スティーヴン・ソダーバーグがチェ・ゲバラを題材にした映画を、それも二部作で撮ったという話を聞いて思ったのは、それらは今という時代に撮られるべくして撮られた映画だったのかもしれない、ということだった。この、何もかもが行き詰まって無力感が漂う時代に生きている人々が、20世紀を象徴するカリスマであった彼のような存在が現れるのを、心のどこかで待ち望んでいるのだ、と。
「チェ 28歳の革命/39歳 別れの手紙」は、ベニチオ・デル・トロがチェを(凄まじいまでの迫真の演技で)演じている映画でありながら、ある意味、ドキュメンタリーに近いアプローチで作り上げられた映画だ。生存者への取材や現存する資料のリサーチには7年間を要し、映画の中で描かれている大小さまざまなエピソードには創作されたものは一つもなく、すべてが証言やリサーチに基づいて丹念に組み立てられたものだという。
そのためか、この二部作にはいわゆる映画的に演出された展開や台詞はあまり登場しない。国連総会で歴史的な熱弁をふるうチェも、行軍中に喘息の発作を起こして弱々しく咳き込むチェも、家族と過ごす最後の夜に妻に膝枕をしてもらっているチェも、カメラは淡々と、しかし生々しく映し出す。観客はまるで銃を手にして一緒にジャングルの中を歩いているように、彼の姿を、言葉を、追い続けることになる。彼を出迎える人々の喝采も、頭上を飛び交う銃弾の戦慄も、悲しい最期の瞬間までも。
僕には、とりわけ印象に残っている場面がある。ボリビアの政府軍の追っ手から逃れるため、疲弊し切ったゲリラの同志たちとともに林の中を行軍している時、喘息の発作で弱り切っていたチェの乗る馬が、突然、歩くのをやめてしまう。空腹で疲れ果て、その場から一歩も動けなくなった馬から降りたチェは、無言のまま、急に怒り狂ったかのように馬の手綱を何度も引っぱり、馬を引きずってでも前に進ませようとする。当時のチェが感じていたであろう思うに任せぬやるせなさ、苛立たしさが、ぎくりとするような形で目の前に差し出された気がした。
チェは、あまりにも強い信念に生きた人だった。世界を変えるためには時に銃の引き金を引かなければならないこともあるというその信念を、僕はどうしても肯定することはできない。けれど、彼は、39歳という短い生涯のほとんどすべてを、文字通り命すら投げ出して見ず知らずの人々のために捧げ尽くした。厳然として存在するその事実には、ある種の畏敬の念すら感じる。
「チェ」というのは、彼の生まれ故郷であるアルゼンチンのスペイン語方言で「やあ」という挨拶の言葉で、それを始終耳にしていたキューバの人々が彼につけたあだ名なのだという。今なお多くの人々に愛され続けている彼に、これ以上ふさわしいあだ名はなかったのかもしれない。


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