写真を通じて世界を愛するということ

昨日、渋谷で開催中のソール・ライター展を見た後、雑誌か何かで「ソール・ライターのような写真を撮るためのテクニック」という趣旨の記事を見かけた。構図の選び方、キーカラー、鏡やガラス、雨や雪の日、覗き見的なアングル……そんな内容だった気がする。もし、ソール・ライター自身が存命で、その記事に目を通したとしたら、たぶん例の調子で、フン、と鼻で笑うだろう。

もし、本当の意味で、彼のような写真を撮ろうとするなら、ニューヨークのイースト・ヴィレッジで、54年間、毎日、写真を撮り続けるしかない。小手先のテクニックと写真の本質は、まったく別のところにある。

完璧な構図、完璧な光線、完璧な配色、決定的な瞬間。すべての要素が完璧に計算しつくされた写真だから喚び起こせる種類の感動があることは否定しない。でも、少なくとも僕の目から見て、ソール・ライターがイースト・ヴィレッジで54年間、日々淡々と撮り続けてきた写真の一枚々々は、けっして狙いすまして撮られた完全無欠の作品ではないと思う。むしろ不完全で、微妙に揺らいでいて、思いもよらない何かが写り込んでいたり、逆に見切れていたり。理屈や計算では説明しきれない部分に、彼の写真の本質がある。

現実の世界は、いつも不完全で、人の思うようにはならないものだ。彼は、写真を撮ることを通じて、世界を愛した。ただただ、イースト・ヴィレッジの日常を、ありのままの世界を、愛していたのだと思う。

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