の服や装備、カメラ機材など、いろいろあるので。

壁一面、床から天井まで書棚になってるような家にも憧れはあるのだが、たぶんそういう書棚も、あっという間に埋まってしまうのだろうな。