カルナク Archive
渺茫と広がる荒野の中で
2010年の夏、ラダック南部に位置する山岳地帯、カルナク地方を旅していた日々。標高5000メートルを越える幕営地で集中豪雨に見舞われ、増水して激流と化したカルナク川の危険な渡渉を何度もくりかえして、僕とメメレ(ホースマンのじいさん)はようやく安全地帯へと脱出。標高4950メートルのヤル・ラという峠の手前でキャンプを張っていました。
翌朝、僕はテントから外に這い出て、冷え切った空気を吸い込み、近くの水場に顔を洗いに行きました。東の稜線から、透き通るような朝の光が射し込んできて、目の前に渺茫と広がる荒野を照らしていました。
テントに戻ってくると、チャイを淹れる支度をしていたメメレが立ち上がって、荒野の彼方を指さしました。
「ノノ、見ろ‥‥。キャンだ」
メメレの指す先には、一頭のキャン(チベットの野生のロバ)が、ぽつんと佇んでこちらを見つめていました。
お前は、どこから来たのか。
なぜ、ここにいるのか。
これから、どこへ行くのか。
あの時、僕はそのキャンに、そう問いかけられたような気がします。
ラダック・ザンスカールの山の中に分け入っていく旅を何度かくりかえすうちに、僕の中では、自然に対する畏敬の念のような感情が次第に強まっていきました。ラダックの自然の圧倒的な美しさに感動を覚えつつも、同時にその自然は、ちょっと気まぐれを起こせば、僕の命など簡単に奪い去ってしまうほど強大な存在であることも痛感するようになりました。
でも、そうして自分という存在のちっぽけさを思い知らされながらも、この日の朝のように美しいキャンと出会った時のことを思い出すと、ぞくっ、と身震いがして、また、あの渺茫と広がる荒野の中に歩いていかずにはいられなくなるのです。たぶんそれが、僕がラダックという場所に戻ろうとする理由の一つなのだと思います。
カルナクの旅(4):ダト〜ディブリン
ダトの近くの湿原で幕営した夜は、このトレッキングで初めてぐっすり眠ることができました。翌朝はひさしぶりによく晴れた、気持のいい朝。出発してしばらく歩いていくと、谷が開け、見渡すかぎりの平原が広がっていました。
二時間歩いても、三時間歩いても、周囲の風景はまったく変わっていないように思えてきます。僕はカメラバッグを担いで、ひーこら言いながら歩いているのですが、メメレはいつものように自分専用の馬にまたがって、のんびりと手綱を握っているのでした。
カルナクの旅(3):ツォクラ〜ダト
増水した川に行手を阻まれた翌日、僕たちは午前5時に起きて、空が白んでくるのと同時に出発しました。早朝から午前中にかけての時間帯は、川の水量が比較的少なくなるからです。怖がる馬たちをなだめながら、どうにか渡り切ることに成功。でも、ほっとしている暇はありません。この日は、今回の旅の中でも一番難しい行程だからです。
早足で先を急いでいると、やがて、岩と岩の裂け目の下に川が流れている場所が現れました。裂け目の間には、長さ数メートルほどの小さな橋がかかっていました。
カルナクの旅(2):シャン・スムド〜ツォクラ
カルナク地方を往くトレッキングは、8月4日の早朝からスタートしました。初日は、マルカ谷のトレッキングの終点だったシャン・スムドを出発し、標高5130メートルの峠、ゴンマル・ラの少し手前にある小さなキャンプサイトで幕営。夜は激しい雷雨に見舞われましたが、翌朝にはどうにか天候も回復しました。
二日目は、ゴンマル・ラを越えてニマリンまで下り、そこから標高6400メートルの高山カン・ヤツェを目指してひたすら歩きます。写真で左前方に見えるのがカン・ヤツェ。方向感覚を失ってしまいそうな高原のところどころに、目印の小さな石塚がありました。
カルナクの旅(1):メンバー&基本情報
・カルマ・ダゲイ
チョグラムサル在住のチベット人、70歳のメメレ(じいさん)。以前カルナクを旅した経験があるということで、今回、ホースマンとして協力してもらうことになりました。馬を扱う腕は‥‥イマイチ(途中で何度「ノノ! ヘルプミー!」と言われて馬を引く手伝いをしたことか)。料理の腕は‥‥さらにイマイチ(「料理? ノノ、お前が作れ」と言われた)。あわて者でおっちょこちょいで、トホホな思いをさせられることもしょっちゅうでしたが、何だかんだで憎めない、気のいいメメレ。今となっては、あの苛酷なカルナクの旅をともに切り抜けた、かけがえのない仲間です。
・カルナクのトレッキングの基本情報
カルナクは、ザンスカールとルプシュとの間に挟まれた、主にカルナク川沿いに連なる渓谷地帯です。トレッキングルートとしてはマイナーで、比較的開けた南部の方では、ラダック系の遊牧民が家畜たちとともに暮らしています。村らしい村はほとんどないので、事前にすべての食料を用意しておく必要があります。
途中で5000メートル級の峠越えがいくつかあるほか、川を渡渉しなければならないポイントも多いのですが、晴天時であれば、それほど難易度の高いルートではありません。ただ、カルナクの最深部、何本かの川が合流しているあたりでは、五、六度、連続して川を渡渉しなければならない、かなり難しい地点があります。適切な渡渉ポイントを見極めるためには、地元に精通したガイドに案内してもらうことが必要不可欠。川の流れもかなり速いので、単独行は危険です。
今回の僕の旅では、ただでさえ面倒な川の渡渉ポイントが、ラダック各地で洪水を引き起こした大雨のせいで、さらに難しくなってしまっていました。川を渡る時は、馬で手いっぱいのメメレをあまりアテにすることもできなかったので(苦笑)、よくもまあ五体満足無事で帰ってこられたな、と今さらながら思います。
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