学生時代、ごく短い期間だったが、「SWITCH」という雑誌で使い走りのバイトをしていたことがある。その当時、編集部に在籍していた浜美雪さんは古今亭志ん朝師匠の特集に真っ向から取り組んでいた。自ら企画し、取材し、原稿を書き、編集もする。その獅子奮迅の仕事ぶりを目の当たりにして、それまで生ぬるい気分で編集者を志していた僕は「編集をやるなら、文章を書くなら、ここまでやらなきゃだめなんだ」ということを思い知らされた。
あれから15年もの歳月が過ぎた。ラダックから戻ってきた僕は、日本にいない間に、浜さんが二冊の本を上梓していたことを知った。「師匠噺」と「笑いの女神たち コメディエンヌXファイル
」。どちらも、「笑芸人」の編集者としてお笑いの世界をずっと見つめ続けてきた浜さんにしか書けない、渾身の作品だと思う。
特に「師匠噺」は、12組の落語家の師弟関係についてのインタビュー集なのだが、ただでさえ取材が難しい題材なのに、丹念に調べ上げた材料を丁寧に組み立て、粋と呼べるほど鮮やかな語り口で描いている。取材対象への愛情と、きちんとした信頼関係がなければ、こんな文章は書けない。この年になって、自分はまだまだヒヨッコだということをまたも思い知らされた(苦笑)。
落語家の師弟というのは不思議なものだ。弟子にしてもらうことは概してとても難しいが、いったん弟子入りすると、師匠は弟子を無償で食べさせ、落語家になるための基本を叩き込み、一人前になるまで心を配る。厳しい修業を通じて、師弟の間には親子かそれ以上の情愛が通うようになる。ともすればすさんでしまいがちな今の日本の社会では希有と呼べるほどの、深い人間関係が築かれているのだ。
特に面白いと思ったのは、落語家の師匠は、自分の弟子に対して落語の稽古をつけたがらない人が多いということ。落語家の多くは、自分の師匠以外の落語家から噺を教えてもらっているのだという。それでも弟子はその師匠に似てくるというのだから面白い。師匠のそばに四六時中一緒にいて、その一挙手一投足を目にし続けることで、弟子は落語の稽古以上に大切なものを師匠から学んでいるのかもしれない。
僕は、文章の書き方を誰かに教わったことはない。文章読本を読んだりしたこともない。教わったことがあるとしたら、15年前、浜さんから言われたこの言葉だけだ。
「文章を書くということは、自分が伝えたいことは何なのか、それは自分にとって何なのか、とことん突き詰めることだと思う」
この言葉を忘れずにいたから、僕は今日まで、物書きのはしくれとしてやってこれたような気がする。そういう意味では、浜さんは僕にとっての師匠なのだと思う。


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