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雑記 アーカイブ

2007年2月 1日

僕がラダックに行く理由

初めてラダックを訪れたのは、2000年9月のことでした。

マナーリからレーに向かう1泊2日の長距離バスに乗った僕は、初日の宿泊地だったセルチュ近くのテントハウスで、ものの見事に高山病を発症。こめかみにラジオペンチをねじこまれるようなひどい頭痛と吐き気に苛まれながら、僕はぐったりとなってバスの座席に揺られていました。

「‥‥ゴンパ(僧院)だ!」

と、小さく叫んだ誰かの声に顔を上げると、左側の窓から、岩山の上にそびえるスタクナ・ゴンパがちらっと見えました。「あれがゴンパというものか‥‥」とぼんやり思っていたら、やがて前方に、ティクセ・ゴンパ(このブログのトップページ写真のゴンパです)の勇壮で美しい姿が。あの時の、全身が震えるような感覚は忘れられません。

たぶん僕はあの瞬間に、ラダックという土地に恋をしてしまったのだと思います(笑)。だからその1週間後にラダックを去る時も、「僕は必ずここに戻ってくる」という、確信に近い予感がありました。そしてその思いは数年の時が過ぎても薄れることはなく、2005年の冬、2006年の春、と再訪を重ねるうちに、ますます強くなっていきました。

これ以上ないほど苛烈で、でも美しい自然。信仰というものの奥深さ。そして何よりも、この土地で生きる人々の屈託のない笑顔。

ラダックのことを、もっと知りたい。そして、一人の物書きのはしくれとして、それを誰かに伝えたい。でも、どうすればそれができる?

僕が出した結論は、「時間をかける」ということでした。

日本での仕事の合間にチョコチョコと通うくらいでは、全然時間が足りないし、底の浅いものになってしまいかねません。季節の移り変わりを肌で感じながら、納得がいくまで時間をかけて、いろんな場所を見て回り、いろんな人に話を聞きたい。そうしなければ、自分の目指すものは書けないと思ったのです。

ラダックで暮らすために、日本でのフリーライターとしての仕事をすべて休止する。端から見れば酔狂としか言いようがないでしょう。たとえ本を上梓できたところで、金銭的には赤字確実(笑)。でも、僕にとっては、自分が本当に書きたいことを書かないで帳尻合わせの人生を送る方が、我慢できなかったのです。

というわけで僕は、しばらくラダックに滞在することを決めました。ヴィザの再取得やデジカメの撮影データのバックアップ、装備の入れ替えなどの関係で、半年に一度くらいのペースで日本に一時帰国する予定ですが、現地での滞在期間は、足かけ1年か、2年くらいになると思います。

その間音信不通になってしまうのは簡単ですが(笑)、せっかくのいい機会なので、現地のサイバーカフェからこのブログを更新してみることにしました。1時間100ルピーの料金を気にしながらの更新になるため、日記のクオリティにはあまり期待せずに、温かい目で見守っていただけるとうれしいです。

本格的な更新は2007年5月中旬からになるので、しばらくはプレオープン状態となります。その間は、このブログの右のサイドバーに「About Ladakh」としてまとめたラダックについての基本情報のほか、写真展などについての情報をお伝えしていければと思っています。RSSフィードを取得するなどして、ゆるりとチェックしてみてください。

2007年4月23日

ジュレーラダック

4月21日(土)と22日(日)に開催されたアースデイ東京2007の会場で、ジュレーラダックのメンバーのみなさんにお会いしてきました。

ジュレーラダックは、日本在住のラダック人、スカルマ・ギュルメットさんが主宰するNGOです。ラダックでの環境に優しい持続的開発の支援をはじめ、伝統文化の保護、女性や子供の経済や教育における待遇改善、国際交流の促進などを目指して活動を続けています。具体的には、ラダックへのスタディツアーの催行や、ワークショップやセミナーの開催、コミュニティソーラークッカーの導入支援などを行っているそうです。

アースデイが終わった後、打ち上げの飲み会に僕も参加させてもらいました。スカルマさんとゆっくり話をさせてもらうことができて、うれしかったです。メンバーのみなさんは本当に、ラダックが好きで好きでしょうがないという感じ。こんな風に人の心をわしづかみにする魅力がラダックという土地にはあることを改めて感じましたし、そういう魅力をもっと多くの人に伝えられるような本を書きたいという思いを新たにしました。

スカルマさんをはじめ、メンバーのみなさんとはまたスタディツアーの時に現地でお会いできそうなので、楽しみです。ツアーはまだ参加申し込みを受け付けているとのことなので、興味のある方はぜひ。

2007年5月12日

行ってきます!

いよいよ、ラダックに発つことになりました。第一次プロジェクトの始まりです(笑)。

一年ぶりのラダック、しかも今回は前代未聞の長逗留。正直、未だに全然ピンときてません‥‥。たぶん、レーの空港に降り立って、空を見上げて、あの薄〜い空気を肺に吸い込んだら、少しずつ実感が湧いてくるんじゃないでしょうか。

ラダックで行ってみたい場所、会ってみたい人、やってみたいこと、本当にたくさんあります。焦らず、力まず、自分自身が楽しむことを考えて、一つ一つのことに取り組んできたいと思います。

ではでは、行ってきます!

2007年6月 2日

ラダック・シネマ・パラダイス

昨日、レーのポログラウンド脇にあるホールでラダックの映画が上映されると聞いたので、見に行ってきました。まだラダック語は全然わからないのでどうなることやらと思いましたが、以前知り合ったラダッキの女の子が、隣の席でちょこちょこ英語で解説してくれたので、何とか話についていくことができました。

上映されたのは、「ミクチュ」という映画。「ミク」は目、「チュ」は水なので、「涙」という意味の題です。幼い頃に母を亡くした少年が、継母にいじめられながらも成長し、義理の弟との絆を深めながら、愛する女性と結婚し、幸せになる‥‥という、「おしん」みたいなお話。制作も出演も、すべてラダッキによる映画です。

驚くなかれ、上映時間はなんと2時間30分。休憩時間が入るほどの長い映画でした。なぜかというと、話自体はシンプルなんですが、途中でミュージカルシーンがフルコーラスで、何度も何度もインサートされるのです。これがとにかく長い。ストーリーを忘れかけた頃にようやく音楽が終わって、しばらく話が進むとまた‥‥という感じ。でも、どの曲もローカルバスの中とかでガンガン流れているので、きっとラダックでのヒット曲なんですね。

映画の技術的な話はともかく、ラダックの風景(シャクティのあたりらしいです)の映像は美しかったし、ラダッキのライフスタイルも結構描写されていたし、個人的には結構面白かったです。あと、観客の反応が楽しかった。笑いどころではみんなどっと大笑いしたり、愛の告白シーンではヒューヒュー歓声が湧き起こったり、リアクションが素直。「ニュー・シネマ・パラダイス」のワンシーンを思い出して、ほのぼのした気分になりました。

2007年6月 3日

ツァンパ

今日の朝ごはんは、ツァンパでした。麦を炒って粉に挽いたもので、ラダック語ではンガンペといいます。ラダックで暮らす人々の主食です。

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2007年6月18日

トゥクパ

ラダックに来て以来、いろんな料理を口にしましたが、中でも僕が一番好きなのは、トゥクパです。

一般的には汁物系料理をひっくるめてトゥクパと呼ぶらしいのですが、基本的にはチベット風のうどんです。街のチベタン食堂のメニューにはほぼ必ずトゥクパがありますが、既製品のだるだるに伸び切った麺やくせのあるスープが出てくることがほとんどで、僕はいまいち好きになれませんでした。

ところが、シャクティでのファームステイ中や、レーのゲストハウスでデチェンさんが作ってくれたトゥクパは、本当においしい。薄く延ばして手でちぎった麺を、羊肉と野菜を煮込んだスープで食べるだけなのですが、街のチベタン食堂のトゥクパとは比べものにならないくらいうまいのです。大鍋で煮込んだトゥクパを小鉢に取り分けて、みんなでハフハフ言いながら食べる楽しさも、味に貢献しているのかもしれません。

写真のトゥクパは、麺と羊肉と野菜だけのシンプルなものですが、麺に卵を練りこんだり、黒胡椒やドライチーズ、コリアンダーをスープに加えるといっそうおいしくなります。

2007年6月19日

ゴンチェをオーダー

ラダックに滞在するようになってはや一カ月になりますが、まだろくすっぽラダック語も理解できない状態。とりあえず、見た目だけでもラダッキに近づこうと思って(笑)、ゴンチェというラダックの民族衣装であるウール製のロングコートを買うことにしました。

いや、実は、このブログにも時々コメントを寄せていただいているkaoriさんが、ラダック在住のチベット人の方と来月ご結婚されることになり、その式に呼んでいただいたので、だったら盛装でいこうかなあ、と。

ゴンチェはレディメイドで売っているものもたくさんありますが、せっかくの機会だし、仕立て屋で採寸してもらってオーダーすることにしました。とはいえ、どこの仕立て屋がいいのかさっぱりわからないので、宿でデチェンさんに聞いてみたところ、「いい仕立て屋を知ってるから任せなさい!」と言われ、連れて行ってもらうことに。

そうして案内された仕立て屋は、レーのメインバザールの裏手にあるムスリム街(パン屋がいっぱいあるところ)の二階にある、看板も何もない薄暗い一室。中には一台の使い込まれたミシンと、壁から吊るされた完成した服の数々。ぼそぼそと小さな声でしゃべるその仕立て屋さんは大人気の方らしく、採寸メモにはものすごい数のバックオーダーが。でも結婚式にはぎりぎり間に合うようで、ほっとしました。

次はウールの生地選び。メインバザールのとある生地屋で、いろいろな布を見せてもらいました。ラダッキはこげ茶色のゴンチェを着ている人が多いのですが、そこはあえて外して、ダークグレーの渋い色をチョイス。肌触りもなかなかでした。

あとは腰に締める帯選び。これは単色の物や絞り染めのような柄物など、いろいろな種類があるので、すぐに決めずにいろいろ見て回ることにしました。

そんなこんなで始まった「見た目からラダッキ化」計画ですが(笑)、ゴンチェが完成したらまたご紹介します。

2007年7月 6日

最近のことなど

今日は、ダライ・ラマ法王のお誕生日ですね。チョグラムサルにある法王の邸宅内の広い芝生には、大勢のラダック人やチベット人がやってきて、テントを張ってピクニック気分でお祝いをしていました。チベット本土からはこんな嫌なニュースも聞こえてきましたが‥‥。

さて、ここのところ写真中心のエントリーが続いていたので、たまには普通のブログらしく(笑)、近況報告などを書いてみたいと思います。

まず、僕自身に関しては、五体満足、すこぶる元気です。ラダックに来てから二度ほど嘔吐と下痢の症状に苦しんだのですが、最近はまったく問題なし。顔はすっかり日に焼け、たまにラダッキと間違えられます(笑)。僕は髪の毛が伸びるのが早くてすぐぼさぼさになるので、先月レーの床屋で散髪したのですが、近頃またぼさぼさになりつつあり、若干怪しい風貌です。

ラダックに来る前、友人たちは異口同音に「ラダッキの彼女を見つけてこい!」と言ってましたが、いや、それはなかなか難しい(笑)。かわいい子は多いんですけどね‥‥言葉の壁が。最近も暇を見つけては、ラダック語のよく使う言い回しや単語を少しずつ覚えようとしているのですが、ヒアリングは難しいし、文字はややこしいし、挫けそうです‥‥。

今回日本から持ってきた荷物はどれもおおむね役に立っていますが、唯一誤算だったのが、靴下。毎日アホみたいに歩き回っているせいか、軒並み穴が空きつつあります。こっちで怪しげな靴下を買って足にマメを作るのも嫌なので、まもなくラダックに来られるkaoriさんに、3足1000円の靴下を持ってきていただくことにしました。

ラダックはすっかり夏の空。ゲストハウスやレストラン、トラベルエージェンシー、土産物屋などは、年に一度の書き入れ時に張り切って店を開けています。旅行者の数も増え、僕が滞在しているゲストハウスにも、ちらほらと欧米人の泊まり客がやってくるようになりました。デチェンさんは役所の事務仕事と宿での仕事に追われ、毎日大忙し。台所でみんなであぐらをかいてメシを食うという我がゲストハウスの風習に、泊まり客たちも満足しているようです。

レーで日本人の旅行者の方を見かける機会はそれほど多くないのですが、僕以外にも、ラダックに長期滞在している方がいます。風の旅行社という旅行代理店からの依頼でラダックに滞在している、飯田泰也さん。飯田さんは長年チベット文化圏について研究されていて、僕など及びもつかない幅広い知識を持っている方です。飯田さんも風の旅行社のWebサイト上で「飯田泰也のラダック駐在日記」というブログを更新されているそうなので、興味のある方はぜひご覧になってみてください。

そんなこんなで、とりとめのない雑記になりましたが、僕は元気ですので、ご安心を。

2007年7月 9日

ラダックの電気事情

僕が初めてラダックを訪れた2000年の夏、レーの街では、夕方の7時頃から夜の11時頃までのほんの数時間しか電気が供給されていませんでした。その上停電もしょっちゅうで、「電気なんて来なくて当たり前」みたいな状態だったのです。

それに比べると、最近のラダックの電気事情はずいぶんましになって、電気はほぼ一日中供給されるようになりました。でも停電が多いのは相変わらずで、日々の生活に懐中電灯とろうそくは欠かせません。そういえば、昨日も明かりが点いたり消えたりしてたなあ(笑)。

ラダックの電力は今、スタクナとへミスの間にある水力発電所から供給されています。ただ、その出力は未だに不安定なため(うちのゲストハウス一家の長男ワンチュク君曰く「ありゃ技術的に失敗作だ」)、その不足を補うべく、アルチの近くに大規模なダムを新たに建設する計画が進められているようです。

でも、僕は思うのです。どうしてダムなんだ? と。

年間を通じてほとんど雨が降らないラダックは、世界中を探してもほかにちょっと見当たらないほど、太陽光線に恵まれている土地です。ソーラーパネルによる発電&蓄電の仕組みをもっと積極的に取り入れれば、ダムで環境を破壊することなく、クリーンなエネルギー源を手に入れることができるのです。

LEDeGなどのNGOでは、山間部の村にソーラーパネルと蓄電施設を設置したり、小さな川でも利用可能な小型の水力発電機などの提供を働きかけています。そういった努力をしている人々がいる一方で、なぜ巨額の費用がかかる大規模なダムを建設しようとする人々がいるのか‥‥。環境問題に対する関係者の理解が浅いのか、それとも何かしらの利権が絡んでいるのか。

せっかくの天からの恵みなのだから、太陽光線をもっと有意義に活用してもらいたいと思うのですが。

2007年7月15日

モモ・トゥクパ

先日、風の旅行社のガイドの飯田さんとチョグラムサルを訪れた時、ちょっと変わったものを食べました。

写真をご覧になっていただくとわかるように、トゥクパ(チベット風うどん)の上にモモ(チベット風餃子。皮は厚めで中身は羊肉や野菜など)がどーんと載っています。これはモモ・トゥクパ、ミックス・トゥクパなどと呼ばれているもので、ラダックのチベタン食堂ではたまに見かけるメニューです。普通、この両者が一緒くたになって出されることはありえないんですけどね。

このモモ・トゥクパを出してくれたウインドホース・レストランのご主人曰く「10年くらい前からあったのは覚えてるけど、それ以前のことはわからない」とのこと。飯田さんによると「こんなメニュー、ほかのチベット文化圏では見たことがない‥‥」そうです。

肝心の味についてですが、少なくともこの店で食べたモモ・トゥクパはとてもおいしかったです。普通のトゥクパは羊肉が数切れ載っているだけで、多すぎる麺と一緒に食べる時のペース配分が難しいのですが、モモ・トゥクパは具が豊富なので、気にせずガンガン食べることができます。さすがにボリュームはすごいですが。

この店での値段は45ルピー。ラダック名物モモ・トゥクパ、と呼べるでしょうか(笑)。

2007年7月21日

また会う日まで

二週間ほど前、滞在中のゲストハウスの近所に住んでいた一人の老人が亡くなりました。80歳のご高齢だったそうです。遺体は一週間ほど自宅に安置されて僧侶たちによる供養が行われた後、先週の日曜日、荼毘に付されました。僕は亡くなった方とは一度もお会いしたことがないのですが、ラダックの葬儀がどのように行われるのか見学したかったこともあり、デチェンさんたちと一緒に弔問に伺いました(以下、今回は写真はありません)。

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2007年7月27日

ゴンチェ完成

6月にオーダーしたゴンチェ(ラダックの伝統的なコート)が完成しました。先日の結婚式の時に着て行ったのですが、ブログで報告するのをすっかり忘れてました。ちなみにこの写真を撮ってくれたのは、ゲストハウスに帰省中の次男、ジグメ君です。

実際にゴンチェに袖を通してみると、思っていた以上にゆったりしていて着心地がいいですね。腰の部分は両脇で布をたくって、帯できゅっと締めています。胸元には財布などちょっとしたものを入れられるし、右腰の部分にもポケットが付いているので、意外と実用的です。でも、僕は生まれてこのかた、こんなに裾の長い服を着たことがないので、階段とかでしょっちゅう裾を踏んづけて「おおぅ!」とよろめいてます(笑)。

ダークグレイの生地と、ちょっとくすんだピンクの帯とのマッチングも、な、なかなかだと思うのですが‥‥どうでしょうか? モ、モデルが悪い?(笑)

これからも何か改まったことがある時は、このゴンチェをガシガシ着ていきたいと思います。

2007年7月29日

チャン

インドという国では、人前でおおっぴらに酒を飲むことは避けるという習慣があるため、ここラダックでも酒屋はごくわずかで、ビールが飲めるレストランも限られています。では、ラダッキは普段酒を飲まないのかというと、全然そんなことはありません。

ラダックでよく飲まれているのは、チャンという酒。バッレという高地性の麦を発酵させて作るどぶろくです。見た目は白く濁っていて、口に含むとちょっと酸味があって、なかなかうまい。そんなにアルコール度数が高くないので、クイクイ飲める感じかな。

ただ、チャンは酒屋やレストランなどでは売られておらず、人々が自宅で仕込んで作るものに限られています。民泊やホームステイの際に飲めるチャンスがあったらラッキーかも。

ちなみに今年の春、僕がファームステイで滞在したシャクティでは、畑仕事の合間に男も女もチャンをグイグイ飲んでおりました(笑)。

2007年8月 2日

てんやわんやの日々

ダライ・ラマ法王が毎年恒例の静養にやってこられたので、いささか浮かれ気味のラダックの人々ですが、僕はといえば、ここ数日、てんやわんやの日々を送っておりました。

月曜の朝、僕はレーからダーに向かう長距離バスに乗ったのですが、満員の車内に遠慮して、バックパックをバスの屋根の上に積んでいたところ、何者かに中身を物色されてしまいました。あんなデコボコ道を突っ走るバスの屋根で、走行中にそんな命がけの所業を働く輩がいるとは‥‥。僕もラダックののどかな環境に慣れてしまっていたせいか、いささか油断していました。不覚。

盗まれたものは、寝袋やレインポンチョ、常備薬のポーチ、そして迂闊にもバックパックに入れたままにしていた帰りの飛行機のチケットと日本円少々など。翌日、急遽レーにとんぼ返りして、ヘトヘトの状態で警察に直行し、すったもんだの末、今日の朝、なんとか盗難証明書を発行してもらうことができました。

航空券や海外旅行保険の手配でいつもお世話になっている西遊旅行さんにメールで連絡したところ、この警察の証明書があれば、帰国後に携行品保険を請求して、盗まれた物品の代金を取り戻せるとのこと。また、帰りの飛行機のチケットも多少のチャージ追加で再手配できるそうで、一安心しました。

さらに、約10日後にラダックを訪ねてきてくれる予定の友人ご一行様が、こちらで今手元にないと困る救援物資を持ってきてくださることに。本当に助かります。

それにしても、今回の一件で、あらためて気づいたことがあります。

去年ダーを訪ねた時にすっかり仲良くなったスキャババ・ゲストハウスのルンドゥプ君は、僕の話を聞くと血相を変えて心配して、バスの車掌や運転手にあれこれ話を聞いてくれ、「君の事件のことを考えると、心配で全然眠れなかったよ‥‥」と、宿代さえなかなか受け取ろうとしませんでした。レーのゲストハウスに戻ってくると、デチェンさんが「昨日電話があってから、あんたのことが気になって気になって‥‥大丈夫かい?」とおろおろしながら出迎えてくれましたし、帰省中の長男のワンチュク君は、自らバスターミナルまで情報を集めに行ってくれたり、警察まで付き添って証明書を申請するのを手伝ったりしてくれました。行きつけのカフェの店員さんや、サイバーカフェの従業員さんたち‥‥誰も彼もが心配して、励ましてくれたのです。

自分のことをこんなにも親身になって気にかけてくれる人たちが、ラダックにいてくれる。そのことが心の底から有難かったし、このラダックという場所が、今の僕にとっての居場所になっているのだということを、しみじみと感じました。たぶん、平穏無事な日々を送っていただけでは、気づかずに過ぎていたことかもしれません。

みんな、本当にありがとう。

2007年8月 6日

殺人事件

のどかで平和で、物騒な事件はめったに起きないラダックですが、先日、残念な事件が起きてしまいました。

8月4日、ラダックでもっとも有名な仏教美術が残っている下ラダックのアルチ・ゴンパで、2人の僧侶が殺害されているのが発見されました。この2人はゴンパの入場料を管理していたそうで、それを狙っての犯行だったようです。しかし、入場料はその前にサスポルの銀行に預けられていて、犯人は何も奪わずに逃走しました。

僕の盗難騒ぎの時は何一つ捜査してくれなかった(苦笑)警察も、この時ばかりは本気で動いたようで、翌8月5日、2人のネパール人男性が逮捕されました。敬虔な仏教徒が多いラダックでは、ラマを殺して金を奪うなんて、信じられない行為です。

インド本土やネパールなど、外部からの人々の流入が増えてくると、ラダックでもこういう類の事件が増えるのかな、と、いささか残念な気持になりました‥‥。

2007年8月15日

僕が伝えたいこと

お盆休みの時期だからか、ラダックにも大勢の日本人旅行者が訪れるようになりました。ところがどうしたわけか、そういった日本人の方々(もちろん初対面です)から、恐ろしいほどの高確率でこんな風に声をかけられるのです。

「日本人の方ですか? ‥‥もしかして、ラダックのブログを書かれている方ですか? いつも読んでいます!」

‥‥いったいどうなってるんでしょうか、このブログは。こちらではログを取っていないのでさっぱりわからないのですが、もしかすると、ものすごくたくさんの方々に読んでいただいているのかもしれません。僕の友達くらいしかチェックしていないと思ってたのですが‥‥。そうだとすると、物書きのはしくれとしてはとてもありがたいことです。本当にありがとうございます。

ただ、そうやってこちらで僕に声をかけてこられる方のほとんどが、その次に、

「どこかにいいゲストハウスはありませんか? おいしいレストランはどこですか? どこそことどこそことどこそこを回りたいんですが、どうすればいいですか? どこの旅行代理店がおすすめですか?」

と矢継ぎ早に質問されるのです。

‥‥本当に、本当に申し訳ありません。そういう類の情報、僕はまったくといっていいほど疎いんです‥‥。僕みたいなペーペーよりも詳しい情報をお持ちの方はほかにもたくさんいらっしゃいますし、ロンプラや旅行人のラダックガイドを参考にされた方が、よっぽど信頼できると思います。もちろん、質問された中で僕が知っていることがあればお教えしますし、何かトラブルで困ってらっしゃる方がいれば、できるだけお力になりたいとは思っているのですが。

ただ、僕がこのブログで、そして僕が書こうとしているラダックについての本で、いわゆる「ラダックを楽しく効率よく満喫する」ための情報は、これからもあまり書いていこうとは考えていないことは、あらかじめお伝えしておきたいと思います。

過去数回、そして今回のラダックでの滞在で訪れたほとんどの場所へ、僕はいつも一人きりで旅をしていました。ローカルバスが走っていればそれに乗り、バスがなければヒッチハイクをし、車が来なければ自分で歩いていきました。電灯さえない宿に泊まったり、宿がなければ民家の台所で寝かせてもらい、ゴンパの僧坊に泊めていただいたりもしました。別に、それが特別なことだとは考えていません。そういう旅でなければ感じ取れないこと、出会えない人がいる。ラダックの本当のすばらしさ、奥深さを伝えるためにはそうすることが必要だと思ったから、そうしただけなのです。

もちろん、ラダックに来られる日本人の方々のほとんどは、仕事の合間の限られたお休みを利用してやってこられている方々ですから、僕のようなもみくちゃな旅をされることが難しいことは重々承知しています(かつて日本で毎週のように仕事の締切に追われる日々を送っていた僕も、同じようなジレンマを抱えていました)。短い休みを満喫するために、快適なホテルに泊まり、おいしいレストランで食事をし、ジープで効率よくゴンパをめぐり、メインバザールでいいおみやげを買い‥‥。確かにそれもラダックの旅のひとつの楽しみ方です。でも、少なくとも僕が伝えたいのは、そういった類のことではないのです。

埃まみれになって一緒に畑を耕し、休憩中にバター茶を飲んでいる僕の顔を見ていた、ツェリン・ナムギャルのやさしいまなざし。宿の世話と役所の仕事でくたくたになっているのに、夜遅くにおいしいスキウを作ってくれて皿によそってくれた時の、デチェン・ラモの笑顔。そういうことをこそ、僕は伝えたい。そう思っています。

2007年8月20日

気持のいい人々

僕がレーで拠点にしているゲストハウスは、メインバザールから歩いて15分ほどの町外れにあります。慣れてしまえばどうということはないのですが、初めてレーに来た人にはかなり遠く感じられるため、町からはるばるやってきてうちに部屋を求める人は、それほど多くありません。まあ、もともと客室は5部屋しかないし、風呂もトイレも共同なので、あまりたくさん客が来ても困るわけですが。デチェンさん自身も、「お客さんはあんまりたくさん来すぎない方がいいねえ」と言ってるし(笑)。

そんなせいもあってか、うちの宿に泊まりに来る人は、前にも泊まったことのあるリピーターが多いのです。そしてほとんど例外なく、面白い人が多い。

シチリア島生まれで、今はフランスで英語とイタリア語の教師をしているキャロルは、なんと14年も前から毎年のようにラダックにやってきている常連さん。「今年は南インドに行ったんだけど、モンスーンの雨にうんざりしちゃって、またラダックに飛んできちゃったの」。チェコ人のルブラは、ティクセをはじめ、あちこちのゴンパや学校に衣類やコンピュータなどを提供する活動をしています。「ラダックでウインドウズをアップデートすることが、僕のバケーションなんだよ」。4年前にラダックを訪れたドイツ人のガブリエルは、今度は結婚したばかりの奥さんのティナを連れて、新婚旅行でラダックにやってきました。しかし、新婚旅行なのに、ツォ・カルからツォ・モリリまで、標高5000メートルの高地をトレッキングするのはどうかと思うぞ、ガブリエル(笑)。

そんな泊り客たちは、自分たちの部屋に引き籠もったりせず、台所まで下りてきては、デチェンさんやほかの泊り客たちと一緒にワイワイ言いながら、おいしそうにごはんを食べています。みんな本当に、ラダックが、そしてこの宿のことが好きなんだなあと感じるひとときです。

ある日、ガブリエルが僕に言いました。

「タカ、僕は不思議に思うんだ。ここは町外れにある小さな小さなゲストハウスなのに、どうしてこんなに気持のいい人たちばかりが集まるんだろう?」

僕もそう思います。誰も彼も、会えてよかった、と心から思える人たちばかり。

そんな彼らも、一人、また一人と旅立っていきます。ラダックに、少しずつ秋の気配が近づいてきています。

2007年9月23日

ワナ

ご無沙汰してます。昨日の夕方、ザンスカールからレーに戻ってきました。

3週間ぶりのレーは、すっかり秋の気配です。空には刷毛ですーっと長く刷いたような筋雲が漂い、木々の葉は黄色く色づき、散り始めています。夏の間は日陰で涼んでいた野良犬たちも、今は日向で丸まってます。今朝は、まるで冬を思わせるような冷たい雨が降りました。「毎日々々、だんだん寒くなってるねえ」とはデチェンさん。

ザンスカールで起こった出来事については別のエントリーでお伝えしていくとして、とりあえず、ザンスカールからレーまで戻ってくるのがほんとに大変でした。

まず、ザンスカールのパドゥムから、ラダック西部にあるイスラム教徒の町カルギルまで移動するのに一苦労。私営のため運航日がまちまちなバスには乗ることができず、結局乗り合いジープでスシ詰め状態になりながら、ほぼ夜通し突っ走って16時間後にようやくカルギル着。その間に口にしたものといえば、ランドゥムの茶店で食べたメギ(インスタントラーメン)とビスケットだけ。

とにかく疲れてハラペコだったので、宿で3時間ほど仮眠を取ってから、うまいカシミール料理レストランはないものか、と町に繰り出したのです‥‥が。

やってない。町中歩き回っても、どこのレストランも閉まっているのです。なんで?

これは‥‥もしかして‥‥

ラマダーン?!

まじっすか‥‥よりによって、ラダックくんだりまできて、ラマダーンの直撃を受けることになろうとは‥‥。

その日はしかたなく、昼間は八百屋で買ったリンゴでかろうじて飢えをしのぎ、夕方になってようやく見つけた営業中のレストランで、なんとか丸一日ぶりにまともな食事にありついたのでした。

翌日乗ったレー行きのバスも、途中でエンジンが異音を立ててぶっ壊れてしまうという運の悪さ。1時間ほど経ってあとから来た別のバスに乗り換えて、どうにかレーにたどり着くことができました。やれやれ。

そんな風に帰り道にワナにはまりまくった僕ですが、身体の方はとても元気です。前より調子いいくらい。来る日も来る日も歩いていたせいか、身体がぴしっと引き締まった感じ。腹筋も割れまくりです。いやー、お目にかけたい(笑)。

ザンスカールでは、たぶん1000枚くらい写真を撮りました。次のエントリーから、フォトレポートをぼちぼち始めていきますので、お楽しみに。

2007年9月28日

自分の居場所

ちょっと前の話になりますが、8月、シュゥブラを取材するためにシェイに滞在していた時、一人の面白い日本人に会いました。

彼の名前はケイタ君、22歳。ジュレーラダックの長期滞在プログラムに応募して、5月中旬から、シェイ、ティクセ、イグー、サスポルなど、さまざまな村に滞在して農作業を手伝ってきたそうです。

驚いたのは、彼がものすごく流暢なラダック語を喋るようになっていたこと。わずか3ヵ月ちょっとの滞在のうちに、日常的なやりとりではまったく困らないどころか、合間にちょっとしたヤンスパ(冗談)を交えながら話ができるようになっているのですから、驚異的な上達っぷりです。ほぼ同じ期間をラダックで過ごしていながら、単語を適当に並べるだけでろくに会話もできないでいる自分が、ちょっと恥ずかしくなりました。

「ラダックに来たばかりの頃は、ものすごくつらかったんです。周りの人が何を喋ってるのかさっぱりわからないし、黙ってたら『何で黙ってるんだ、何か喋れ』とか言われるし‥‥。だから、ラダック語の教本や辞書を買ってきて、必死になって勉強しました。でも、ある程度喋れるようになった今は、みんなと過ごしている時間がすごく楽しいんですよ」

実際、彼とシェイの村を歩いていても、「ケイタレ、ケイタレ」と、小さな子からじいちゃんばあちゃんに至るまで、大勢の人々がケイタ君に声をかけていましたし、それに受け答えしているケイタ君の顔も本当に嬉しそうでした。

そんな風に彼がラダックの人々の中に居場所を見つけることができたのは、彼がラダック語を喋れるからだけではありません。農作業や日々の雑用、そして特技である料理の腕前(そばやうどんも打てるそうです‥‥!)を活かした炊事の手伝いなど、自分ができることなら何でもやろうという意気込みで、一生懸命にラダックの人々の暮らしに溶け込もうとした彼の努力が、みんなに認められたからだと思います。

「ここに来る前は、ラダックに行きたい、というくらいしか、やりたいと思えることがなかったんです。でも今は、早く日本に帰りたいですね。帰ったらやってみたいことが、たくさん見つかったんですよ」

そう言って笑うケイタ君は、これから何らかの形でラダックという土地に関わる仕事をしようとしているのだと思います。それは決して平坦な道程ではありません。どちらかというと、つまづいたり、行き詰まったり、打ちのめされたりすることの方が多いかもしれません。

でも、たぶん大丈夫。ケイタ君には、ラダックという、自分の居場所があるから。

2007年10月 5日

ラダックの水事情

ラダック語では、雨のことをチャルパ、雪のことをカーと呼びます。

「カーはいいけど、チャルパはよくない」と、うちの宿の長男のワンチュク君が以前僕に話してくれたことがあります。

「冬、山に雪が降れば、それは積もって氷河になり、夏になると少しずつ溶け出して、ちょうどいい案配で畑を潤してくれる。でも、夏に雨がたくさん降ると、それはどこにも留まらないで川に流れ込んで、道路や橋を押し流してしまうんだ。だから、カーは助かるけど、チャルパは困る」

ワンチュク君の言うとおり、去年の夏、ラダックでは例年になく雨が多くて、あちこちの村で水害の被害が出たそうです。土質がサラサラの砂礫ばかりのこの土地では、多少の雨でも大きな影響が出てしまいます。今年はそれほど雨は降らず、降っても月に1、2回、それもほんの数時間といった程度でしたが、ラダックらしいスコーンと突き抜けた青空が見えた日より、中途半端にもわもわと雲が広がっていた日が多かったような気がします。

では、雪はどうかというと、こちらは逆に年々減り続けているそうです。「昔はこのあたりでもたくさん雪が積もったんだけどねえ。最近はさっぱりだよ」とデチェンさん。実際、2年前の冬に僕がラダックを訪れた時も、最初のうちはまったく雪が積もっていなくて、覚悟を決めて来たのに拍子抜けした記憶があります。

降雪量の減少に伴い、ラダックやザンスカールの山岳部にある氷河の面積も、だんだん小さくなってきているそうです。このままだと、10年か20年後、あるいはもっと早くに、ラダックは深刻な水不足に見舞われるのではないかと僕は考えています。水の供給が涸れ果てて、人々が移住を余儀なくされるような村が出てくるかもしれません。そうなってしまう前に、綿密な調査と先を見越した対策が必要になると思うのですが‥‥。

2007年10月 8日

ペラク

ラダックには、チベット本土とはまた違った独特のスタイルの民族衣装があります。その中でも一番象徴的なのは、ペラクではないでしょうか。

この頭飾りは、結婚式や特別な式典などの時にラダックの女性が身につけるものです。後端は腰のあたりに届くほど長く、大小のトルコ石がびっしりと縫い付けられています。その左右には、大きな耳のようにも見える黒いひさしが張り出しています。ラダックの研究をしている友人の宮坂さんによると、このペラクの形状はコブラの頭をかたどったもので、青いトルコ石は水の精霊ルーを象徴するものなのだそうです。縫い付けられているトルコ石の数からもわかるように、ペラクはとても貴重で高価なものなので、先祖代々、母から娘へと大切に受け継がれています。

今回ラダックに来て、各ゴンパの祭りの時などにペラク姿の女性をたくさん見ることができるだろうと思っていたのですが、意外にもそういう女性はほとんどいませんでした。ダライ・ラマ法王のティーチングの時、捧げ物を持っていた女性たちがペラクをつけていたくらいで、あとはラマユルのユル・カブギェとシェイのシュゥブラの時にちらほらと見かけたくらいでしょうか。この写真はシェイで撮影しました。見ることができた人はラッキーかと。

ペラク姿の女性たちを見ていて個人的に感じたのは、「これを一日中つけてたら、首が痛くなるだろうなあ‥‥」ということでした。半端じゃなく重いと思いますよ、ほんとに。

2007年10月11日

旅と日常

“そのころも旅をしていた。”

開高健の『夏の闇』は、たしかこんな一行から始まったように思います。

この小説は、ベトナム戦争の従軍記者として凄絶な体験をした主人公が、心の奥に抱えた闇から逃れるように、欧州であてどない彷徨を続けるという物語です。この冒頭の一行の後には、雨に濡れそぼったパリの街の情景が続くのですが、異国の街を一人で彷徨う男の孤独が見事なまでに描かれていて、物書きとしては妬ましくなるほどの名文です。

ラダックに来る前、僕は仕事の合間に時間と金の都合をつけては、あちこちの国を旅して回っていました。知らない街に辿り着き、重い荷物を背負ったまま、その日の寝床と食べ物を探して路地裏をとぼとぼ歩く。そんな時、僕の脳裏にはよく、この“そのころも旅をしていた。”という一行が浮かんできます。『夏の闇』の主人公のように心に闇を抱えてはいないけど、あの冒頭の文章に込められていた言いようのない孤独や不安は、異国を一人で旅する自分にはぴったり重なり合うと感じていました。そしてそれが、ぞくぞくするほど愉しかった。

でも、ラダックに来てからは、この一行が脳裏に浮かんできた回数は、そんなに多くありません。それまで繰り返してきた旅と、今回ラダックで過ごしている日々は、どこか根本的に違うのです。飽きたわけでも、慣れたわけでもない。

“しっくり馴染んできた”とでも言えばいいでしょうか。

ラダックで半年近い月日を過ごしてきて、身の回りの色々なものに、自分の感覚が馴染んできたような気がするのです。空の青さ、空気の薄さ、砂塵を舞い上げる風、雪を被った山々、岩山にそびえるゴンパ、日干しレンガの家々‥‥。そうしたものを当たり前のように身近に感じることが、この上なく心地いいのです。

しっくり馴染むことができたのは、ラダックの人々のおかげも大きいと思います。レーの街をぶらぶら歩いていても、日に3、4人は知り合いに出くわして、「何やってるの?」「いつ日本に帰るの?」「今度うちに遊びにおいでよ!」‥‥といった具合に声をかけられます。行きつけの店や食堂ではすっかり顔を覚えられているし、夜になって宿に戻れば、デチェンさんたちとワイワイ言いながらテレビを見ている毎日。時々知らない村に出かけていっても、会う人会う人みんな気さくで親切で、“孤独”とか“不安”とか、そういったものを感じている暇がない(笑)。

ラダックを“旅”するのではなく、ラダックで“日常”を感じてみたかった。そう思ったからこそ、僕は今回、できるだけ時間をかけてラダックに滞在することを選びました。その選択は間違っていなかったと感じています。通りすがりの“旅”の目線だけでは捉えることができないものが、ここにはある。孤独や不安でぞくぞくすることはないけれど、それ以上に大切なものを感じ取ることができると思うのです。

11月にはいったんこの暮らしをリセットして、日本に一時帰国します。ヴィザの再手配や冬の装備の購入のほか、公私共に色々とやらなければならないことがあるからですが、ここで一呼吸置くことで、またリフレッシュした感覚でラダックでの“日常”に戻れるような気がしています。冬のラダックがどんな表情を見せてくれるのか、本当に楽しみです。

2007年11月20日

タルチョ

ラダックを訪れると、家々の屋根の上、峠、橋といった場所に、まるで万国旗のようなカラフルな5色の旗が結びつけられているのをしばしば目にします。この旗はタルチョと呼ばれるもので、仏教の経文が刷られている祈りの旗です。5つの色にはそれぞれ意味があって、青は空、白は風、赤は火、緑は水、黄は地を象徴しているのだそうです。

今年の夏、ダライ・ラマ法王が車でレーの街を抜けてヌブラを訪問されると聞いた近所の人々は、その通り道の至るところにタルチョを張り巡らせて、お出迎えの準備をしていました。僕も、帰省中だった宿の長男のワンチュク君と次男のジグメ君と一緒に、木や塀に梯子をかけてタルチョを張りました。ワンチュク君曰く「一番端っこが青い旗になるようにしなきゃならないんだよ」とか。知らなかった。

澄み切ったラダックの空に5色の旗がはためくたび、人々の祈りは風に乗って運ばれていきます。

2007年11月26日

再びラダックへ

ラダックから一時帰国して、3週間ほど経ちました。あっという間でしたね。航空券やヴィザを手配したり、冬の滞在に必要な装備を買い揃えたり、いろんな用事を片付けたりしているうちに終わっちゃった感じです。あとは飲み会とか、飲み会とか、飲み会とか飲み会とか飲み会とか飲み会とか‥‥ってどんだけ飲むんだ俺(笑)。標高が低いので泡が抜けないビールがうますぎて、おかげで体重が1キロ増えてしまいました。忙しいのにつきあってくれたみなさん、ありがとう。今回お会いできなかったみなさん(特に仕事関係の知人の方々)、ごめんなさい。次に戻ってくる時には必ず。

それにしても、東京は、いろんなことがちゃんとしてますね。停電しないし、どこに行ってもエアコンが効いてるし、蛇口をひねれば水もお湯も出る。そこらじゅうにコンビニや自販機があるし、いつでも、どこでも、何でも好きなものが食べられる。電車は5分間隔で走ってるし、買い物する時に1万円札を出しても「おつりがありません」とか言われない(笑)。何もかもがきちんと行き届いていて、モノも情報も娯楽もあふれるほどあって‥‥。

でも、ここには、一番大事なものがない。

ラダックで暮らしていた時に日々感じていた、何気ない、でもかけがえのないもの。それが、少なくとも東京での僕の暮らしからは、ぽっこり欠けてしまっているような気がするのです。それを一言で言い表すのは難しいし、言葉にしたとたんに陳腐になってしまいそうなのですが‥‥。

それが何なのかを確かめるために、再びラダックに戻ろうと思います。

11月28日に日本を発ち、香港で数日間ストップオーバーして友人を訪ねた後、12月4日の朝にはレーに入る予定です。到着したら、冬のラダックの様子やロサル(正月)のレポートなどを、またこのブログでちょくちょく書いていきたいと思います。

では!

2007年12月13日

お年玉

日本のお正月とラダックのロサルは、なんとなく似ているところがあるなあと思います。

ロサルが明けると、ラダックの人々は近くのゴンパに初詣(?)をして、あちらこちらの家族や親戚、友人をまめに訪ねて回ります。そして行く先々で宴会攻勢(笑)。ラダックにはおせち料理はないようですが、クラと呼ばれる特別な揚げ菓子をはじめ、普段はあまり食べない肉料理もばんばん振舞われます。

昼間はまだいいのですが、夜になるともう、飲めや歌えや踊れやのオンパレード。訪ねる方ももてなす方も大変です。僕が冬の間レーで滞在しているタシ・ギャルツェンさんの家でも、奥さんのスカルマ・チョンドルさんは食事や飲み物の支度をしながら、「タカ、ロサルってほんとに忙しいのよ~!」とぼやいてました。

もう一つよく似ているなあと思ったのが、お年玉。ラダックでも日本と同じように、その家を訪ねてきた大人たちが子供たちにお年玉をあげる風習があるのです(ラダック語で何と言うんだろう? 聞き忘れた‥‥)。日本ではお年玉をポチ袋に入れて渡したりしますが、こっちではお金をそのまま渡しちゃいます。普段見慣れない札束を握りしめてどぎまぎしている子供たちの顔が、本当にカワイイ(笑)。

「僕が子供の頃もこんな風にお年玉をもらってたんだけど、いつも母親が『あなたのお年玉は銀行に預けておくからね!』と言って取り上げてた。あのお金はどこに行ったんだろう‥‥」と僕が言うと、

「それ、うちでもタシがまったく同じことを言ってるわよ!」とスカルマさんが笑ってました。どこの国でも、親が考えることはみな同じなようです。

2007年12月29日

時計

ラマゾギの取材でバスゴに滞在していたある日の夜、突然、時計がおかしくなりました。

僕の時計はソーラー電池で動くカシオのGショックなのですが、急にパワーダウンして、時刻がリセットされて「2000年1月1日12時」になってしまったのです。翌朝にはパワーが復活して動くようにはなったものの、さて、今はいったい何時なんだろう?

空が明るくなってしばらく経ってから、泊めていただいていた民家の居間に行って、壁に掛かった時計を見ると‥‥だめだ、電池切れで停止したまま。台所に行ってこの家のご主人に「今、何時頃ですかね?」と聞いてみても、「さあ、8時か8時半くらいかなあ」と何ともアバウトな返事。

どうすれば正しい時刻がわかるんだろう‥‥と思案しているうちに、急にバカらしくなりました。

この村で、時計を気にして行動しなけりゃならないことなんて、一つもないじゃないか!

夜が明けたら起きて、生きていくために必要なことをこなし、日が暮れたら台所に集まってストーブを囲み、晩飯を食べて眠くなったら眠る。それで十分じゃないか、と。

フリーライターという仕事柄、今までの僕は、常に時計を気にしながら日々を過ごしてきたような気がします。朝起きる時間、電車に乗る時間、待ち合わせの時間‥‥。取材を終えて東京に帰れば、否応なく時計に縛られる日々が戻ってくるけれど、せめてラダックにいる間は、時計のことはすっぱり忘れて、ゆったり流れるままに暮らしていこう。あやふやな時刻表示の腕時計を眺めながら、そんなことを考えました。

2008年1月 1日

冬の日射し

あけましておめでとうございます。‥‥といっても、ラダックではとっくの昔にロサルが終わっているので、何だか変な感じですね(笑)。レーの街もいつもとまったく同じ雰囲気だし。

冬のラダック、とにかく寒いです。晴れていれば昼間は5、6度まで気温が上がりますが、日が沈むと急に冷え込んで、夜はマイナス15度くらいまで下がります。洗濯物を干すと、日が当たってる部分はすぐ乾くんですが、日影の部分はシャーベット状に凍ってしまう有様。中綿入りのズボンを洗った時なんか、完全に乾くまで3日かかったもんな‥‥。

どこの家でも、水道管の破裂を避けるため、水回りは完全に使用停止。トイレは昔ながらの高床式トイレで、風呂はバケツにお湯をもらって、それを手桶で汲みながら身体を洗います。エアコンなんてありませんから、居間や台所に設置した煙突付きのストーブに、薪や乾いた家畜の糞をくべて暖を取ります。夏の間、レーではほぼ一日中供給されていた電気も、冬は川が凍結して水力発電所の水量が減るからか、夕方の5時から夜の11時までしか使えなくなりました。

まあ、そういう寒さや不便なら、慣れてしまえばどうってことはないのですが、キツイのは食生活。この時期は外部との陸路交通網がほぼ遮断されているため、新鮮な野菜が慢性的に不足しています。まともに手に入るのは、ジャガイモ、タマネギ、ニンジンなどの根菜系くらい。夏の間は、「肉が食べたい。魚が食べたい」とか思ってましたが、今はとにかく、「野菜が食べたい!」。人間、肉や魚がなくても何とかなるけど、野菜がないとほんとにきついですね‥‥。

そんなわけでなかなかに苛酷な冬のラダックですが、それでも、「夏と冬、どっちがいい?」と聞かれたら、僕は迷わず「冬!」と答えます。

理由はいくつかありますが、一つ挙げるとするなら、「日射し」でしょうか。皮膚が焦げるくらいぎらぎらと白熱して照りつけていた夏の日射しと違って、冬のラダックの日射しはとても穏やかで、澄んでいて、柔らかいのです。カメラのファインダーを覗いていると、その違いがよくわかります。そんな冬の日射しの中で、空に伸びるポプラの白い梢や、もこもこと重ね着をしてひなたぼっこをしてるおっさんたちや、糸つむぎをしながらわずかばかりの野菜を売ってる露店のおばちゃんたちを眺めていると、何ともいえない和んだ気分になるのです。

冬のラダックには、冬だからこそ感じ取ることのできるよさがある。いや、冬こそが、ラダックの本来の姿なのかもしれません。

2008年1月 5日

オンポの占い

ラダックには、オンポと呼ばれる伝統的な占星術師が存在します。彼らはラバ・ラモ(シャーマン)のように霊感に頼るのではなく、天文学と暦による計算からその人の吉凶や将来を判断します。ラダックの人々は、たとえば結婚式の日取りを決めたりする時などにオンポの判断を仰ぎます。

先日、レーの郊外に住むオンポの元を訪れる機会があったので、僕の将来について占ってもらいました。占いに際して必要なのは生年月日だけです(でも、同じ生年月日の人でも同じ占いの結果にはならないそうです)。以下、その結果。

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2008年2月 1日

ドキュメンタリーと嘘

ご無沙汰してます。前の更新から、ずいぶん間隔が空いてしまいました。ひさびさに戻ったレーの街は、例年よりも雪が多く、一面真っ白です。

ここ数週間ほど、僕はチャダルを辿って冬のザンスカールを旅していました。顔はすっかり雪焼けして、昨夜チャンスパのタシ・ギャルツェンさんの家に帰った時も、「顔、黒っ!」「誰?!」と家族の皆に笑われました。苛酷な長旅だったにもかかわらず、僕自身は体調もまったく問題なく、すこぶる元気ですのでご心配なく。

チャダルについてはまた改めて別のエントリーで書くとして、今回の旅の途中、一緒に旅してくれたザンスカール出身の友人、パドマ・ドルジェ君が、こんな話を僕にしてくれました。

2007年9月、NHK-BSで放映された「テンジンとパルキット~ザンスカール高地の娘たち~」という番組をご存じでしょうか。ザンスカール出身の二人の女性が、一人は結婚し、一人は尼僧になる道を選ぶ過程を追ったドキュメンタリーです。放映当時、僕はまさにザンスカールに滞在していたのでこの番組は見ていないのですが(‥‥まあ、日本でもうちのテレビじゃBSは観れないけど)、何人かの方がこの番組について「美しい映像とドラマチックな展開で、なかなか面白かった」とメールで報告してくれました。その後も何度か再放送されているようですし、このブログの読者の方なら、ご覧になった方も多いかもしれません。

このドキュメンタリー(原題「Becoming a Woman in Zanskar」)は、フランスのZEDという会社が制作し、フランス国内でもかなりの反響を呼んだものだそうです。2006年の冬に大勢のスタッフがヘリコプターでザンスカールに送り込まれ、大掛かりな撮影が行われました。しかし、パドマ君の話によると、その舞台裏では、いくつか首を傾げたくなるような「演出」が施されていたようです。

たとえば、このドキュメンタリーで紹介されているストンデ・ゴンパのグストルという仮面舞踊の祭りは、確かに以前は冬に行われていたのですが、何年か前からはカルシャ・ゴンパと同じように夏に行われているそうです。そのため、撮影スタッフは多額の謝礼をストンデ・ゴンパに支払い、わざわざ冬に踊ってもらったのだとか。またたとえば、ヤクやゾの群れが薪を運んでいるシーンなどでは、ストンデの村人に謝礼を払って村中のヤクやゾを集め、わざわざ木のあるところへ行って薪を積んで撮影したりしているそうです。

そして、このドキュメンタリーの見せ場の一つであるテンジンという娘の結婚式も、「撮影スタッフがお金を払って結婚式をやってもらったんだ」とパドマ君。というのも、ザンスカールはあまりに寒いので、基本的に真冬には結婚式をやらないのだそうです(知らなかった‥‥ラダックでは冬でもやるのに)。そしてパドマ君は「これは確かじゃないけど、あの娘が本当にその男性と結婚したのかどうかもよくわからない‥‥」とも。

僕自身が制作会社に確認して裏を取ったわけではなく、あくまで伝聞で知ったことなので断言はできませんが、パドマ君の話が事実だとすれば、残念なことです。このドキュメンタリーは多くの人々にザンスカールの魅力を知らしめたかもしれませんが、撮影スタッフが映像美や物語性を追求するあまり、ありのままの事実ではなく、いくつかの場面で作意と演出による映像を撮ったのだとすると‥‥少なくとも僕には、その価値はとても薄っぺらいものに感じられてしまいます。

僕自身も、日本ではインタビューを中心にした、ノンフィクションの文章を書くことを生業にしています。これから書こうとしているラダックについての本でも、そうした方が面白いからといって、嘘は絶対につかないようにしよう。そう改めて自身を戒めたいと思います。

2008年3月 6日

旅人たち

ラダックで冬に予定していた取材を終え、飛行機でデリーに飛んだ日のことです。

去年の秋、ラダックで知り合った友人のえみさんが僕とほぼ同じタイミングで帰国するということで、その日の夕刻にパハールガンジで落ち合って、最近日本人旅行者の間で人気のオクラ丼を食べに行きました。いや〜、まじでうまかった。

3カ月ぶりにたっぷりと野菜を食べて、フゥ〜ッと満足していると、近くの席に坐っていた日本人の男女が近づいてきて、

「もしかして‥‥山本さん?」「‥‥あぁ!」

僕が2002年の年末年始にモロッコに行った時、フェズからマラケシュまで道連れとなって一緒に旅した、ひとしさんとゆみさんのご夫婦でした。6年ぶりに、しかもインドで再会するとは‥‥。さらに驚いたことに、ひとしさんとゆみさんは、えみさんとも2年前にネパールで会っていたのです。ものすごい確率の遭遇でした。

モロッコで会った時、彼らは新婚旅行で世界一周の旅をしている最中でした。「また旅に出たんですか?」と聞くと、「いえ、あれからずっと続いてるんです‥‥」との返事。長っ! 間違いなく、世界最長の新婚旅行。モロッコでゆみさんは「ドラクエ8が出たら日本に帰ろうかな」とか言ってたけど、もうすぐ9が出ますよ‥‥(笑)。

1時間後にはデリーを離れなければならないという彼らと別れた後、えみさんは僕に「あの二人、すごくいい感じですよね〜!」と言いました。まったく同感。長い旅を続けていると、とかく疲れて無気力になってしまいがちなのですが、彼らには、少しも擦り切れている様子がありませんでした。120カ国以上を回っている経験を少しもひけらかすことなく、自然体で、のびのびと旅を楽しんでいる。モロッコで知り合った時よりも、さらにカッコイイ旅人になっていました。

振り返ってみると、去年から今年にかけてラダックで知り合った日本の旅人たちは、みんなカッコよかったなあと思います。忙しい仕事の合間を縫って旅している人、仕事を辞めて長い旅をしている人、バイトで金を貯めて旅している学生さん‥‥。それぞれがさまざまな思いを抱えながら、みんな、言葉も文化も価値観も何もかも違う異国の世界に、決して壁を作ることなく、自らの身を浸して任せることを心から楽しんでいました。ほかの国の旅行者と比べても、日本人にはそういう旅人が多かったと思います。

いつかまた、世界のどこかで、そんな彼らと再会することがあるかもしれない。僕もその時までに、擦り切れることなく自然体で旅を楽しめる人間になれたら、と思いました。

2008年3月10日

ラダックの音楽

そういえばこのブログでは、ラダックの人々が日頃どんな音楽を聴いているのかということについて、まだ書いたことがありませんでした。今回一時帰国する前に、レーの街で何枚かCDを買ってきたので、ここでご紹介したいと思います。

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まずは「アリヤトレ」というアルバム。ラダックやザンスカールで歌い継がれてきた、素朴で懐かしいメロディの民謡が収録されています。伴奏は笛と太鼓だけという超シンプルな構成。ボーカルは男性と女性で、半分はデュエットソングです。

このアルバムで一番よく知られているのは、タイトル曲の「アリヤトレ」でしょう。ザンスカールに古くから伝わる曲だそうで、僕の手元にあるラダック語の教本に載っていた歌詞の英語訳によると、こんな感じの歌です(間違ってたらごめんなさい)。

 夏の高い峠に広がる美しい草地
 草とパルの花のかぐわしい匂いが満ちている
 ヤクや山羊や羊たち、大きな群れ、小さな群れ
 バター、ミルク、バターミルク、チーズ、日々の糧
 おお、我が友よ、25頭の!
 登れ登れ登れ、我が友よ
 下れ下れ下れ、我が友よ
 今ほど幸せな時はない、我が友よ
 お前たちが幸せでなければ、人間も悲しむだろう

おおらかでほがらかで、今でも聴いてるとついつい「アリヤトレ〜」とサビを口ずさんでしまいます。ラダックの伝統的な歌のCDを買いたいと思っている方は、このアルバムを選べばまず間違いないでしょう。

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では、今時のラダックの流行曲ではどんなCDがあるのかというと、以前このブログでも紹介したメイド・イン・ラダックの映画「ミクチュ」のサントラが人気のようです。演奏には電子楽器も使われていますが、メロディは優しくてのびやかで、とにかく耳に残る。ラダックでローカルバスに乗ると、このアルバムに収録されている曲が大音量でガンガン流れてくるので、完全に脳内に刷り込まれちゃうんですよね。だから、ラダックにしばらく滞在したことのある人なら、このアルバムを聴くだけでローカルバス気分が味わえます(笑)。

どちらのCDもアマゾンとかでは扱っていないので、現地で買うしかないと思いますが、もし機会があれば、ぜひレーのCDショップで探してみてください。ラダックのいい思い出になると思います。

2008年3月15日

あの写真の少年は誰?

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ラダックのメインバザールの目抜き通りには、亡命チベット人が経営するチベタン食堂がたくさんあります。その店内に入ると、たいてい、この少年の写真を使ったポスターが貼られていることを覚えている人は多いのではないでしょうか。

「あの写真の男の子は誰なの? "返せ!"って書いてあるけど‥‥」

彼の名は、ゲンドゥン・チューキ・ニマ。1989年4月25日、チベットのナクチュ・ラリという地方に生まれました。お父さんはクンチョク・プンツォク、お母さんはデチェン・チュードゥンという名前だそうです。

1995年5月14日、6歳の時、ニマ少年は人生の大きな転機を迎えました。当時インドのダラムサラに亡命していたダライ・ラマ14世が、彼をパンチェン・ラマ11世と認定したからです。

パンチェン・ラマとは、チベットにおいてダライ・ラマに匹敵する重要な存在の高僧です。ダライ・ラマは観音菩薩の化身ですが、パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身とされています。輪廻転生が信じられているチベットでは、パンチェン・ラマもダライ・ラマと同様、先代が亡くなると、占いに基づく調査によって発見された転生者が次のパンチェン・ラマとして認定されるのがしきたりでした。そこで選ばれたのが、ニマ少年だったのです。

ところが、その3日後、ニマ少年とその両親は忽然と姿を消しました。ダライ・ラマ14世によって認定されたニマ少年=パンチェン・ラマ11世の存在が邪魔だった中国当局が、彼らを拉致してしまったのです。その一方で中国当局は、ギェンツェン・ノルブという6歳の少年が本当のパンチェン・ラマ11世であると一方的に発表。以来、ノルブ少年は中国当局の傀儡として、パンチェン・ラマとしての役割をあてがわれています。

中国当局がニマ少年の拘留を認めたのは、翌1996年のことでした。その理由は「ニマ少年はチベットの民族主義者によって誘拐される可能性があるから保護している」というものでした‥‥。以来、ニマ少年の消息はまったくつかめていません。

その存在が邪魔であれば、6歳の少年でも拉致してしまう。今年、北京オリンピックを開催する中国というのは、残念ながらそういう国なのです。

3月14日、チベットの首都ラサでは、政治犯として拘留されている僧侶の解放を求めた僧侶たちによるデモが武装警察によって鎮圧されたことをきっかけに、大規模な暴動が起き、多くの死傷者が出ました。現在北京に駐在している産經新聞の福島香織記者は、ラサの知人などから得た生々しい情報を自身のブログにアップされています。

国を奪われ、100万人以上の同胞が殺され、それから50年近くも占領され続けているということ。ダライ・ラマの写真を持っているだけで逮捕されてしまう社会で生きていかなければならないチベットの人々の悲痛な思いは、察するに余りあります。

僕たちにできることは、それほど多くはないのかもしれません。でも、一番よくないのは、こうした事実を聞いても「へー、大変だねー。でもまあしょうがないよねー」と、ものの10分で忘れ去ってしまうことです。もし、少しでも心にひっかかるものがあったなら、一人でもいい、誰かほかの人にこのことを伝えてあげてください。そうした一人ひとりの小さな積み重ねが、チベットの人々にとって力となるはずです。

いつの日か、メインバザールの食堂の壁から、あのポスターが剥がされる日が来ることを祈ります。

2008年3月18日

チベットのためにできること

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チベットで騒乱が発生して以来、マスメディアは連日トップニュース扱いで事態の推移を報道しています。テレビや新聞やニュースサイトがこれだけチベット一色に染まるというのは、ちょっと記憶にありません。そうした報道を見ていると、僕はどうにもくやしくて、やりきれない思いにかられます。

あれだけの血や涙が流されなければ、チベットの人々は、ほかの国の人々に思い出してももらえなかったのだろうか? もっと以前から、もっと頑張って、自分たちがチベットの現状をほかの人に伝える努力をしていれば、もしかしたらこんな悲惨なことが起こるのを防げたのではないだろうか?

これから先、チベットでは中国当局による粛正の嵐が吹き荒れるでしょう。徹底的な情報統制を行う一方で、刃向かうチベット人に対しては容赦ない弾圧を加え、すべてをダライ・ラマのせいにした後で、涼しい顔をして北京オリンピックを開催する。それが彼らの目論見です。

ミャンマーの騒乱の時は動いた国連も、常任理事国である中国に対しては、有効な策は何も打ち出せないと思います。日本政府に至っては、中国の機嫌を損ねるのが怖いのか、騒乱に対する遺憾の意はおろか、コメントすらろくに出していません。胡錦濤の来日も予定通り受け入れるようです。

正直、何もかもが絶望的な状況です。でも、だからといって、ここでチベットの人々を見捨てるわけにはいきません。僕たちには、まだチベットのためにできることがあります。

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2008年3月23日

チベットに、自由を!

「ラダックでは今、中国政府に抗議するハンガーストライキとデモが行われているよ」

チャダルをともに旅した友人のパドマ・ドルジェ君から、こんなメールが届きました。

中国によるチベット武力弾圧への抗議活動の輪は、今や全世界に広がっています。3月22日(土)には東京の六本木で、チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン(TSNJ)が主催する抗議デモが行われました。在日チベット人の方々をはじめ、「チベット問題を考える議員連盟」所属の国会議員の方々も参加した、日本でのチベット支援活動としては過去最大規模のものとなりました。

僕もこのデモに参加‥‥というか、主催者関係の知人から急遽頼まれて、デモの隊列が乱れて車道にはみ出たりしないようにする誘導係として働いていました。というわけで、デモの写真は撮るヒマもありませんでした‥‥。写真を期待していた方、ごめんなさい。せっかく参加してくれたのにろくに挨拶もできなかった友人の方々もごめんなさい。

マスメディアの報道では、900人だったり2000人だったり、参加者数にかなりの開きがありますが、それも無理はありません。というのも、13時から三河台公園で行われた集会に集まったのはおそらく700〜800人程度だったと思うのですが、14時にデモがスタートすると、みるみるうちに人が増えていったのです。たぶん、14時のデモ開始時間に合わせて六本木駅に着いた人たちが、「あっ、もうデモが始まってる!」という感じでそのまま合流したからだと思います。飛び入り参加の人もいたのかな? 僕も誘導しながら、「あれっ? こんなに多かったっけ?」と訝ったくらいだったので‥‥。

デモの列は本当に長くて、先頭が西麻布の交差点に差し掛かる頃、最後尾は六本木ヒルズよりはるか先、麻布警察署のあたりでした。なので、2000人とは言わないまでも、NHKが報道した1500人程度というのが妥当なところだと思います。‥‥まあ、個人的には1万人の動員を目指していたので、ちょっと残念ですが(笑)。

「チベットに、自由を! チベットに、平和を!」

澄み切った空にひるがえる、赤、青、黄、白のチベット国旗。家庭用プリンターで印刷した小さな国旗、手作りの横断幕、プラカード‥‥。そんな人々の列が、どこまでも、どこまでも、途切れることなく続いていました。抑圧に苦しむチベットの人々を、何とかして助けたい。一人ひとりからその思いが伝わってきて、見ていて胸が熱くなりました。

デモの様子は、以下のニュースサイトが詳しく報道してくれています。

Free TIBET! チベット弾圧に抗議するデモの現場(オーマイニュース)
http://www.ohmynews.co.jp/news/20080322/22415

「中国はチベット弾圧を止めよ」2千人が抗議のデモ(JanJan)
http://www.news.janjan.jp/world/0803/0803223377/1.php

同じことは、このブログの前のエントリーに寄せられた数多くのコメントにも言えます。読んでいただければわかると思うのですが、どのコメントにも、チベットの人々への心からの同情とやさしさが込められています。デモに参加できなくても、その思いは確実に届いていたはずです。

みなさん、本当にありがとうございました。

でも、これで終わりではありません。チベットのための抗議活動は、これからも根気よく続けていかなければ、何も変わらないまま終わってしまいます。

署名活動やデモなどの具体的なアクションについては、TSNJがサイトや専用のメーリングリストで告知していく予定だそうです。

チベット・サポート・ネットワーク・ジャパン
http://www.geocities.jp/t_s_n_j/index.html

チベット問題に関心のある方は、これらのアクションのほか、チベットに関するニュースや話題、気になったことなどを、一人でも多くの人に伝えてください。また、ブログなどでチベットについて思ったこと、感じたことを書けば、それは必ず誰かに伝わります。そういうクチコミでチベット問題への関心の輪を広げていくこと。それが今、僕たちにできる一番効果的な活動だと思います。

ただ、一つだけお願いしたいのは、決して中国の人々に憎しみをぶつけてはならないということです。怒りを爆発させて相手を蔑んだり口汚く罵ったりしても、自分自身を貶めるだけです。相手の非を冷静に指摘し、こうしたらいいのにと提案する。そのささやかな積み重ねこそが、多くの人々からの賛同を伴った動きに繋がっていくはずです。

すべては、チベットの人々の自由のために。

2008年4月 6日

僕は忘れない

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前回の更新から、ずいぶん間隔が空いてしまいました。ここ最近は、ラダック本の企画プレゼンのために出版社を回るかたわら、友人たちに招かれて連日連夜飲み続けたり、安曇野で岡山の実家の人間たちと一年ぶりに会ったりしていました。気のおけない友人たちとのひとときは底抜けに楽しかったし、安曇野では、なついてくれている姪っ子や生まれたばかりの甥っ子に会うことができたし、いい気晴らしになりました。

でも、彼らと会ってケラケラ笑っている時も、僕の頭の中にはずっと、チベットのことが、のどに刺さった魚の小骨のようにひっかかっていました。

デプン・ゴンパを訪ねた時、ニコニコ笑いながら何杯も何杯もバター茶をごちそうしてくれた、あのお坊さんたちは無事だろうか。ナムツォの湖畔ではにかみながら写真を撮らせてくれたあの女の子は、親を連行されて一人で泣いてはいないだろうか。

たぶん、チベットのことなんて、忘れてしまった方がラクなのだと思います。家族や友達と過ごす楽しい時間のこととか、今がんばっている仕事のこととか、そういったことだけを心に思い描いていた方が、きっと幸せな気分でいられる。今、ネット上のブログや掲示板で中国に対して怒り狂ってる人たちも、あと何カ月かすれば次第に減っていくでしょう。コカコーラやマクドナルドはオリンピックのキャンペーンCMをばんばん流しはじめ、テレビや新聞はまるで何事もなかったように「ガンバレ! ニッポン!」と言いはじめるでしょう。

そうしてみんな、少しずつ、チベットのことを忘れていく。

でも、僕はやっぱり、忘れることができません。

3月27日、中国当局の企画で海外メディアの記者団がラサのジョカンを訪問した際、数十名の僧侶が突如カメラの前に現れ、涙を流しながら訴えていた映像が世界に配信されました。日本のマスメディアは無機質なコメントを添えて報道しただけでしたが、彼らの行動がどんなに大変なことだったか、いったいどれだけの人が理解しているでしょうか?

あの僧侶たちは、間違いなく逮捕され、そしておそらく、処刑されます。仮に処刑を免れても、何年も投獄され、苛酷な拷問とダライ・ラマを否定する「愛国教育」を課せられ、身も心もぼろぼろになってしまうでしょう(参考)。彼らは、それを百も承知でカメラの前に現れた。厳しい戒律の下で修行を積み、めったなことでは涙を流さない僧侶たちが泣き叫んでいるのを見て、僕は胸が締めつけられるような思いでした。

この僧侶たちだけではありません。これまでデモに参加して殺されたり、逮捕されたりしたチベットの人々はみな、そうなることを覚悟していたのだと思います。そこまでして伝えたいことが、彼らにはあった。チベット人として、人間として、自由に生きたい、ただそれだけなのだ、と。

だから、僕は忘れない。

チベットの人々が感じている痛みに比べれば、その何万分の一でしかないけれど、僕も今感じている痛みを抱えたまま生きていこう。彼らの痛みが和らぐまで、決して忘れないようにしよう。そして、自分にできることを精一杯やっていこう。今はそう思っています。

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2008年5月24日

いくつもの峠を越えて

青すぎる空!

強すぎる陽射し!

薄すぎる酸素!

やっと、ラダックに戻ってきました~!!

‥‥す、すみません、遅くなりました(汗)。

今月初めにダラムサラを発って以来、キナウル、スピティ、ラホールを経て、陸路でラダックを目指す旅をしていました。バスにジープにピックアップトラックにオートバイ、はては軍用クレーン車に至るまで、ありとあらゆるものに乗っけてもらいました(笑)。デリーから数えたら、たぶん2000キロくらいは移動してるんじゃないでしょうか。もう、しばらくはバスにもジープにも乗りたくないです(笑)。

陸路でラダックに入ったのはかれこれ8年ぶりくらいだったのですが、あの頃に比べると道路の舗装が格段によくなっていたとはいえ、ケーロンからレーまで、開通したばかりの5000メートル級の峠を3つ越える乗合ジープの旅をしてみると、あらためて、ラダックというのはものすごい場所なんだなあと実感しました。レーに着いたのは昨日の真夜中だったのですが、去年滞在したデチェンさんのゲストハウスでは、僕のためにあたたかい食事と清潔で寝心地のいいベッドを用意してくれていて、ほんとにありがたかったです。

3カ月ぶりのラダックは、すっかり春の陽気です。ポプラや柳には新緑の若葉が芽吹き、メインバザールの道端では、下ラダックから来たおばちゃんたちが葉物野菜を売ってます。シーズンが始まる直前なのでまだ観光客は少ないですが、もうすぐにぎやかになることでしょう。街を歩いていても、なじみの風景、なじみの人たちに会うたびに、嬉しさがこみあげてきます。やっぱり、ここなんだなあ、と。

チベットの騒乱に始まって、ミャンマーのサイクロンや四川の大地震など、今年は目にするだけで胸が痛むニュースが続いていますが、このブログからは、心穏やかなラダックの人々と過ごす日々の様子をお届けできればと思っています。

その前に、キナウルとスピティを旅した時のフォトレポートも作成する予定ですので、お楽しみに。

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あと、いくつか掲載依頼が来た情報がありますので、ご紹介します。

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2008年6月 1日

モモ

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ラダックで食べられるチベット料理の中でも代表的なものの一つが、チベット風の蒸し餃子、モモです。ラダック語では「モクモク」と発音しますね。中身が肉なら「シェー・モクモク」、野菜なら「ツォドメ・モクモク」といった感じになります。

餃子と比べると、モモは皮が厚くてもっちりとしていて、食べごたえがあるのが特徴です。中身は羊肉か野菜で、食堂で注文すると、たいてい薬味に練り唐辛子がついてきます。町の食堂で食べるモモも悪くはないのですが、やっぱり、普通の家庭で食べられているモモの方が圧倒的においしい、というのが僕の結論です。

まず、中身が違う。以前、ロサルを迎えたシャクティで味わったチャンタン高原産のヤク肉を使ったモモはまあ別格として、普通の野菜で作る時も、キャベツ、ニンジン、タマネギ、グリーンピース、ジャガイモ、ホウレンソウ、マッシュルーム、ニンニク、ブラックペッパーなどなど、その時々のいろんな野菜を組み合わせて使い、そこにパニール(インドのチーズ)を刻んで混ぜ込んだりもします。次に違うのが薬味。トマトやタマネギ、唐辛子、コリアンダー、クルミなどをミックスしたサルサソースに近いものが出てきたら、「ラッキー」と思って間違いありません。蒸したてアツアツのモモを、ひんやりピリッとした薬味につけて食べると、これがまた格別なのです。モモ自体の大きさは、一口でぱくっと食べられるくらいの小ぶりなサイズの方が好みですね。

こういう味を日本で再現しようとすると、結構大変かもしれません。まず、皮に使ってる小麦粉からして違いそうですし‥‥。あー、日本でも食べたいなあ。

2008年6月 7日

スキウ

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ラダックのローカル・フードでまだ紹介していないのは何だっけ‥‥と思っていたら、この間の夕食でスキウが出てきたので、紹介します。

スキウというのは、小麦粉を練ったものをシェルマカロニみたいな感じの団子にして、野菜や肉と一緒に煮込んだ料理です。味は家庭によってさまざまですが、ちょっととろみのある感じはシチューに似てます。そういえば名前も似てますね(笑)。町の食堂ではまずメニューにありませんが、田舎で民泊させてもらったりすると、かなりの高確率で出てきます。

スキウに限らず、モモやトゥクパなどのチベット料理は、ヘビーというか、食べるとおなかにずっしりたまります。地元の若い人たちはこういうローカル・フードを敬遠して、今やすっかりラダック人の主食となったライス&サブジー(野菜カレー)&ダール(豆カレー)といったインド本土から伝わってきた料理を好んでいるようです(スパイスはだいぶ控えめですが)。僕はどっちも好きですが、このラダックという苛酷な土地で生き抜いていくためには、ずっしり腹にたまるローカル・フードの方が適してるのかなあという気がしないでもありません。

2008年6月13日

ラダックのインターネット事情

このブログをご覧になっている方の多くは、僕が自前のノートパソコンを日本から持ってきて使っていると思われているかもしれません。でも実は僕、パソコンは持ってきていないのです。このブログの更新のほとんどは、レーのメインバザールにあるサイバーカフェのパソコンから行っています。ブログを管理するMovable Typeというサーバソフトウェアはブラウザからコントロールするものですし、写真はSDカードリーダーをサイバーカフェのパソコンに挿して取り込んでいます。メールのチェックもGmailならブラウザから閲覧できますし、今取り組んでいる本の原稿さえ、Google Docsで執筆・保存しています。なので、重くて壊れやすいノートパソコンをラダックにわざわざ持ってくる必要はほとんどないのです。便利な世の中になったものですね。

レーの街にはたくさんのサイバーカフェがあり、すべて組合に加盟しているので、料金はほとんど一緒です。ただ、設備の充実度にはかなりの差があるようなので、僕の知っている限りでは、メインバザールの目抜き通りにある二つの店、ヒマラヤン・サイバーカフェとスカイ・サイバーカフェがおすすめです。特にヒマラヤン・サイバーカフェはレーでも老舗のサイバーカフェの一つで、地元のラダック人からも評価の高い店です。

これらの店が使える理由としては、

・インターネットの接続に衛星回線を使用している。
・日本語入力できるセッティングのパソコンが数台ある。
・停電時には発電機で給電してくれる。
・衛星回線が不調な時はあれこれがんばってくれる。
・冬場も営業している。

といった点が挙げられます。料金は1分1.5ルピー、1時間で90ルピーというのが組合で決められた相場のようですが、特に最近は満額請求されることはめったになく、1時間で70ルピーくらいにしてくれます(僕が常連だからというわけでもないみたいです)。衛星回線が不調の時はモデム接続に切り替わるのですが、その場合は半額くらいにしてくれます。また、これらの店ではインターネットだけでなく、電話もありますし、写真データをプリントアウトしたり、CDやDVDに焼いてくれたりもします。

というわけで、「Days in Ladakh」の屋台骨を支えるお店の紹介でした(笑)。

2008年6月17日

タギ・カンビル

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意外に思われるかもしれませんが、実はラダックではパンもよく食卓に上ります。ラダック語では小麦粉を練って焼いたパンの類を「タギ」と呼んでいます。たとえば、インドから伝わってきたチャパティは「タギ・シャモ」(シャモは「薄い」という意味)と呼んだりしていますね。

外国人からラダッキ・ブレッドなどと呼ばれているラダック独特のパンは、「タギ・カンビル」と呼ばれています。小麦粉にイーストを加えて練って寝かせたものを、丸めて伸ばしてフライパンで焼き、最後にちょっと直火で焙ります。するとぷっくりUFOみたいな形に膨らんで、うまそうなタギ・カンビルが焼き上がるのです。熱々のところをさっくり割ると、中が中空になっているので、そこにバターやジャムを塗っていただきます。

うちのゲストハウスでは、タギ・カンビル2枚とオムレツとチャイというのが朝食の定番です。何回食べたか思い出せないくらい口にしているので、最近では何だか当たり前のように思えてきました(笑)。日中営業しているレストランではまずメニューにないので、朝食つきのゲストハウスや民泊の際にこのタギ・カンビルが出てきたら、ラッキーだと思います。

ちなみに、インドで広く売られている断面積の小さな食パンもラダックでは食べられていますが、これはタギではなく英語的に「ブレド」と呼ばれています。

2008年7月 1日

LEDeG

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ラダックではいくつかのNGOが活動していますが、その中でももっとも中心的な役割を果たしているのが、LEDeG(Ladakh Ecological Development Group)です。ラダックの伝統的な社会や文化と調和した、エコロジカルかつ持続可能な開発・発展を促進することを目的としたNGOです。

LEDeGの本部は、レーのメインバザールからチャンスパ方面に行く道の手前を右折し、警察署を通り過ぎた後に左折すると現れる池のほとりにあります。

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2008年7月14日

アムチ

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ラダックには古くから、アムチと呼ばれるチベット伝統医学の医師が存在します。彼らは患者の脈を調べることで症状を判断し、主に生薬を処方することで治療を行います。

今回お会いしたアムチは、ティンモスガン出身のギュルメット・ナムギャルさん。インド政府からの依頼でアムチの療法の研究を行っていたこともあるという、有名なアムチです。

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2008年8月10日

チベタン・ピースマーチ・イン・ラダック

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えーと、今、たしかどこかの国の澱んだ空気の首都で、オリンピックとやらをやってるんでしたっけ?

‥‥代表選手の方々には悪いですが、正直、全然興味ありません。人間の尊厳や生命を踏みにじって平然としているような国が、平和の祭典なんて、ちゃんちゃらおかしい。

そんな世界中から白い目で見られている北京五輪が開幕した8月8日、ラダックのレーでは亡命チベット人たちを中心にした大規模なピースマーチが行われました。集まった人の数は、ざっと1000人くらいはいたでしょうか。周辺部を含めたレーの街の全人口が3万人足らずですから、それを考えるとかなりの数です。

朝9時、ソナム・ナルブー病院のあたりから出発したピースマーチは、坂を上ってバススタンド前を過ぎ、沿道で大勢の人々が見守るメイン・バザールへ。ジョカンを回り、ポログラウンドまで行進した後、サーズ・リンポチェをはじめとする偉い方々のお話を伺ってから解散。

参加者のほとんどがチベット人だったこともあって、ピースマーチの迫力は鬼気迫るものがありました。日本で手伝ったピースマーチとは、根本的に何かが違う。怒りと悲しみ、やりきれなさ、そんな感情がないまぜになっていて、一緒に歩いていても胸が痛くなりました。

日本の人々の多くは、もうチベットのことをずいぶん忘れかけているのではないかと思います。でもチベットの人々は、50年近く前に国を追われて以来、ずっと叫び続けてきました。その叫びに耳を塞ぐことは簡単です。でも、開会式がどうだったとか、誰がメダルを取ったとか騒ぐ前に、もう一度、耳を傾けてみてはくれませんか? 自分たちの国で、自分たちらしく生きたい、ただそれだけの当たり前の希望に。

2008年8月17日

ラダックのゴミ事情

ラダックを訪れる人の中には、ヘレナ・ノーバーグ・ホッジの「ラダック 懐かしい未来」などを読んで、ラダックという土地には伝統的でエコロジカルな生活様式が今もまだ息づいているとイメージしている方も多いのではないかと思います。でもそういった方が、たとえばレーの街外れに散歩に出かけたりすると、ちょっとがっかりしてしまうかもしれません。

道端や水路に散乱している、ペットボトルやジュースの空き容器、ポテトチップスやガムの包み紙‥‥。そう、今のラダックは、至るところゴミだらけなのです。

家庭から出る野菜屑や残飯などの生ゴミは、昔から牛や野良犬などの餌にされているのですが、プラスチックゴミについては、事実上、何の処理もしていないのが現状です。レーの町には一応ゴミ処理場があるらしいのですが、どういうわけか今は稼動しておらず、ゴミ回収車が集めたゴミはそのまま山の中に捨てられてしまっています。地方の村で出るゴミは回収すらされていません。インド本土からは大量の物資が運び込まれ、ゴミの量は増え続けているのに、今のところ何の対策もなされていないのです。

とはいえ、そういった外部からの物資をすべて拒否して、自然に還らないゴミを出さない昔ながらの暮らしに戻れとラダックの人々に言うのは、理想的ではあってもいささかナンセンスです。現実的に必要なのは、まずきちんと可燃ゴミを焼却したりプラスチックゴミを処理したりできる施設を稼動させること。地方の村まである程度カバーしたゴミ回収のシステムを作ること。そしてラダックの人々に、ゴミを分別するための知識やむやみにポイ捨てしないことを教えるワークショップを行うことです。

これらを実現させるのはなかなか大変で、NGOレベルでの活動だけでは不可能でしょう。ラダックの自治組織であるLAHDCなどが動いて、ゴミ対策に予算を割くことが必要不可欠です。しかし現状では、ラダックの人々はそこまでゴミ問題に対して危機感を持っているかどうか‥‥。気づいた時には手遅れ、なんてことにならないように願いたいものです。

2008年8月22日

オリヴィエ・フェルミのギャラリー

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去年から暮らしはじめたこのラダックで、膨大な数の写真を撮り続けてきた僕ですが、改めてつくづく思うのは「やっぱりフェルミには到底かなわない」ということ。まあ、比べるだけ無謀といえばその通りですが(笑)。

オリヴィエ・フェルミは長年ラダックやザンスカールで撮影を行っているフォトグラファーで、チャダルを旅する二人の兄妹の姿を追った写真集は、日本でも「凍れる河」(新潮社・現在絶版)というタイトルで紹介されています。研ぎ澄まされた陰影を湛えた風景や、ナチュラルで穏やかな表情の人々を捉えた彼の写真を見ていると、「いったいどうやったらこんな風に撮れるんだろう‥‥?」と思わずにはいられません。

「Föllmi Spirit」 http://www.follmispirit.com/

そんな彼の写真を気軽に目にすることができる場所が、レーにあります。彼の写真のポスターを展示販売しているギャラリーです。去年はメインバザールの中心にあったのですが、今年からフォートロードの近くに移転しました。メインバザールからフォートロードを下り、小さな橋を渡ってすぐ右折し、ドルフィンというオープンカフェの手前で左上に階段を上がったところにあります。

ポスターは一枚2000~3000ルピーとかなり高価ですが、大判で迫力があり、財布の中身に余裕があれば衝動買いしたくなってしまいます。印刷はバンコクで行っているそうで、まずまずのクオリティです。ポスターは高くて手が出ないという方は、7枚100ルピーのポストカードセットがお買い得かもしれません。レーの街で売られている絵ハガキは概してあまり出来がよくないのですが、ここのポストカードセットはそれらとはレベルが違いますね。

ちなみに僕は、去年も今年も、彼のポスターを一枚ずつ購入してしまいました‥‥。帰国して引っ越したら、部屋に飾るのが楽しみです。

2008年8月23日

ティモ

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そういえば、まだこれを紹介してなかったな‥‥と思ってたら、昨夜デチェンさんがタイムリーに作ってくれたので、写真とともにご紹介します。

これはティモと呼ばれる料理で、小麦粉を練ってクロワッサンそっくりな形にして蒸し上げた蒸しパンです。野菜などを煮込んだものと一緒にいただきます。これが素朴なことこの上ない味で、なかなかいけるのです。

察しのいい方はお分かりかと思いますが、トゥクパにしてもモモにしてもスキウにしても、ラダックで食べられている伝統的な料理はだいたい原材料が同じです。苛酷な環境の中で手に入る限られた食材を、さまざまな形に調理して楽しむ工夫がこらされているのがよくわかります。

ちなみに写真の後方にぼんやり赤く見えているのは、トマト、ニンジン、ネギ、コリアンダーにぱらっと塩をかけただけのサラダ。何の手も加えてないのにものすごくうまいです。トマト以外は宿の庭の菜園で穫れた野菜なのですが、やっぱり材料がいいと味も違いますね。

2008年8月28日

空の果てで暮らした日々

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去年の春から暮らしはじめたラダックでの日々にも、いよいよ終わりが近づいてきました。8月30日の朝、レーからデリーに飛び、そこから席の取れる一番早い便で日本に帰ります。

長かったような、あっという間だったような、でもやっぱり長かった日々でした。今までの人生の中で、これだけ濃密な時間を過ごしたことはちょっと記憶にありません。数え切れないほどたくさんの出会いや出来事がありました。嬉しかったこと、心が躍ったことはもちろんですが、このブログにはあえて書かなかった、しんどかったこと、辛かったこともたくさんありました。正直、ラダックになんか来なければよかった、とさえ思ったこともあります。でも今振り返ってみれば、よかったことも悪かったことも、すべてがひとつに繋がっているからこそ、今の自分があるという気もしています。

ラダックを離れるのが名残惜しいかと聞かれると、実はそれほどでもありません。いつになるか、どんな形になるかはわからないけれど、僕はまたここに戻ってくる。そんな確信があるからです。自分にとってかけがえのない大切な居場所として、ラダックという土地はそれほどまでにがっちりと深く、僕の心に根を下ろしてしまいました。

ラダックはきっと、いつでも僕を待っていてくれる。だから僕は、もうひとつの居場所である日本に戻ります。遠く離れた地から、このブログやメールを通じて、ずっと僕のことを気にかけ、見守っていてくれた人々が待ってくれている日本に。

それに日本では、この空の果てで暮らした日々のことを一冊の本にまとめるという、大きな仕事が待ち構えています。本当に大変なのは、これからなのかもしれません。まずはこの本を、全身全霊、持てる力のすべてを尽くして書き上げたいと思います。

このブログをラダックから更新することはしばらくなくなりますが、本が完成した暁にはいくつか考えている企画もあるので、この場でお知らせできればと思っています。たぶん来年の春くらいかな‥‥。

ではまた。

2008年10月27日

東京での日々

おひさしぶりです。このブログもしばらく放置してしまっていましたが、最近になってようやく落ち着いてきたので、近況報告でも書いてみようかと思います。

日本に戻ってきてから、はや2カ月が経ちました。帰国後、まず取りかかったのは引越です。ラダックに行っている間荷物置き場にしていた安アパートから、とりあえず腰を落ち着けて執筆活動ができるような風呂付きの部屋に移ることにしました。運のいいことに条件に合う部屋がすぐ近所で見つかり、フリーランサーにとっては難関の入居審査も無事クリアして、10月初旬に引越。ダンボールの山もどうにか片付き、ゆったり暮らせるようになりました。いや〜、いつでも好きな時に風呂に入れるって、いいですね(笑)。

引越作業の合間にも、友人・知人のみなさんからは帰国祝いの飲み会にガンガン誘っていただいていたのですが、「え? 今度こそ東京に定住するの?」とか、「東京にいる方が逆に違和感がある」とか、「パソコンのアドレスブックを見たら、yama_takaさんの住所が『インド北部』になってた」とか、そりゃもうえらい言われよう(苦笑)。僕自身も「社会復帰できるかしらん」と多少不安だったのですが、街を気忙しく行き交う人々にも、日々あふれかえっている物資や情報にも、目玉が飛び出るほど高い物価にも、いつのまにかすっかり慣れてしまいました。

とはいえ、時々ふと、「ラダックは今頃寒くなってるだろうな」とか、「デチェンは今頃何をしてるんだろうか」とか、「タシの家の子供たちは元気だろうか」とか、かの土地のことにあれこれ思いを馳せている自分がいます。ぶっちゃけ白状してしまうと、「戻れるものなら、戻りたい」(笑)。今すぐというわけではないですが、本の仕事が一段落したら、なんとか時間と金を都合して、みんなに顔を見せに行きたいな‥‥と。

そう、僕は帰国してからもずっとラダックの本の原稿を書き続けていたのですが、つい先日、最初の草稿が完成しました。これから先、編集者と意見交換をしながら推敲を重ねて磨きをかけていかねばなりませんが、とりあえず、自分の中でずっと思い描いていた最初と最後の一行がつながったので、ちょっとほっとしています。

この調子で行けば、当初の予定通り、来年の3月頃には本を上梓できそうな感じです。具体的に予定が見えてきたらこのブログでもお知らせしますので、もうしばらくお待ちください。また、本と前後して、雑誌でもラダック関連の記事を何か書けないかと考えているのですが、それも具体化したらここでお知らせしますので、よろしくお願いします。

さあ、大変なのは、これからだ!

2008年11月16日

背中を押してくれた人

数年前、僕は迷っていました。

日本での仕事をすべて放り出して、ラダックに長期滞在して取材をするかどうか。もしラダックに行ってしまえば、時間もお金もそれなりにかかるし、戻ってきてからの仕事の保障も、ラダックの本を出せるという保障もありません。バカなことを考えず、日本で現状を維持している方がよっぽど楽です。でも、しかし‥‥。

Shoji

そんな逡巡を続けていたある日、僕は一冊の本を手にしました。「氷の回廊 -- ヒマラヤの星降る村の物語」。冒険家・写真家の庄司康治さんが、ザンスカールのリンシェで過ごした日々やチャダルの旅について綴った本です。美しい写真に彩られた穏やかな筆致の文章を目にした僕は、少なからずショックを受けました。日本人で、ここまで徹底してザンスカールやチャダルを取材している人がいるのか。だったら自分も、中途半端なことを考えずに、徹底的にラダックの取材に取り組まなければダメなんじゃないか、と‥‥。

一冊の本に背中を押されて、僕はラダックへ行くことを決意したのでした。

それから時は流れ、昨夜、その庄司康治さんご本人に直接お会いする機会がありました。実は庄司さんは、偶然この「Days in Ladakh」を見つけられたそうで、時々コメントまで寄せていただいていたのです。大先輩の前で緊張していた僕に、庄司さんは笑いながらこう声をかけてくれました。

「ラダックやザンスカールのことでは、山本さんが書いていたブログがすごく刺激になりました。おかげで、錆びつきかけていたあの土地への思いが甦りましたよ」

自分の背中を押してくれた人に面と向かってこんな風に言ってもらえるというのは、本当にありがたいことだなあ、と思います。ラダックでがんばってきて、よかった。僕にとっては何よりもうれしい、ねぎらいの言葉でした。

でも、ここで安心してしまうわけにはいきません。自分の持てる力のかぎりを尽くしてラダックの本をきちんと仕上げなければ、何の意味もなくなってしまいますから。今はこの目の前の課題に、全身全霊をかけて取り組みたいと思います。

さて、そのラダックの本がどうなっているかというと‥‥。

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2009年2月13日

「ラダック 懐かしい未来」復刊?

Herena

しばらく前から絶版となり、一部の古書店で1万2000円以上もの高値がつくまでになっていた、ヘレナ・ノーバーグ・ホッジの名著「ラダック 懐かしい未来」の新品の取り扱いが、アマゾンで復活していました。価格も定価の1680円(税込)です。

ラダック 懐かしい未来」(Amazon.co.jp)

ラダックの魅力とそれを取り巻くさまざまな問題を知る上で、この本は欠かすことのできない存在です。手に入れそびれていた方は、この機会に入手しておくことをおすすめします。

2009年3月16日

表紙の写真の男の子

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ラダックの風息 空の果てで暮らした日々」が発売されてから10日ほど経ちました。一般の書店での売れ行きは僕もよく知らないのですが、Amazon.co.jpなどのネット書店では、おかげさまでたくさんの方にご購入いただいているという情報を伺っています。先週から東京・三鷹のリトルスターレストランで始まった写真展「ラダックの風息 儚い夏、凍てつく冬」にも、たくさんの方にご来場いただいているようです。本当にありがとうございます。

今回の本を手にした方に感想を伺うと、ほとんどの人がまず最初に「表紙の写真の子、かわいいね〜!」と口を揃えて言われます。‥‥すみません。狙ってました(笑)。

というのも、ラダックから日本に一時帰国したりしている時、飲み会で会った友人たちに現地で撮ってきた写真を見せていると、みんながみんな、この子の写真を見て「うわっ、なにこれ?!」「ぎゃーかわいい!」という過敏な反応をしていたので、この写真には何かそういう力があるのかもしれない、とずっと思っていたのです。だから、確信犯的にこれを表紙の写真に選びました。

この写真を撮ったのは、ラマユルの仮面舞踊の祭り、ユンドゥン・カブギェの会場でのことでした。お祭りを見物しにやってきていた花の民ドクパの一家の男の子(そう、女の子ではなく、男の子です)なのですが、ビーズやボタンや花などできれいに飾り付けられたお洒落な帽子もさることながら、憎らしいくらいにかわいいそのつぶらな瞳は、観客席でも大人気。周りの観光客たちは祭りそっちのけで、入れ替わり立ち替わり、この子の写真を撮ろうとしていました。

僕もこれだけかわいらしくおめかしした花の民の子供を見たのは初めてだったので、写真を撮らせてもらおうと思って、まず男の子をだっこしていたおばあさんに「写真を撮ってもいいですか?」と聞いてから、カメラを構えて近づくと‥‥。

「キャイ!」

ばしっ!!

え? え?

‥‥なんと、男の子にカメラのレンズをひっぱたかれました(笑)。

びっくりしてる僕を見て、どっと大笑いする周りの大人たち。してやったりとニッコリ笑う男の子。僕はどうにか体勢を立て直して、そのご満悦の表情を撮らせてもらいました。

というわけで、あの笑顔は「カメラをひっぱたいて、してやったりとほくそえんでる顔」なのです(笑)。偶然といえば本当に偶然に捉えた表情でしたが、この写真が撮れたのは幸運だったなあ、と思います。「ラダックの風息」の表紙は、この写真以外には考えられませんでした。

いつか、この男の子が大きくなって、僕の本を目にする機会があったとしたら‥‥びっくりするでしょうね、やっぱり(笑)。

2009年5月 3日

僕が選んだ道

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ラダックの風息 空の果てで暮らした日々」が発売されてから、二カ月ほどが経ちました。この二カ月というのは、本当にめまぐるしい日々で‥‥写真展に新聞の書評、ラジオ番組の取材に数々のイベントと、ほとんど経験したこともないような出来事の連続で、何がいったいどうなっているのか、わけもわからず、頭がくらくらするような思いでした。本を一冊出しただけで、こんなにもいろんなことが起こるとは‥‥。

‥‥じゃあ、肝心の本が売れているかというと、まあその、ぼちぼちといった感じで(苦笑)、関係者一同は「もっとバンバン景気よく売れてくれ〜!」と願っているところなんですけどね。何しろ、インドの山奥についての本ですから。

まあ、そんな経験をしたことで、あらためて考えさせられたこともありました。

この本に取り組んでいた二年間、僕はただ「いい本を作る」ということしか考えていませんでした。ラダックに対する自分のありったけの思いをぶちこんだ、最高の本を作る。僕にとってはそれがゴール、それがすべてで、本を出せたら後はもうどうなってもいい、とさえ考えていたような気がします。

でも、このブログへのコメントやメール、直筆のお手紙などを通じて本当にたくさんの方から読後の感想をいただいたり、写真展やイベントの会場でお会いした読者の方と話をさせていただいたり、僕が拙いサインをさせていただくのを目を輝かせながら待ってくださる方にお会いしたりしているうちに‥‥気づきました。

ラダックの風息」はゴールではなく、むしろ始まりに過ぎなかったのではないか、と。

日本でまた以前のように雑誌の編集・ライターとして日銭を稼ぎながらつつがなく暮らしていくことは、(この不景気で結構きついですけど)ある意味、楽な選択肢です。でも、自分が作った本を面白いと思ってくれる人がいるのなら、次の本を楽しみにしてくれている人がいるのなら、その期待に全力で応えようとするのが本当のプロだと思うのです。

取材にかかる労力やお金を考えれば、本当に割に合わない選択です(苦笑)。でも僕は、自分が大切にしていることをとことん突き詰めながら、読者の方にも喜んでもらえるような本を作りたい。そういう仕事を、一冊、一冊、地道に積み重ねていくことが、僕が選んだ道であり、今の自分に求められていることなのだ、と。

今年はすでに、ラダックとは関係ない別の本の執筆にかかりきりになっていて、財政的にもしばらくは厳しい状態が続きそうなので、いつ、どんな形でとは言えませんが‥‥。

でも、約束します。いつかまた、必ず、ラダックの本を書くと。

2009年5月 9日

写真展「ラダックの風息 儚い夏、凍てつく冬」終了しました!

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3月10日(火)から東京・三鷹のリトルスターレストランで開催していた写真展「ラダックの風息 儚い夏、凍てつく冬」が、5月8日(金)をもちまして無事終了しました。

期間中は、本当にたくさんの方々にご来場いただきまして、ありがとうございました。僕もちょくちょく会場に顔を出して、ご来場いただいた方にご挨拶をさせていただいたりもしたのですが、それでも、会場にお越しいただいたのに僕に会えなかったと残念がっていた方も大勢いらっしゃったということを、後でお店の方から聞きました。申し訳ありませんでした。

ラダックの風息 空の果てで暮らした日々」の発売と連動する形で開催した今回の写真展ですが、本やブログを通じてラダックに興味を持った方が会場に来てくださったり、たまたまごはんを食べにお店に来た方が写真を気に入って本を買ってくださったりと、色々な形でみなさんにラダックのことを知っていただけたので、本当にやってよかったなあと思います。この世界のはるか彼方、でも同じ青空の下に、こういう世界があるのだということを感じていただけたのなら、こんなにうれしいことはありません。

みなさん、本当にありがとうございました。またいつか、こういった場を持つことができるように、精進していきたいと思います。

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さて、もう一つお知らせです。5月16日(土)14時から、風の旅行社が主催するラダックのトークイベントが新宿で開催されます。僕もラダックの写真のスライドショーを交えながらラダックについて話をさせていただく予定です。内容的には先月の西荻窪のイベントでお見せしたものに近く、本には収録していない写真もたくさんご紹介するつもりです。

参加費は無料(!)ですので、ご興味のある方は同社まで電話かファクスかメールでお問い合わせの上、ご予約いただけると幸いです。なお、会場で「ラダックの風息 空の果てで暮らした日々」をご購入いただいた方には、その場でサインもさせていただきます。すでにご購入いただいている方も、本をお持ちいただければサインさせていただきますので、お気軽にお声がけください。

以下、同社のサイトからの情報です。

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今こそラダックへ ~ホームステイからみえる素朴で豊かな暮らし~

インド北部、標高3500mを越えるヒマラヤの山中、チベット文化圏の西端に位置するラダックは、チベット仏教を奉じ、かつてはチベットやブータンと鼎立した独立国として栄えていました。インドに併合され市場経済が進む中でも、ラダックは伝統的な生活様式や文化が色濃く根付き、青い空が広がるその大地で、人々は優しく、そしてたくましく暮らしています。

ラダックに足かけ1年半滞在した「ラダックの風息 空の果てで暮らした日々」の著者、山本高樹氏が、季節の移り変わりとともに見てきたラダックの魅力をスライドを交えて語ります。

ラダックでのホームステイも楽しめる、風の旅行社のラダックツアーもご紹介します。

日時 2009年5月16日(土)14:00~15:45(13:30開場)
会場 家庭クラブ会館(東京都渋谷区代々木3-20-6)→アクセスマップ
定員 50名
参加費 無料(事前予約制)
お問い合わせ・ご予約 風の旅行社 東京本社
TEL:0120-987-553 FAX:03-3228-5174 E-MAIL:info@kaze-travel.co.jp
※FAX、E-mailでお申し込みの場合は、お名前と連絡先をお書き添え下さい。

2009年8月17日

ラダックの治安について

今、ラダックは一年のうちで観光客が一番たくさん訪れている時期ですね。特に日本の方は、限られたお盆休みを利用して、めいっぱいラダックを満喫されていることと思います。今年は仕事の関係で日本に釘付けの身としては、とてもうらやましいです。

これからラダックに行かれるという方に、「ラダックの治安はどうなんですか?」ということを時々訊かれます。結論から先に言うと、インドという国の一部とはとても思えないくらい、治安は良好です。僕がラダックに惹かれるのは、必要以上に神経をピリピリさせなくてもいい、あの穏やかさが好きだというところも大きいと思います。

とはいえ、犯罪が皆無というわけではありません。僕自身も遭遇したように、盗難などの事件は時々発生しますし、年に一、二度はかなり凶悪な事件も発生します。2007年にはアルチで僧侶2人がネパール人2人に殺される事件が起こりましたし、NGOジュレーラダックからの情報によると、今年7月には、韓国人観光客2人を案内していたラダック人のタクシードライバーが、同乗させていた国籍不明の外国人労働者2人にカルギル近辺で射殺されるという事件が起こりました。外国人労働者たちが韓国人たちのカメラや携帯電話を盗もうとしたため、運転手が彼らを助けようとしたものの、外国人労働者たちは運転手を殴り、韓国人たちが逃げた後に殺されてしまったのだとか‥‥。

こうした治安の悪化は、インド本土やネパールなど外部からの出稼ぎ労働者の流入により、その中の貧しい人々が犯罪に走るケースが増えているからだと思います。ラダックにやってくると、のほほんとしたピースフルな雰囲気についつい気が緩んでしまいがちですが、貴重品や荷物の管理、部屋の戸締まり、深夜の不用意な外出は控えるなど、自分が気をつけることで避けられる危険は、なるべく避けるようにしてください。

2009年11月13日

これから目指すこと

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またずいぶん久しぶりの更新になってしまいました。ここのところイベント絡みのお知らせばかりだったので、たまにはつらつらと、近況や最近考えていることを書いてみたいと思います。

ここしばらくは、広告系のインタビュー本の執筆と、Web系の本の編集作業を同時進行でやっています。合間に雑誌の仕事も入ったりして、やたらめったら忙しいんですが、でも全然儲かっていない(苦笑)。ぢっと手をみる‥‥という感じです。

そんな仕事の合間にも、これから先、自分がラダックに関わっていく上で何ができるか、何を目指していくべきか、ということをじっくり考えるようになりました。

一つ思ったのは、写真について。

前回の足かけ一年半にわたる滞在の間も、僕は相当な枚数の写真を撮ったのですが、正直「いや、自分の本職はライターだから‥‥」と、写真に関してはどこかで逃げ道を用意していたような気がします。「ラダックの風息」を読んでくださった多くの方々に「写真がよかったです!」と言っていただけているのは本当にうれしいし、ありがたいと思っているのですが、あの写真たちがベストだったのかと問われると、「もしかしたら、もっといい写真が撮れたかもしれない‥‥」と、ついつい考えてしまいます。

手元のMacに保存しているラダックの写真のアーカイブを見ていても、やっぱりそう思います。この世のものとは思えないほど雄大な風景とか、華麗で荘厳なお祭りとか、そういう派手でダイナミックな写真は、そこそこ揃っています。でも、滞在中に僕自身がずっと目にし続けていた、ラダックの人々の生活のひとコマとか、何気ない表情とか仕草とか、そういうありふれた日常を捉えた写真は、思いのほか少なかったのです。

「もっとラダックやザンスカールのものすごい風景を撮ってこい!」と言われても、あのチャダル・トレックを超えるチャレンジというのは、そうそうできることじゃありません(笑)。僕が今、ラダックで撮りたいと思っているのは、もっと何気ない写真‥‥このエントリーの冒頭に載せた、イグジン・アンモのマフラー越しにでもわかる笑顔のような写真。どうということはない日常の風景だけど、ラダックの人々の温かさが伝わってくるような写真を、納得いくまで追求してみたいなあ、と。

まずは、自分がやりきれていなかったと思えるところから、じっくり取り組んでいこう。そうしていくうちに、新たに何か書きたいことが見えてきたら、それを書いていこう。

諸々の都合で、前みたいに一年、二年と長逗留するのはなかなか難しいのですが、二カ月とか三カ月ずつでもいいからラダックに通って、自分が撮りたい写真と、自分が書きたいことに対して取り組んでいく。これからは、そういうスタンスでラダックと向かい合っていければと思います。

とりあえず、来年の夏は、ラダックに行きます!(笑)

2009年12月 1日

二人のナムギャル

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今日からもう12月ですか。早いなあ‥‥。

一年前の今頃は、「ラダックの風息」の原稿を書き終えた後、写真のセレクトで死ぬほど悩んでいた時期でした。載せたい写真はそれこそ何百枚もあるのに、本は240ページしかありません。一度選んだものが気に入らなくて最初から全部やり直したりして、周囲の友人に「‥‥やつれた?」と心配されるくらい、消耗していた記憶があります(苦笑)。

そうなんです。「これはブログには載せずにとっておいて、本に載せよう!」と思っていて、結局載せられなかったり、カラーページには回せなかったりした写真が、まだ山のようにあるのです。最近、そういう写真たちを仕事の合間に見返したりもしているのですが、「このまま埋もれさせておくのももったいないなあ‥‥」と思うようになりました。

2009年はこのブログもかなり放置気味だったので(すみません)、これからは、一、二週間に一度くらいのペースで、そういう埋もれた写真たちを、こんな感じでちょこちょこご紹介していこうかな、と思っています。まあ、次の夏に再びラダックに行くまでのウォーミングアップということで(笑)。

上の写真は、本の中でもモノクロページに載せた写真です。左の男の子が、文中にも登場したホームステイ先の一家のスタンジン・ナムギャル。右の男の子は従兄弟のリグジン・ナムギャル。どっちもナムギャルという名前です。リグジンの帽子にも名前が入ってますね。カッコイイ(笑)。

ナムギャルというのは、かつてラダックを統治していたナムギャル王朝の王族が代々受け継いでいた名前でもあります。中でも一番有名なのがセンゲ・ナムギャルという王様なのですが、それにちなんで、スタンジンはよく「センゲ、センゲ」という愛称で呼ばれていました。

元気かなあ、あの子たち‥‥。

2009年12月10日

顔なじみの牛たち

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2007年から2008年にかけて、冬のラダックで取材をしていた頃、僕はレーのチャンスパ地区にあるタシ・ギャルツェンさんのお宅にホームステイをさせてもらっていました。

毎朝8時か9時くらいに起きて、台所でストーブに木切れをくべながら、チャパティやツァンパのスープの朝ごはん。それからバケツに3分の1ほど用意してもらったお湯で、ブルブル震えながら頭と身体を洗います。部屋で本を読んだり、写真や取材ノートを整理したりした後、僕は11時頃にカメラザックを担いで家を出て、メインバザールまで20分ほどの道程を歩いていっていました。

すると、ほぼ必ずといっていいほど毎日、この写真の牛たちの行進とすれ違っていたのです。いわば顔なじみ(笑)。

ラダックの人々にとって、乳を出す牛は大切な家畜です。ヒンドゥー教徒のように牛を神聖視しているわけではありませんが、レーのような街の中でも、こんな風に牛が堂々と行進していることはざらです。どの牛も毛並がつやつやしていて、大事にされていることがわかります。

本当に毎日顔を合わせていたので、そのうち僕は、「よっ!」と牛たちに挨拶をするようになりました(笑)。

2009年12月26日

ポプラの木

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ラダックの風景というと、草木一本も生えないむき出しの岩山と荒野‥‥というイメージを持っている方がほとんどだと思います。でも、レーの街や川沿いの村を訪ねると、意外なくらい緑が豊かな場所があることに気付くはずです。

特に目立つのは、ポプラの木です。ラダック語では、ユラートと呼ばれているのかな? ラダックの人々が家を建てる時の梁や柱の材料にも使われる、貴重な存在です。10メートルほどの高さの木々が青空を背景にしゅっと立ち並ぶ様を眺めていると、心が清々しくなるような気がします。

春になると、ポプラの木は種子を綿毛に載せて、ぷわぷわと空に飛ばします。夏になると、深くて濃い緑色に色づいた葉がゆったりと風にそよぎ、秋になると、その葉はみるみるうちに黄金色に変わり‥‥冬になると、あっけなく散ってしまいます。冬空に、くっきりと食い込むように伸びる白い梢。それもまた、ラダックらしい風景です。

ポプラの木は、ラダックの移りゆく季節を象徴する存在なのかもしれません。

2010年1月 4日

デチェン・ラモからの伝言

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

この「Days in Ladakh」も、開設してから約三年が経ちました。去年はずっと日本に釘付けだったこともあって、ラダックそのものに関する更新はなかなかできませんでしたが、今年の夏は、再びラダックに行って取材をしてくる予定なので、その現地報告も含めて、またこのブログを更新していければと思っています。

「目指せ! 二冊目のラダックの本!」って感じですね(笑)。

この間の大晦日の夕方、以前チベットに行った時に知り合った女性の方からメールをいただきました。去年、「ラダックの風息」を読んで、実際にラダックに行って、本の舞台の一つになったノルブリンカ・ゲストハウスに泊まっていたのだそうです。

宿のおかみさんのデチェンさんはあいかわらず元気で、僕の話が出ると、「まさか自分の話したことや、家族の会話が本になるなんて思ってなかったから、びっくりした(笑)」と言っていたのだとか。その女性の方曰く、「本で書かれていたとおり、温かくて優しくて、ひょうきんで歌好きのお母さんだった」とのことでした。

その女性の方が、デチェンさんからの伝言を僕に届けてくれました。

「タカ! 大丈夫だよ! ラダック語を忘れちゃダメだよ!」

この伝言を受け取った時、胸の内側に、ラダックの青い空がすーっと広がっていくような気がしました。一年の最後にこの伝言を受け取れたのも、何かの巡り合わせなのかもしれません。

また、あの青い空に会いに行こう。そこから、きっとまた何かが始まる。

2010年1月16日

太陽の光

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冬のラダックでは、最低気温はマイナス30℃、最高気温も氷点下という日々が続きます。そんな苛酷な環境で暮らす人々にとってかけがえのない存在が、太陽の光です。

天気のいい日には、至るところでひなたぼっこをしている人を見かけます。気温が低くても、日が当たるところにいると、びっくりするくらい暖かいのです。ラダックの人々の家にはたいてい、南側に面した大きな窓のあるサンルームのような部屋があるのですが、そこは暖房がいらないくらい暖かいので、昼間のうちはみんなそこでのんびりしています。みんなと一緒にサンルームでごろごろしていると、太陽の光の暖かさ、そして有り難みをひしひしと感じます。

ラダックの中でも、たとえばダー・ハヌー地方の峡谷に点在するいくつかの村では、冬の間は太陽の光が山に遮られて、一日中日が当たらないというところもあるそうです。そんな時期はどうするかというと、川の対岸にある専用のひなたぼっこスペースに移動して過ごすのだとか。逆に言えば、そこまでしないととても耐えられないんですね、この地方の冬の寒さは‥‥。

太陽の光は人の命を繋ぐ存在なのだなあ、としみじみ思います。

2010年1月30日

雪の坂道

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二年前の今頃、僕はチャダルを辿って、真冬のザンスカールを旅していました。

地形が影響しているのかもしれませんが、ラダックと比べるとザンスカールはさらに雪が深く、歩いても、歩いても、見渡すかぎりの銀世界。くるぶしの上、時には膝近くまで埋もれる雪の中を歩き続けるのは、恐ろしく疲れます。しかも標高は3000メートル以上。足を一歩踏み出すたびに、ぎゅっと歯を食いしばらなければならないほどでした。

だから、折り返し地点のカルシャで丸一日休憩することができたのは、本当にありがたかった‥‥。正直、身体が文字通りバラバラになりそうなほど疲れきっていたからです。幸運にも、その日は雲一つない晴天で、僕はカルシャの村の人たちの暮らしぶりを、たくさん写真に撮らせてもらうことができました。

屋根の雪かきに精を出す人、氷のように冷たい湧き水で洗濯をする人、もこもこの上着を着て元気に遊ぶ子供たち。こんな雪深い山奥で暮らすというのは大変なことなのだろうなと最初は思っていたのですが、会う人会う人の表情を見ていると、当たり前というか、慣れっこというか、本当に何とも思っていない感じ。まあ、考えてみれば、ザンスカールの人々を、僕みたいに東京暮らしに慣れっこになっている軟弱者と比べるのもおこがましい気がします(笑)。

村の中で、雪が積もってところどころ凍りついている坂道を歩いていた時。へっぴり腰でおっかなびっくり足を運ぶ僕のそばを、一人の少女が両手を広げて勢いよく足を滑らせながら、ぴゅーっ!と風のように坂道を下っていきました。

2010年3月19日

レーの犬の生活

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レーの街では、かなりたくさんの野良犬が生活しています。かなりたくさん‥‥いや、ものすごくたくさん(笑)。街をぶらぶら歩いていても、こんな風にくるっと身体を丸めて眠りこけている犬たちを至るところで見かけます。「カワイイか?」と聞かれると、うーん‥‥あんまりカワイイとはいえないですね(笑)。どちらかというと、厳しい環境の中で生き抜いているが故の図太さというか、ふてぶてしさというか、そういう印象の方が強いです。

レーで暮らす野良犬たちは、もっぱら朝のうちに人間が出した残飯などを漁って腹を満たし、昼間のうちはずーっと昼寝。人間に対しては見向きもしません。ただ、夜になると活発に活動を開始し、時には群れになってワオワオと吠えまくって、かなりうるさいこともあります。

深夜にジープでレーに着いた時や、夜明け前にバスターミナルに歩いていかなければならない時などは、この犬たちに注意した方がいいです。うっかり近づくと、昼間の眠りこけっぷりからは想像もできないほど攻撃的に吠えかかってくることがあります。僕自身も吠えかかられたことがありますが、かなり怖いです。地元のラダック人たちでさえ、夜に出歩く時は犬を追い払うための棒切れを持っていく人もいますね。

ラダックのNGOの中には、こうした犬たちが無制限に増えすぎてしまうことを防ぐために、犬に避妊手術を施す活動をしているところもあるそうです。

2010年4月 1日

村を歩くことのススメ

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もうすっかり春ですね。ラダックではこの時期になると、畑を耕して種を蒔く準備などをするため、だんだん忙しくなってきます。ちょうど今、アンズの白い花が咲いている時期かな? 新緑が一斉に萌えはじめて、きっときれいなことでしょう。

ラダックを訪れる日本の旅行者の方は、滞在期間が限られているからか、とにかく毎日のようにあちこちのゴンパを見て回るという方が多いようです。それも一つの楽しみ方ですが、個人的には、そこまでシャカリキにゴンパばかり見て回らなくても、もっと他の楽しみ方があるのに‥‥と、ついつい思ってしまいます。

たとえば、どこかの村を、ただブラブラと歩いてみること。

レーの近郊には、スピトクやピャン、シェイ、ティクセなどのゴンパを擁する村のほか、小さな村がいくつも点在していて、それらには歩いていけたり、頻繁にバスが行き来していたりします。滞在中、どこかで丸一日、そういった近郊の村を散策する時間にあててみてはどうでしょう? 畑のあぜ道を伝い歩き、ポプラの梢を見上げ、風にそよぐ麦穂を眺め‥‥。大勢の観光客で騒がしいレーとは全然違う、ラダックの人々が本来過ごしている生活の時間の中に身を置くと、初めて感じられることもたくさんあるはずです。

何もしないことで、見えてくるもの。たとえば、この馬の親子の情景のように。

2010年5月 1日

種まきの歌声

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桜が散ったと思ったら雪が降ったりして、妙な天気が続いていましたが、ようやく春本番になってきましたね。ラダックの人々は、畑での種まきで忙しい日々を送っているのではないかと思います。

この間、パソコンの中のデータを整理していたら、面白いものを見つけました。2008年春、ラダックのシャクティで、村の男たちがゾ(ヤクと牛の混血種)を使って畑を耕しながら種まきをしている時の歌声を、ICレコーダーで録音したファイルです。

種まきの歌声:Ladakh_seeds.WMA

これはもともと、「ラダックの風息」の原稿を書く時の参考資料にしようと思って録音したものです。それ以外に特に何かに使おうとは考えていなかったのですが、そういえば、ラダックの人々が種まきの時に歌う歌を聞いたことがある人は、日本にほとんどいないんじゃないかということに今頃になって気づいたので(笑)、このブログにアップしてみようと思った次第です。

ラダックの男たちは、鋤を引く二匹のゾを歌を歌うことで操ります。「コール! コール!」というのは、「回れ! 回れ!」という意味。畑の外側からゆるやかな弧を重ねて描くように鋤で耕して、そこにできた溝に種をまいていくので、ゾに回ってもらう必要があるわけです。彼らによると、ゾはちゃんと歌の意味をわかっているそうですよ。

2010年5月14日

夏のラダック滞在日程、決まりました!

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これは、ダーで撮った子供たちの写真ですが‥‥どんだけカメラ目線なのかと(笑)。

そういえば、もうすっかりお知らせしたつもりだったんですが、このブログではまだでしたね。今年の夏のラダック滞在日程、ほぼ確定しました。6月19日(土)に日本を発って、ヘミス・ツェチュ直前の20日(日)にレー入り。日本に戻ってくるのは、9月4日(土)の予定です。

滞在期間は合計で二カ月半くらい。ある知人には「今回は中途半端ですね!」と言われました(苦笑)。まあ、こちらも仕事や予算の都合があるので、今回はこれが精一杯です。

ヴィザや航空券の手配は着々と進めているところですが、今年はデリー〜レー間の航空券の値段がメチャクチャ高騰していて、ちょっと困っています。いちおう現時点で一枚押さえておきつつ、直前まで粘って、安い席が出たらすぐにそっちに切り替えるという戦術ですが‥‥どうなることやら。

夏のラダックでは、見たいもの、やりたいことがたくさんあります。ダーの夏の収穫祭、ダライ・ラマ法王のティーチング、まだ訪ねていない小さな村めぐり‥‥。トレッキングもやりたいなあ。ザンスカールはちょっとわかりませんが、できれば行っておきたいところですね。

まあ、その前に、とりあえず目の前の仕事を粛々と片付けます(笑)。

2010年6月 2日

小さな花

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僕がラダックで暮らしていた頃から、二年近くの月日が流れました。「ラダックの風息」を読んでくださった方からは、今でもよくこんなことを訊かれます。

「でも、何でラダックだったんですか? どうしてラダックを選んだんですか?」

‥‥これは難しい質問です(苦笑)。どうして僕がラダックを選んだのか、かいつまんで一言で言い切ってしまうと、本の中でも書いたように「一目惚れのようなものだった」のだと思います。でも、そこをあえて、もう少し掘り下げて考えると‥‥。

僕がラダックにいた時に感じていたのは、何というか、「生きている手応え」のようなものだったのではないかと。

何もかもが便利で行き届いていて、でも煩わしいくらいに複雑な日本に比べると、ラダックはものすごくシンプルで、そして比べものにならないほど厳しい場所でもあります。そうした場所に身を置くと、余計な飾りをすべて剥ぎ取られた、完全に素の状態の自分と向き合うことができる。自分の弱さや情けなさを思い知らされながら、精一杯あがいていると、日本では感じることのできなかった「手応え」を、ふっと感じることがあるのです。

標高5000メートルを越えるルプシュの山中を、一人ぼっちで歩いていた時。周囲は見渡すかぎり、空と険しい山ばかり。酸素は平地の半分ほどしかなく、必死に両足に力を込めても、スローモーションのようにしか動かない。顔を上げて前を見ることさえできずに、歯を食いしばって峠の頂上を目指していた僕の足元には‥‥。

写真のような、黄色くて小さな花が、平たい岩の間から、びっくりするほどたくさん咲いていました。

あの時、あの場所で、あの小さな花たちが咲いていたことを忘れないでいたい。うまく言えませんが、たとえばそれが僕にとっての「手応え」で、ラダックを選んだ理由、そしてまたラダックに戻る理由なのだと思います。

2010年6月 9日

天候不順

6月になると、ラダックでは短い夏が始まります。外部からの観光客も増えはじめる頃ですね。デリー在住の僕の友人も、今ちょうどラダックに滞在しているのですが、今年のラダックは、何だか妙な天気なのだとか。

例年は5月中旬にはオープンするはずの周辺の峠道も、今年は未だに除雪が終わっていないそうです。ラダックへのメインルートとなるマナリ〜レーロードも、一昨日にオープンしたと思ったら、また雪が降って通行止めになりました。ヌブラとの間のカルドゥン・ラも、パンゴン・ツォとの間のチャン・ラも、開通と閉鎖をくりかえしている模様。雪だけでなく雨の量も多いらしく、ダー・ハヌー地方では豪雨で水害に見舞われたエリアもあったそうです。

陸路でのラダック入りや、現地でジープをチャーターして遠隔地を回ることを計画している方は、事前にしっかりと情報収集することをおすすめします。

ラダックではこれからの1、2カ月間が農作物の生育に大切な時期だけに、何とかすっきりとした夏を迎えてほしいものですね。

2010年6月13日

僕が戻る場所

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今年三月、西荻窪で開催されたラダックのグループ写真展の打ち上げの席で、ある人にこんなことを言われました。

「山本さんは、ラダックの話をしている時と、それ以外の話をしている時とでは、顔つきが全然違いますね!」

‥‥すみません。どうやら普段の僕は、相当に邪念と煩悩にまみれた顔つきをしているようです(苦笑)。

出発の日が近づいてきました。思わぬ高騰に悩まされていたラダックまでの航空券も割安なものを入手できましたし、係員の手違いを発端にもめにもめていたインドヴィザも、どうにか必要な有効期限のものを確保しました。実はまだ仕事が完全に片付いていませんが(汗)、これで約二年ぶりに、ラダックに戻ることができます。

ラダックに「戻る」。

その言葉が、今の僕の気持には一番しっくりきます。戻りたいと思える場所がある。会いたいと思える人がいる。それはたぶん、とても幸せなことなのではないか、と。

今度の旅で、何かものすごいことをやり遂げてやろうとは、実は全然考えていません。今までわかっているようでわかっていなかったこと、できているようでできていなかったことを、一つひとつ確かめながら、少しずつ積み重ねていこう。楽しいことばかりではなくて、苦しいことや悲しいこともあるだろうけど、そうして過ごした時間そのものが、きっと僕自身にとってかけがえのない記憶になる。今はそう思っています。

ラダック滞在中は、あっちこっちを走り回ってかなりバタバタしそうで、このブログもどのくらいの頻度で更新できるかわかりませんが、できるだけ現地の情報をお届けできればと考えていますので、よろしくお願いします。

では、「戻って」きます!(笑)

2010年6月20日

二年ぶりのラダック

ラダックなう。......と書くのが今風なのかな?(笑)

昨日、日本を発った後、特にトラブルもなく、今朝の飛行機で無事にラダックのレーに到着しました。デリー空港での夜明かしは相変わらずきついけど、飛行機の窓の外から見えるザンスカール山系を眺めていたらだんだんテンションが上がってきて、レーに着いたとたん、疲れも何もかも吹き飛んでしまいました。

手が届きそうなほど近い空。乾いた空気。ひりつく陽射し。やっと、戻ってくることができた。

二年ぶりのラダック。デチェンさんをはじめとするノルブリンカ・ゲストハウスの一家の人々をはじめ、ラダックの知り合いの人たちも元気そうです。みんな、びっくりするくらい変わっていない。顔を合わせるたび、みんながパッと笑顔になって、走りよって握手をしてくれるのが本当にうれしいです。

正直、決心するまではいろいろ悩んだけど、来てよかったなあと心から思います。

明日から、ヘミス・ツェチュが始まります。いつもはめったに来られないドゥクチェン・リンポチェが今年はおいでになるとのことなので、ラダックの人たちは大盛り上がりです。僕も高山病が大丈夫そうなら、カメラを担いで出かけてきます。

また落ち着いて時間ができたら、いろいろ書こうと思います。ではでは。

2010年6月30日

インド人観光客が増えた理由

今年に入ってラダックへの旅行を考えている方は、デリー~レー間の航空券の高騰ぶりに驚かれているのではないでしょうか。だいたい、いつもの年の二倍かそれ以上の値段で、しかもなかなか空きが出ない。日程が迫ってくると、ポツポツと安い値段での空きが出ることもあるようですが、最近は多い時で日に6便も飛んでいることを考えると、かなりの異常事態です。

この航空券の高騰は、今年の春から大量のインド人観光客がラダックに押し寄せていることに原因があります。なぜ、急にインド人観光客が増えたかというと...それは、去年インドで公開されてヒットした「3 Idiots」という映画が影響しているようです。僕は未見なので映画の詳しい内容は書けないのですが、この映画の重要な場面がラダック東部のパンゴン・ツォ湖畔で撮影されたらしく、それを見たインド人たちが、大挙してラダックにやってきているのです。

とはいえ、彼らはラダック自体にはあまり関心がないようで(苦笑)、レーに到着して豪華なホテルにチェックインしたら、すぐに旅行代理店に行って「3 Idiots Lakeに行きたいんだけど!」と言うそうです(笑)。パンゴン・ツォという地名すら知らない人も多いみたいですね。

まあ、きっかけが何であれ、多くの人がラダックのことを知るのはいいことです。でも、あの航空券の値段は、もう少しどうにかならないかなあ...(笑)。

2010年8月14日

ソデチャン、ソデメッカン

8月12日の夕方、予定より一日遅れでレーの街に戻ってきました。留守中に発生した洪水被害の件で、大勢の方々にご心配いただいていたようで、すみません。

ラダック各地で発生した洪水被害については次のエントリーで書くことにして、まずはこの10日ほどの間、僕がどう過ごしていたのかについて書こうと思います。

カルナクへのトレッキングは、出発して以来、ほとんど毎日、夕方から翌朝にかけて断続的に雨に降られるという、ラダックでは珍しい悪天候続きの日々でした。特に8月5日、標高5000メートル近い場所に位置するカン・ヤツェ・ベースキャンプで幕営していた時は、深夜に雹混じりの猛烈な雷雨に見舞われました。僕はひっきりなしに閃く稲妻をテントの天幕越しに見上げながら、「これでもし、テントが吹き飛ばされてしまったら、もうダメかもしれないな」と、半ば覚悟を決めていたことを憶えています。今思えば、あの時の雷雨が、ラダック各地で発生した洪水の引き金になったのかもしれません。

その後のトレッキングの行程でも、日中はほとんど雨に降られなかったのですが、毎晩のように降り続く雨のせいで、いつもならどうということのない川の水が、大幅に増水して激流と化してしまっていたのです。カルナクのトレッキングルートは川を渡渉するポイントが多いことが特徴なのですが、一番難しいポイントでは、腰にまで達する濁流の中を馬のくつわにしがみつきながら渡渉するということを、日に五度も六度も連続してやらなければなりませんでした。うっかり足を滑らせてしまったら、どこまで流されてしまうかわからない。本当にヒヤヒヤものでした。

そんなこんなで、どうにか無事に一週間のトレッキングを終え、8月11日の朝にレーから迎えにくるはずのジープを待っていたのですが、しばらく待っても来る気配がない。これは何か起こったなと察した僕は、トレッキングの終点から6、7時間ほど歩いて、レー~マナリロード上にあるディブリンというテントホテル群に到着。そこで初めて、ラダック各地で深刻な洪水被害が発生し、レー~マナリロードもルムツェ近辺で大幅に寸断されてしまっていることを知りました。

レーに戻る道路は寸断され、洪水の影響で電話も通じない。何から何まで八方ふさがりの状況に僕はしばらく途方に暮れていたのですが、その時通りがかったジープのドライバーが「ツォ・カル方面からマヘ橋を経由して迂回して行けば、レーに戻れるんじゃないか?」と教えてくれたのです。

それから僕は、彼のジープと、その後から来たピックアップトラックに乗せてもらって、マヘ橋を経由してチュマタンという村に到着。その夜はそこで泊めてもらって、翌朝、前日と同じピックアップトラックでさらに先に進みました。しかし、ヒミヤという村のあたりで鉄橋が落ちてしまっていて、車はそこから先に進めません。僕はピックアップトラックを降り、橋が落ちている川を歩いて渡って、すべての荷物を担いだまま、そこから先に歩き始めました。

幸運だったのは、一緒に歩いていたラダック人の親子連れ三組がいたこと。というのも、橋が落ちていたところから10キロほどのところで、彼らの知り合いがレーから車で迎えに来てくれていたのです。親子連れは快く僕を車に乗せてくれ、僕はどうにかレーに戻ってくることができたのでした。

トレッキングの最中は、「こんなに毎日雨に降られて、うんざりするような渡渉をくりかえさなければならないなんて、今回は本当にソデメッカン(ツイてない人)だな」とぼやいていたのですが、今になってみると、それは違うなと思います。あれだけの悪天候、悪条件の中で、カルナクの難しいトレッキングルートを歩いていながら、怪我ひとつせず、撮影機材を壊すこともなく、けろっとして乗り切ることができた。道路の復旧まであと何日かかるかわからないような峠の向こう側から、信じられないようなタイミングで連続してヒッチハイクに成功し、レーに戻ってくることができた。しかも、最初と二番目に僕を乗せてくれたジープとピックアップトラックのドライバーは、どちらも僕のラダック人の友達の知り合いだったのです。そういう意味では、僕はつくづくソデチャン(ツイてる人)だった、と思います。

そしてその幸運は、自然がほんの些細な気まぐれで、僕の命を吹き飛ばさないでいてくれたからだということ。本当に不幸なのは、今回の洪水被害で命を失ったり、家族や友人、家や畑を失ってしまったラダックの人々だということを、骨身に沁みて感じています。

だからこそ、帰国するまでに、僕にはここでやらなければならないことがある。今はそう思っています。

2010年8月16日

そして人生はつづく

レーの街は、祭りが一番盛り上がっているさなかに突然何もかも打ち切られてしまったかのような、奇妙な空虚さが漂っています。

ほんの二週間前まで、街中を賑わせていた旅行者たちも、今はまばらに見かけるだけ。カウンターの後ろで頬杖をついている旅行代理店のオーナーも、骨董品店の軒先で椅子に座っているカシミール人の客引きも、これからどうしていいものやら、途方にくれているように見えます。

2010年8月6日未明、ラダックを襲った集中豪雨は、各地に甚大な被害をもたらしました。洪水によって寸断されていた道路や橋は徐々に復旧しつつありますが、レーの街の電話局が破壊されてしまった影響で、電話やインターネットは今なお不自由な状態が続いています。しばらくはこのブログも写真がアップロードできないことをご了承ください。

ここ数日、帰国後に募金活動をする際に必要な写真を撮影するため、僕はレーやチョグラムサルの被災地を訪れています。もっとも被害が深刻なチョグラムサルの被災地を見た時は、ただもう絶句するしかありませんでした。

北東のサブー方面から流れ落ちてきた土砂は、チョグラムサルの市街を斜めに横切って、行く手にあるものすべてをなぎ倒してしまっていました。人が両手で抱えても持ち上げられないような巨大な岩が、そこらじゅうに転がっています。街道沿いに連なっていた高さ二メートルほどもあるマニ壇も、すっかり土砂に埋もれています。へしゃげた屋根、崩れ落ちた壁、べったりと泥に埋もれた窓や戸口...。踏み潰された空き缶のように、ぺしゃんこになった車やトラック。まるで、ここ一帯に何発も爆弾が落とされたかのような、凄惨な光景でした。

壊れた家の前でしゃがみこむ人たちの傍らでカメラのシャッターを切りながら、僕はどうにもやりきれない、いたたまれない気持になっていました。どうしてこんなことになってしまったのだろう? 僕は、こんな悲しい写真を撮るために、ラダックにやってきたのだろうか?

でも、そうして写真を撮り続けているうちに、僕は昔見たある映画のことを思い出しました。イランのアッバス・キアロスタミ監督の「そして人生はつづく」という映画。監督が以前撮影した映画のロケ地であるイラン北部の村が大地震に見舞われ、映画に出演した子供たちの消息を監督自らが訪ねて回る、という物語です。

映画のスクリーン上には、地震で崩れた家々の無残な瓦礫の山が映し出され続けるのですが、どういうわけかその映画には、希望といってもいいほどの不思議な明るさが宿っていたように思います。たぶんそれは、被災地で途方にくれながらも、自らの足で立ち上がろうとする人々の強さ、けなげさが、スクリーン上に現れていたからかもしれません。

今度の洪水で被災したラダックの人々も、いつかきっと自らの足で立ち上がれるようになる日が来る。でも今は、彼ら自身の力だけで立ち上がることは難しいでしょう。あと二ヶ月もすれば、ラダックには冬が訪れます。食料や救援物資、建築資材を運び込むための道路も、雪で塞がって通れなくなってしまいます。家や畑を失った人々は、マイナス20度の極寒を耐えしのがなければなりません。少しでも早く、的確な、そして継続的な支援が必要です。

前のエントリーでも書きましたが、NGOジュレー・ラダックが、洪水被害復興支援の義援金の募集を始めています。ジュレーラダックは日本在住のラダック人の方が代表を務めるNGOで、現地スタッフのほか、ラダックの人々との人脈も豊富なので、今のところ、日本からもっとも効果的に支援することのできる方法だと思います。

このエントリーを読んで、「ひどいね、かわいそうだね」と思った後、「さて、今日の夕食は何にしよう?」と30秒ですべてを忘れ去ってしまうことは簡単です。「いや、自分は募金とかそういうことをするタイプじゃないから」と、うやむやにしてしまうことも簡単でしょう。それはそれで仕方ありません。でも僕には、そんなことはできない。自分にかけがえのない時間を与えてくれた場所、大切な人々が、目の前でこれほどの危機に瀕しているのを、黙って見過ごすわけにはいきません。

このエントリーを読んでくださった方は、家族や友人、職場の同僚の方など、一人でも多くの人に、ラダックのこと、ラダックの人々が今直面している危機のことを伝えてください。そしてもしよかったら、ほんの少しでもいいので、上記の義援金にご協力ください。一人ひとりにできるのは、ささやかなことかもしれません。でも、そうした支援が一人でも多く集まれば、それはきっと、ラダックの人々が立ち直るための大きな力となるはずです。

家族や友人、家や畑を失ったラダックの人々の人生は、これからも続きます。一人でも多くの方からの支援をお待ちしています。

2010年8月17日

笑顔の効用

昨日の夜、ノルブリンカ・ゲストハウスに、一家の息子たちの友人のサムテンがやってきました。

ラフール出身の彼は、以前はLeDEGで働いていましたが、今はフランスのNGOのスタッフとして、ヒマーチャルとラダックを行き来する生活を送っています。僕自身も、かつて「ラダックの風息」の取材を始めたばかりの頃、当時LeDEGのスタッフだった彼の紹介でシャクティにファームステイさせてもらうなど、彼にはずいぶん世話になっていました。

サムテンは頭の回転がとても速い、面白い男なのですが、昨夜の彼は、いつにもまして陽気にふるまっているように見えました。自分のラップトップパソコンに入っているいろんなムービーをみんなに見せたり、突然突拍子もないことを言い出したり...。

「タカ! 俺がラダックでアラク(蒸留酒のどぶろく)を大量生産するから、お前は日本にそれを輸入して売ってくれよな! そうすれば大儲けだ!」
「オッケー! じゃ、東京中のフレンチレストランに、ワインの代わりにアラクを置いてくれって頼むことにするよ!」

そんなバカなことをみんなで言い合いながら、昨日はひさしぶりに賑やかな夜を過ごしました。ここ数日、風邪気味でぐったり寝込んでいたデチェンも、みんなと一緒に楽しそうな笑顔を浮かべていました。

考えてみると、あの洪水が起こって以来、僕たちは笑顔でいることをすっかり忘れていたように思います。宿の息子のジミとツェリンは、毎日チョグラムサルに救助活動に出かけていって、夜遅くにクタクタになって帰ってきていましたし、デチェンは夜中に通り雨が降るたびに「また雨だよ。近所の学校の校庭に避難した方がいいんじゃないかねえ?」とおろおろしていました。

僕自身も、トレッキングを終えてからさんざん回り道をして戻ってきて、間髪入れずに被災地の撮影に行ったりしていたので、身体にも心にも、疲れがどんよりと澱のようにたまっていました。メインバザールで誰かと顔を合わせても、「誰それは無事なのか?」「あの道は通れるようになったのか?」とか、そんな会話ばかりでした。

でも、その日の夜にみんなでバカな話をして笑い合ったことで、そうして溜まっていた疲れがふっと消えていくような気がしたのです。笑いたい時に笑うということ、お互いに笑顔を見せ合うということは、とても大事なことなのだな、と感じました。

死者を悼む気持ちは忘れてはいけませんし、怪我をした人、家や畑を失った人に対する同情も忘れてはいけないと思います。でも朝から晩までそのことばかり考えていると、いつかぽっきりと気持ちが折れてしまう。だから、笑顔でいられる時は笑顔でいよう。そうすることが、次に進んでいく力に繋がるような気がするのです。

ラダックの人々が、一日も早く元の屈託のない笑顔を取り戻せるように、できるかぎり力になろう。今はそう思っています。

2010年8月20日

もうひとつの現実

洪水の発生から約二週間が過ぎ、レーの街も、少しずつ落ち着きを取り戻しつつあるように感じます。電話は依然として不便ですし、電気ももっぱら夕方から夜にかけてしか供給されませんが、それでも普通に暮らしていけるというのは、ありがたいことだなと思います。

僕がレーに戻ってきてから、何人かの日本人の方からメールなどで問い合わせをいただいています。「今のレーの街やラダック各地の村はどんな様子なのか?」「9月にラダックへの旅行を考えていたけど、旅行できる状態なのか?」といったものです。

まず、今のラダックが旅行できる状態かどうかというと、ほぼ普通に旅して回ることが可能です。道路はレー~マナリロードのルムツェ近辺とダー・ハヌーの手前あたりが不通のほかは、だいたい復旧しています。レーのゲストハウスも、レストランも、土産物屋も、閑古鳥が鳴いている状態ながらも営業しています。例年9月1日から二週間ほど行われているJ&K主催のラダック・フェスティバルはキャンセルされることが確実視されていますし、年末のロサルもお祝い事としては行われないと思いますが、各地のゴンパを巡って観光することには、何の問題もありません。

ただ、もしあなたが、疵ひとつない底抜けに幸せな思い出を作るためにラダック旅行をしたいと考えているのなら、今はおすすめできません。今ラダックに来れば、レーのバススタンド周辺やチョグラムサルなど、洪水の被災地が置かれている過酷な現実を、否応なく目にすることになるからです。

でも、今あなたが飛行機のチケットを手にしていて、自分自身が楽しむだけでなく、ラダックが今置かれているありのままの現実も見ておきたいと考えているとしたら、どうぞ、ラダックにいらしていただければと思います。ラダックの人々は、けっしてあなたを「物見遊山なやつだ」などと拒んだりはしないはずです。

15万円から20万円かかるであろう旅行をキャンセルして、浮いたお金を義援金に回したほうが、ラダックの人々のためになる。そう考えている人もいるでしょうし、それも一理あると思います。でも、ニュースや写真ではなく、自分自身の目で被災地を見て、そこで何かを感じ取り、ほかの誰かに伝えることは、義援金の銀行口座にお金を振り込むことと同じかそれ以上に、ラダックの人々のためになることだと思うのです。

ラダックでの旅行を終えて日本に帰国し、家族と一緒にテレビを見ながら夕食を食べている時でも、遠いラダックの空の下では、瓦礫の山の前にしゃがみこんでひざを抱えている女の子がいるということ。そうしたもうひとつの現実を感じ取り、彼らの痛みを胸の中に抱き続けていく。それもまた、とても大切なことではないかと僕は思います。

2010年8月27日

立ち直るために必要なことは?

最近になって、何人かの知人から、洪水発生直後の話を聞きました。

ある被災地では、固く抱き合ったままの老夫婦の遺体が発見されました。どんなに引き剥がそうとしても、二人の身体を離すことはできなかったそうです。

別の被災地では、ある子供の遺体を泥からひきずり出したら、その兄弟と思われる子供たちの遺体も出てきたそうです。その子たちもまた、互いの手を固く握り合ったままだったといいます。発見に立ち会った知人は「本当にショックだった。辛かった」と話していました。

別の知人の妹さんは、洪水から避難しようとした時に、泥の中に埋もれていた遺体を踏んでしまった、と怯えていると聞きました。次第に平静を取り戻しつつあるように見えるラダックの人々ですが、その心の中には、洪水の記憶の爪痕が今も深く残っています。

インドのシン首相は、先日ラダックの被災地を視察した際、災害支援パッケージとして125クロールルピー(約25億円)の用意があることを発表し、「病院、学校、電気、道路をすぐに再建する。すべての復興作業は、この先2ヵ月半以内、冬が来る前に終わらせる。資金は問題ない」と述べたといいます。実際、被災者に対する食料の配給は、インド政府や各支援団体によって行われており、今のところそれほど危機的な状況ではありません。飲料水を確保するための浄水機器や、テントや毛布なども供給されていると聞きます。

とはいえ、すべての援助がうまくいっているかというと、そういうわけでもありません。ある団体から送られてきた毛布や衣服が、冬を耐えしのぐにはあまりにもうすっぺらだったとか、やたらめったらペットボトルのミネラルウォーターばかり送られてきて逆に困っているとか、コミュニケーション不足や認識不足によるトラブルはよく起こっているようです。

被災者の側でも、ほんのわずかしか家にダメージがない人や、もしくはまったく被災していない人が、何食わぬ顔で何度も配給品を受け取りに行っているとか、被災者たちの間で配給品の奪い合いになったところもあるとか、いろいろと問題が発生しています。一部の支援団体では、募金で集めた現金を被災者に直接手渡すことを計画しているようですが、正直、浅慮であると言わざるを得ません。

ラダックの人々がこれから立ち直っていくために必要なのは、いかに的確に、必要とされている箇所に必要なだけのお金や物資を供給していくか、ということに尽きると思います。たとえば、LEDeGでは今、チョグラムサル近郊の土地に、恒久的なシェルターを建設していくことを計画しています。それには少なからず費用と時間がかかりますが、ラダックの厳しい冬をテントだけでやり過ごすことの困難さを考えると、一刻も早く着手すべき部分です。

ほかにも、学校に行けなくなってしまった子供たちをほかの地域の寄宿学校に通わせるための学費を確保するとか、対処が急がれるテーマがいくつもあります。こうした用途に計画的に資金を投入していくことが、ラダックの真の復興のために必要なことではないでしょうか。

ラダックの人々のために何をすべきか、今一度冷静になって考えてみるべきだと思います。

2010年9月 1日

自分の役割

ラダックではここ数日、八月上旬のぐずついた天気が嘘のような快晴が続いています。空にも、風にも、少しずつ、秋の気配が混じってきていますね。あと一カ月もすれば、ポプラもすっかり黄葉して、そしてあっけなく散ってしまうことでしょう。

約二カ月半の予定だったラダックでの滞在も、いよいよ終わりが近づいてきました。明日の朝の飛行機でデリーに飛び、翌々日の朝には東京に戻る予定です。

今年の滞在を振り返ってみると......まさに「激動の日々」といった印象でした。ラダックに来る前、楽しいことばかりでなく、苦しいことや悲しいこともあるだろうと思ってはいましたが、今回の洪水の影響で、まさか、ここまでたくさんの悲しい場面を目の当たりにするとは、正直、想像すらしていませんでした。

でも、ラダックの人々にとってもっとも困難な時期に、自分という人間が居合わせたのは、何かのめぐり合わせなのかもしれない。今はそう感じています。

僕はこれまで、ラダックという場所で、これ以上ないほど幸せな、かけがえのない時間を過ごさせてもらってきたのだと思います。そして、(あえておこがましい言い方をすれば)僕のようなやり方でそうした時間を体験した人間は、おそらく他にほとんどいないだろうとも思います。だから僕は、自分が過ごしてきたラダックでのかけがえのない時間のことを、文章や写真によって、一人でも多くの人に伝えなければならない。それはたぶん、仕事でもなく、義務でもなく、僕という人間に与えられた役割のようなものなのでしょう。たとえ、時にやりきれないほど悲しい出来事を伝えなければならないとしても。

いい時も、悪い時も、ラダックのことを見つめ、伝え続けていく。これからも僕は、そうした自分の役割を果たし続けていこうと思っています。

日本に帰ったら、ラダック関連でやろうと思っていることがたくさんあります。まず、10月中旬頃からは、東京でラダックをテーマにした写真展を開催しようと考えています。写真展の会場では、ジュレーラダックと共同で、洪水の被災者を支援するための義援金を募集させていただく予定です。この件に関しては、詳細が決まり次第お知らせしますので、今しばらくお待ちください。

さて、ラダックの人々に帰国前のあいさつ回りをしてこなければ。きっと、前と同じように「あ、そう。で、いつ戻ってくるの?」と、軽い調子で言われるのだろうな(笑)。

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