昨日の夜、ふと思い出したこと。
十数年前、僕はそれまで勤めていた出版社を辞めて、メキシコをバスを乗り継ぎながら旅していた。巨大なサボテンが佇む荒野、エメラルド・グリーンのカリブ海、ホエザルの叫びが轟くジャングル、艶やかな衣装を纏った少数民族‥‥。メシはうまいし、陽気なラテンのノリは楽しいしで、僕はすっかりメキシコが気に入ってしまっていた。
メキシコ中部にある、グアナフォトという街を訪ねた時のことだ。グアナフォトは、スペインの植民地時代に銀山の近くに作られたヨーロッパ風の瀟洒な建物が残る街で、ヨーロッパ本土でも、ここまで美しい街並が残っているところはそう多くないのではと思えるほどだった。朝から晩までずっと歩き回っていても、僕は少しも飽きることがなかった。
グアナフォトの街外れに、ピピラの丘という場所がある。独立戦争の英雄ピピラの巨大な像が建つ丘だ。歩いて登るのはかなり大変だが、頂上からは、精緻な工芸品のようなグアナフォトの街並が一望できる。特に、夕暮れ時の眺めはすばらしい。僕は展望台の手すりに両肘を載せたまま、暮れていく空の下で、街の明かりが、一つ、また一つと灯りはじめるのを眺めていた。
街の中心にある教会の鐘が、時を告げる。
ふと気づくと、僕の左側、数メートル離れたところに、欧米人の初老の男性が一人立っていた。背筋をぴんと伸ばし、両手を腰に当て、黙ったまま、どことなく寂しげなまなざしで、暮れていく街並を見つめている。欧米人が一人で旅しているのは珍しいな、と思った。そして、「もし、僕が彼くらいの年齢になっても、彼のように、一人で見知らぬ国を旅していたりするのだろうか?」と思ったことも憶えている。
昨日の夜、思い出したのは、ピピラの丘で見たこの初老の男性のことだ。二十代だったあの頃は、自分が彼くらいの年齢になるのは、まだまだずっと遠い先のことのように感じていた。でも今は、もうそこに辿り着くまでの中間地点まで来てしまったような気がする。
彼の年齢に達した時、僕はどうしているのだろう? カメラをぶら下げて、一人で異国をほっつき歩いたりしているのだろうか?(苦笑)
今は、なるべく思い残すことがないように、日々を生きていくしかないのかな、と思う。
