「ラダックの風息 空の果てで暮らした日々」には、いわゆる「あとがき」に相当する文章がない。本文がとても綺麗な形ですとんと終わっているのと、正直ページ数が許容範囲ギリギリだったので(苦笑)、載せないことにしたのだ。でも、もし「あとがき」を書くならこんな文章を載せよう、というアイデアは持っていたので、ここで紹介させてもらうことにする。特にネタバレなどはないが、本を全部読み終わったあとで読みたいという方もいると思うので、以下は畳んでおく。
---
「‥‥あなたにとって、ラダックとは、何ですか?」
この本の企画を出版社に持ち込みに行った時、編集者の荒木重光さんはこう僕に訊いた。そんな質問をされるなんて、僕は考えたこともなかった。だが、答えは自然と口をついて出た。
「僕にとって、ラダックは、約束の場所だったのだと思います」と。
旅をすることが好きな人は、世の中にたくさんいる。その動機は人によってさまざまだ。国から国、街から街へ、自分の思い描いたルートを辿る行為そのものが好きだという人もいるだろう。でも、僕のように何度も長い旅をくりかえしている人は、「ここは、自分が来るべくして来た場所だ。ここは、自分のことを待っていてくれたんだ」と思えるような場所を、心のどこかで探し求めているのではないかと思う。
ラダックは僕にとって、そういう約束の場所だった。
日本での仕事をすべて放り出してラダックに旅立った時、自分がやろうとしていることは間違っていないと思ってはいたが、正直、やり遂げられる自信はひとかけらもなかった。たった一人でラダックでやっていけるのか。納得のいく取材や撮影ができるのか。その成果を一冊の本として出版することなんて、本当に実現できるのか----。
だが、そんな心配は杞憂だった。
ラダックで出会った人々は、屈託のない笑顔とともに僕に居場所を与えてくれた。日本からも、大勢の人がメールやブログを通じて、僕を見守り、励まし続けてくれた。たった一人で始めた試みは、いつのまにか、本当にたくさんの人の思いを乗せて動き続けるようになっていった。
この本は、そういう人たちに後押しされて、形になった。僕はただ、背中を押されるままに写真を撮り、文章を書いただけのような気がする。書き終えてから、そんな思いはますます強くなった。
ラダックが大好きな人にこの本を楽しんでもらいたいのはもちろんだが、まだラダックのことをよく知らない人にも、この本をきっかけにラダックのことを好きになってもらえたら、これほどうれしいことはない。そして時間と都合が許すなら、いつの日かラダックを訪れてみてほしい。耳元を吹き抜ける風息が、きっと何かを語りかけてくれると思う。
みなさんにとって、ラダックが、約束の場所の一つになりますように。


Add your comments